唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
ほころばせるのは、ほお、それとも顔?
今日の神奈川新聞のある記事に「(前略)と、ほおをほころばせる。」と書かれていた。えっ、「ほお」をほころばせる? ほころばせるのは「顔」じゃないの?と郷秋<Gauche>は思った。広辞苑を引いてみると、用例としては「『顔』をほころばせる」が出てくるが、ネット上で検索すると「『ほお』をほころばれる」も結構ヒットする。
人の顔には大きく分類して口(唇)、鼻、目の三つのパーツがある。これらの間や上に、ほお、額、眉間、鼻の下などもあるが、それぞれの部位で笑う表情を作ることのできるのは目と口だけだと思う。眉間にしわを寄せるのは笑うのとは反対の感情の時だし、鼻の下を伸ばすのは、笑うに多少近いが少し意味が違う。鼻が単独で笑いの表情を作っているとは思えない。
「目が笑っている」と云う表現がある。その反対に目は笑っていなかったと云うこともあるから、やはり目は笑うのだと思う。口元に微笑みをたたえる、大口を開けて笑うとも云う。口もやはり笑うのだ。「鼻で笑う」と云う言い方があるが、これは「比喩」であり、鼻が特別な表情を作っているとは思えない。あるいは鼻の穴を広げる仕草がそれに当たるのか。
さて、ほお(頬。「ほほ」とも云うな)が笑うかと云うと、これは笑わない。直接には口が笑う表情に動くことでつられて動くだけである。ほおだけが笑う表情って、想像できないだろう。ほおだけが動くのは緊張や恐怖によって痙攣する(引き攣る)時だけである。そう考えると目が笑うと云うのは実に微妙な表情だ。
口ほど大きく動くわけではなく、ほんのわずかな動きで喜びや悲しみや怒りの表情を作りだす。本当は目は何も動いていないのかも知れない。「目は口ほどにものを言う」と云うたとえがあるように、目はほんのわずかな、目に見えないような動きであらゆる感情を表現する素晴らしい役者だと云うことなのだろう。
「破顔」「顔を崩す」「満面に笑みをたたえる」と云う言い方はいずれも顔全体で喜びの表現の一つとしての「笑い」を表している。それよりも小さ目な喜びの表情は「微笑む」だが、具合的には「口元に笑みをたたえる」「目が笑っている」であり、「おほが笑っている」「ほおに笑みをたたえている」ではない。
さて、郷秋<Gauche>の結論。やはり「ほおをほころばせる」と云う表現はやはりおかしい。ほころばせるのは顔全体であり、喜びや幸いの表れとしての笑みを作るのは目と口であり、ほおはその間にあって主として口の動きに合わせて動くだけなのである。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、近所の桜台公園の紅葉の先駆け。紅葉の名所に行かなくても、近所の公園でも秋の訪れを見つけ楽しむことができるのです。遠くまで出かけることをせず、身の丈に合った秋を楽しむ郷秋<Gauche>なのであります。