ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

青春音楽、友部正人

2011年02月18日 | 通信-音楽・映画

 やりたいことが山のようにあるのに、残された時間は、運良く日本人男性の平均寿命を生きたとしても、これまで生きてきた時間の半分以下となってしまった。それでも、山のようにあるやりたいことは、その2割もできれば上等、と呑気者のウチナーンチュは思っているので、焦っているわけでは無い。焦っては無いけれど、これから先の人生、無駄だと自分が感じるような時間はなるべく避けたいと思っている。
 1日7、8時間(夏場は寝苦しいのでもっと短い)の睡眠時間は、生きるのに必要な時間なのでちっとも無駄では無い。周りから見るとボーっとしている時間も、たいてい妄想を膨らましている時間なのでちっとも無駄では無い。ちっとも金にならないHPを書き続けていることも、週末の散歩も全然、無駄な時間では無い。
 妄想に浸ったり、HPの記事を書いたり、散歩をしたりすることは楽しい。生きている間は楽しく過ごしたいと思っている。楽しくない時間は持ちたくない。生きるのに必要な時間を除けば、楽しくない時間が無駄な時間だと私は感じている。

 ノスタルジーに浸っている時間は、まあまあ楽しい時間だと思う。しかしながら、そういったことを私はあまりやらない。ノスタルジーに浸るのはもっと歳を取ってからでも良いと思っている。今はまだ、やりたいことの山を一歩一歩登っていきたい。とはいえ、ノスタルジーに浸る時間は時々ある。友人達との昔話で若かりし頃を思い出し、懐かしい音楽を聴いたりすると恋をしていた頃を思い出し、心臓が痒くなったりする。

  先週金曜日、埼玉から大学時代の友人KRが遊びにやってきた。急に思いついた沖縄の旅だったようだが、彼の計画には、やってきたその日に友部正人ライブを聴きに行くというのがあった。友部正人は、高田渡と並んで、私の青春音楽の一つである。
 確か高校3年の頃、当時大学生だった2年先輩のAさんから友部の『にんじん』と高田の『系図』というアルバムを借りた。その頃、吉田拓郎やかぐや姫や井上揚水はよく聴いていたが、友部正人や高田渡はほとんど聴いていなかった。「他のとは違うから、じっくり聴いてみな」とAさんに勧められ、で、言われた通り、じっくり聴いた。
 「そうか、こんな歌もあるのか」と、友部正人にも高田渡にも驚いた。後日、沖縄出身の偉大な詩人、山之口獏の詩を歌っているということを知って、高田渡にはさらに興味を持ったが、「こんな歌、歌ってもモテねぇよ」と思い、真面目に、難しそうな文学的表現で恋を歌う友部正人に、「これならモテるかも」と最初は傾倒した。
  高校や浪人の頃、友人たちと集まってギターを弾いて歌うのは、拓郎やかぐや姫やユーミンであった。友部正人は誰も知らなかった。よって、モテる歌にはならなかった。それでも、私にとっての青春音楽の一番は友部である。「俺も歌作ろう」となった。
          

 友部のライブは桜坂劇場で行われるので、私もそれがあるということは一ヶ月も前から知っていた。でも、行こうとは思っていなかった。「今はまだ、ノスタルジーに浸っている暇は無ぇ」のであった。埼玉からわざわざやってきたKRが「ぜひ」と言うので付き合っただけであった。しかし、友部はノスタルジーでは無かった。彼の歌は、時を超えていつでも通用する作品であった。ライブの2時間、無駄な時間では全く無かった。
          

