リンゴじゃなくてイチジク?

 旧約聖書の「創世紀」によると、主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いと云われた蛇にそそのかされたエバが禁断の果実を食べ、エバの勧めでアダムも食べてしまったために、それ以後の女は「生みの苦しみ」を味わうことになり、男は食べ物を得るために苦しむことになっている。エバがその果実を食べなければ、アダムがエバの勧めたその果実を食べなければ、私達はエデンの園にあって、今も安楽に暮らすことが出来たのに・・・・。

 と、アダムとエバを恨んでもせんのないことではあるが、それではアダムとエバが食べた禁断の果実はと一体何であったのか。答えは簡単。全人口の99%がキリスト教徒「ではない」日本においてさえ、それが「リンゴ」であることは誰でもが知っている。ところが!である、それは「リンゴ」ではなく「イチジク」であるとする説があるのを、今日、知った。

 「リンゴ」ではなく「イチジク」であるとする理由はこれまた簡単。エデンの園があったとされるのは、今で云うイラクのチグリス河とユーフラテス河の間であるとされているが、この場所はかなりな南方に位置しており、とてもリンゴが採れるような場所ではないのだと云う。件の実を食べ、互いに裸でいることに羞恥するまでアダムとエバは裸で過ごしていたわけであり、少なくとも、人間が衣服を纏わずに暮らせるほど暖かな地方ではリンゴは採れないのである。確かに。

 その果実がリンゴではないとすれば何なのかと云うことになるのだが、それは「イチジク」なのだと。つまり、互いに裸であることに気付き、羞恥し、慌てて腰の周りを隠すのに使ったのがイチジクの葉であったからと云うのがその根拠。まっ、確たる証拠があるわけではなく、状況証拠を積み重ねるとそれ以外の結論を導き出すことは困難であると云う、現代の裁判では有罪とするのは難し論法ではあるが、なるほど辻褄が合うし、説得力があるではないか。

 と云うわけで、アダムとエバが食べてしまった禁断の果実とは、リンゴではなくイチジクなんだと。でもそうだとすると、喉仏の事は ”Adam's apple” じゃなくて “Adam's fig” と云わなければならないことになる?


 今日の一枚は例によって記事本体とは何の関係もない、滴る程の緑に満ちた「ニリンソウの谷」。なるせの森の谷戸の一番奥にあります。

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