やりたいことが山のようにあるのに、残された時間は、運良く日本人男性の平均寿命を生きたとしても、これまで生きてきた時間の半分以下となってしまった。それでも、山のようにあるやりたいことは、その2割もできれば上等、と呑気者のウチナーンチュは思っているので、焦っているわけでは無い。焦っては無いけれど、これから先の人生、無駄だと自分が感じるような時間はなるべく避けたいと思っている。
1日7、8時間(夏場は寝苦しいのでもっと短い)の睡眠時間は、生きるのに必要な時間なのでちっとも無駄では無い。周りから見るとボーっとしている時間も、たいてい妄想を膨らましている時間なのでちっとも無駄では無い。ちっとも金にならないHPを書き続けていることも、週末の散歩も全然、無駄な時間では無い。
妄想に浸ったり、HPの記事を書いたり、散歩をしたりすることは楽しい。生きている間は楽しく過ごしたいと思っている。楽しくない時間は持ちたくない。生きるのに必要な時間を除けば、楽しくない時間が無駄な時間だと私は感じている。
ノスタルジーに浸っている時間は、まあまあ楽しい時間だと思う。しかしながら、そういったことを私はあまりやらない。ノスタルジーに浸るのはもっと歳を取ってからでも良いと思っている。今はまだ、やりたいことの山を一歩一歩登っていきたい。とはいえ、ノスタルジーに浸る時間は時々ある。友人達との昔話で若かりし頃を思い出し、懐かしい音楽を聴いたりすると恋をしていた頃を思い出し、心臓が痒くなったりする。
先週金曜日、埼玉から大学時代の友人KRが遊びにやってきた。急に思いついた沖縄の旅だったようだが、彼の計画には、やってきたその日に友部正人ライブを聴きに行くというのがあった。友部正人は、高田渡と並んで、私の青春音楽の一つである。
確か高校3年の頃、当時大学生だった2年先輩のAさんから友部の『にんじん』と高田の『系図』というアルバムを借りた。その頃、吉田拓郎やかぐや姫や井上揚水はよく聴いていたが、友部正人や高田渡はほとんど聴いていなかった。「他のとは違うから、じっくり聴いてみな」とAさんに勧められ、で、言われた通り、じっくり聴いた。
「そうか、こんな歌もあるのか」と、友部正人にも高田渡にも驚いた。後日、沖縄出身の偉大な詩人、山之口獏の詩を歌っているということを知って、高田渡にはさらに興味を持ったが、「こんな歌、歌ってもモテねぇよ」と思い、真面目に、難しそうな文学的表現で恋を歌う友部正人に、「これならモテるかも」と最初は傾倒した。
高校や浪人の頃、友人たちと集まってギターを弾いて歌うのは、拓郎やかぐや姫やユーミンであった。友部正人は誰も知らなかった。よって、モテる歌にはならなかった。それでも、私にとっての青春音楽の一番は友部である。「俺も歌作ろう」となった。
友部のライブは桜坂劇場で行われるので、私もそれがあるということは一ヶ月も前から知っていた。でも、行こうとは思っていなかった。「今はまだ、ノスタルジーに浸っている暇は無ぇ」のであった。埼玉からわざわざやってきたKRが「ぜひ」と言うので付き合っただけであった。しかし、友部はノスタルジーでは無かった。彼の歌は、時を超えていつでも通用する作品であった。ライブの2時間、無駄な時間では全く無かった。
記:2011.2.18 島乃ガジ丸