岐阜に住む伯母が、彼女の姉の葬儀のために沖縄に来ていた。初七日も終わって彼女が明日帰るという金曜日の夜、食事会をした。初め、伯母と私の両親を加えた4人だけのつもりであったが、東京から来ている従妹と彼女の娘も誘った。従妹は死んだ伯母の三女、沖縄に住んでいる長女と次女も話を聞きつけて参加した。
私の両親は葬儀の疲れからか、体調が少し悪いとのことでキャンセルし、食事会は6人となる。男は私1人。後は婆さん1人、オバサン3人、少女1人で約2時間の歓談。彼女達にしてみれば食べて、飲んで、言いたいことを言っての楽しい時間だったに違いない。ただ、オジサン(私のこと)1人だけは、伯母から「そろそろ観念して結婚しなさい」としつこく言われ、従姉からは「アンタ、親を大事にしなさいよ」と、これまたもっとしつこく言われ、濃い墨総理の靖国参拝同様(違うかもしれないが)、心の問題をとやかく言われるのを嫌う私はこの2時間、ほとんど楽しくない思いで過ごすこととなった。
伯母も従姉も、良かれと思っての意見であろうが、私にとっては大きなお世話の話である。たとえば、私が今不幸な状態にいて、そこから何とか抜け出そうともがいている時の助言であればありがたいが、十分幸せに暮らしていて、真面目に働いていて、他人から嫌がられることも無く、木工家のMさんや、設備屋のGさんや、建築家のNさんなどのためにパソコンを教えるなど少しは人の役にも立っており、隣近所や友人知人たちとも友好的に付き合っており、借金も無く、大きな病気もしない。こんなオジサンにこれ以上のことを望んでくれるな、と私は言いたい。あんたが望むような人間では無いかもしれないが、私は犯罪者では無い。心の自由を束縛してくれるな、とさらに重ねて言いたい。
あれこれ文句を言うことをウチナーグチ(沖縄口)では「ゴーグチハーグチする」と言うが、食事会の2時間、「ゴーグチハーグチ」をたっぷり聞かされ、「何てこったい」と思いつつ、皆の飲み食い分を支払い、皆が車で帰るのを見送り、私は一人トボトボと歩いて帰った。新月の空に星が瞬いていた。風の無い、暑い夜であった。
先日亡くなった伯母は、私のことを認めてくれた数少ない女性で、私に何ら注文をつけること無く、いつも微笑んで見守ってくれた。ところが、ある種の(私の周りではほとんどの)女には、「男を意のままに操りたい欲求」の強い種類がいて、私の母も「あーしろこーしろ、あれはするな、これはするな」と実に煩く、姉や従姉も、人の好み(私がどんな女に惚れても私の勝手と思うが)にやたらと口を出した。
その夜、今もって煩いその従姉と、岐阜の伯母(こっちは久しぶりに会ったので文句垂れるのもしょうがないが)の「ゴーグチハーグチ」を2時間たっぷり聞かされた私であるが、しかし、ちっともめげることは無い。何故なら、そのストレスを発散する手段を持っているからである。こうやって私は、ブログで後愚痴、吐愚痴できるのである。
記:2006.9.1 ガジ丸