 記:2011.2.18 島乃ガジ丸


貧しくとも幸せな心

2011年02月11日 | 通信-社会・生活

 私の勤める会社は、昨年1月に若いMが辞めてしまい、現場仕事のできるのがSさんと私のオジサン二人だけとなった。さらに、昨年春から週休5日となった私は、週に2日しか出勤しないので、パソコンを使う事務仕事に時間を取られ、現場に出ることができなくなった。で、以来ずっと、仕事に慣れていない新しく入った若者二人を引き連れて、Sさんは現場に出て、自分の仕事をしながら、若者二人に仕事を教えている。
 自分の仕事をしながら、慣れない人に仕事を教えるのは面倒な事である。仕事全体の段取りを考え、自分は何をし、慣れない二人には何をさせるかを考え、二人ができない作業の場合は、いちいち教えなければならない。頭が痛くなるにちがいない。
 Sさんと私はほぼ同じ年齢で、オジサンと言っても爺さんに近いオジサンだ。肉体労働では無理が効かない。普通は、技術の要る作業をベテランがやり、力の要る仕事は若い者がやるのだが、その若者が仕事に慣れていないのでオジサンは力仕事も行う。力仕事が続くと腰が痛くなったりする。頭も痛いし、体もきつい。Sさんは大変だ。

 寒い日が続いていた1月中旬、車が修理中で、当分バス通勤だというSさんに、
 「帰り、近くの飲み屋に行って、泡盛のお湯割りで体温めようか?」と誘った。
 「最近酒に弱くなって、翌日の仕事に響くようになった」という理由で、Sさんとの飲み会は土曜日となった。土曜日ならばと、元同僚の二人MとTにも声をかけた。
  元同僚の二人は、社長との折り合いが悪くなって辞めた”元”なので、小遣い程度の給料しか貰っていない私や、毎日心身ともに疲れているSさんの現役二人と同程度に、会社や社長への批判が出る。いや、これを逆に言えば、2年以上も前に辞めていったM(1行目の若いMとは違うM、こちらは若くない)やTと同じくらいしか、私もSさんも会社へ対する愚痴は出ない。週二日しか出勤しない私は、給料は安くても仕事は楽なので愚痴があまり出ないのも当然だが、Sさんもそう多くの愚痴を言わない。
 Sさんは勤続25年、会社のために頑張って働いてきた。同僚の私が、他社へ自慢したい程、腕の良い職人だ。会社への貢献度は大きい。そんな人が、給料は年々下げられ(長引く不況のせいで)た上、苦労は倍増している。彼にはまた、子供が3人いて、その内二人は大学生、その内の一人は東京の大学だ。脛はガリガリになっているであろう。ガリガリの脛で肉体労働をこなしながら、愚痴をこぼさないオジサンなのだ。
         

  「誰が優しそうな人に見えますか?」と100人に訊いたら、100人が「Sさん」と答えるであろうと思うほどに、Sさんは見た目優しい。実際にも優しいので、それが表情に現れているのだろう。きっと誰もがその優しさを感じられると思う。優しそうに見えるので社長が甘える。優しいので、それを「まぁいいか」と許す。「古き良きウチナーンチュなんだなぁ」と私は思う。「もし100人の村がこんな人ばかりだったら、とても平和だろうなぁ、いいなぁ、住んでみたいなぁ」とも思う。ただし、Sさんは戦わなければならない時はきっと戦う。優しさが弱点になる恐れはあるが、そんな強さもある。
 世間には私やSさんより厳しい生活の人が多くいる。評論家によると、景気が良くなる気配は無さそうなので、この1年、貧しい人にとってはさらに前途多難、厳しい年になりそうだ。でも、そんな時こそSさんの「貧しくとも幸せな心」が必要かもしれない。
         

 記:2011.2.11 島乃ガジ丸


他人の振り見て

2011年02月04日 | 通信-音楽・映画

 那覇新都心に大きなショッピングモールがあり、その中に大きなシネコンがあり、電気店もあり、スーパーもあり、広い駐車場もある。車で行って、映画を観たついでに、電気店やスーパーで買い物もできる。便利だ。そんな便利なシネコンに私は滅多に行かない。映画は好きだけど、ハリウッド映画の概ねは好きでないからだ。
 駐車場は離れた所(徒歩3~4分)にある上、国際通りという渋滞する道路を通らなければならないので、車では行きたくない。平和通りがすぐ近くにあるが、昔は那覇庶民の買い物場所だった平和通りも今は観光客相手の店が大半で、私が買い物するような所では無い。電気店もスーパーも遠い。そんな環境にある映画館へ私は行く。

 そんな環境にある映画館とは、桜坂劇場。私好みの映画をよく上映している映画館。そんな桜坂劇場だが、去年の7月以来ご無沙汰となっていた。遺産相続手続きが面倒で、時間がかかったのと、そのせいで遅れていた畑仕事を優先したのと、大量のHP記事のページ移動という、これまた面倒で時間のかかることもやっていたからだが、お陰で、桜坂劇場から頂いた3枚の無料招待券も無駄にしてしまった。 

  先月(1月)中旬、去年の7月以来の桜坂劇場へ行く。もちろん、映画を観に。観た映画は『マザーウォーター』。私が上手いと評価している女優が主演で、私が面白いと評価した映画『カモメ食堂』の監督作品だったので、観たいと思った。
 この半年間、観たいと思った映画は、名前は思い出せないがいくつもあった。桜坂劇場での上映は無かったが、話題の『ヤギの冒険』も観たいと思っていた。私は、「大」が付く程では無いが、映画が好きである。現実から別世界へ引き摺りこんでくれる力を持った映画が好きである。そんな力を持った映画を良い映画だと私は評価している。
          

 ※追記:2011.2.5 昨夜、友人KRからメールがあって、間違いを指摘された。
 『マザーウォーター』の監督は松本佳奈だが、
 『カモメ食堂』の監督は荻上直子。両監督に失礼しました。なお、下段に補足あり。

 『マザーウォーター』、そういう意味では期待外れだった。前半部分は、情景が淡々と流れて行くシーンが続いて、その時間と空気を感じることができて、途中、思わずウルウルしてきそうなほど気持ち良かったのだが、後半になって興醒めしてしまった。
 マザーウォーターの意味するところが、淡々と流れて行く川の水の如く、人生を淡々と生きて行く中年女性達を表しているのか、それはよく解らなかったが、登場する中年女性達、もたいまさこも小泉今日子も小林聡美も、後半になると煩くなった。
  彼女達は悟った女達であった。「私に迷いはないのよ」であった。「こんな生き方良いでしょ?」と、遠回しに語り続けていた。それが煩かった。川縁にポツンとある木製の椅子を映すだけで、あるいは、それに腰かけてボーっとしているもたいまさこを映すだけで、淡々と流れる時の気分は伝わってくるのに、彼女たちは煩くしゃべり続けた。

 「40、50のくせに何を偉そうなことを」と思ったのだ。が、私はそこで、はたと気付いた。そういう私自身もこのHPで悟ったような口をきいているじゃないかと。
 他人の振り見て我が身を反省し、以後、偉そうなことを書かないようにするか、あるいは、「いやいや、監督が自分の主張したいことを主張しているのだ、それが伝わっているのだ、良い映画ではないか。」と評価を変えるか、今悩んでいる所。
          

 記:2011.2.4 島乃ガジ丸
 追記:2011.2.5
 昨夜のKRからのメールには『トイレット』、『めがね』、『プール』などの映画作品名があった。確か、いずれも昨年桜坂劇場で上映されていたもので、いずれも私が観たいと思って観に行けなかったもの。
 ちなみに、『トイレット』、『めがね』は荻上直子監督作品で、
 『プール』は大森美香監督作品とのこと。
 荻上直子の『カモメ食堂』は良い映画だった。映画についての詳しいことは書いていないが、2006.8.18付けのガジ丸通信「手練の女優」で映画を褒め、小林聡美を褒めている。小林聡美(たぶん、もたいまさこも)は仕草や表情で空気を作れる女優だと思う。『マザーウォーター』では残念ながら、その武器が十分生かされていなかったように感じた。