唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
<教員免許>更新講習未修了5100人に失効の「恐れ」?
Yahoo!ニュース(毎日新聞)にこんなタイトルの記事を見つけた。
自民党政権下で10年ごとの更新が定められた、該当になって2年以内に更新のための講習を受けないとが、免許が失効すると云う制度だが、民主党政権が抜本的見直しを表明したため、制度廃止を見込んで更新講習を受講しない現職教員が相次ぎ、文部科学省の調査によれば、来年3月末で免許が失効する現職教員が全国で5100人いると云う事である。
この制度はそもそも矛盾をはらんだままスタートしている。自民党政権は当初、教員ととして不適格な者の排除するを目的に免許更新制の検討を始めたが、批判が相次いだことによりいつの間にか「最新の教育技術を習得し」云々に変化し、それでも受講しなければ免許が失効すると云う「脅し」を持った制度がスタートすることなった。政権が、日教組を支持母体の一つとする民主党に移るや、制度廃止が検討されるが、夏の参院選の民主党敗北で法改正が難しい状況となり更新制度を巡る議論は棚上げになり、結果として制度が存続することとなった。
教員免許更新制は生きている。つまりだ、この制度に基づいて更新講習を受けなければ免許は失効し、当然教諭としての仕事を続けることはできなくなる。教員免許更新制が悪法であるかどうかの判断は置くとしても、有効は制度であることには変わりはないので、この講習を受けない者の免許は失効する。自明の理である。
ではなぜ、5100人の免許が失効することが「恐れ」なのかである(ちなみに、「恐れ」は当て字で正しくは「虞」。常用漢字ではないだろうから「おそれ」と表記するのが正しいのではないかと思う)。「虞」とは「起きて欲しくない、いやな事が起きるのではないかと云う心配」であろう。5100人の現職教員の免許が失効することが、果たして起きて欲しくないことなのだろうか。
公務員であれば、一般市民以上に法律を守ることが厳しく求められるはずである。その公務員たる教員が法で定められた手続きを取っていないのならば、免許が失効し結果としてその職を失っても当然のことである。何もおそれることはない。順法精神の無い教員の数の何十倍と云う、教員になりたくてもなれない若者がいるのである。免許を更新できなかったために失職した者の代わりに、教員と云う職に憧れその職を強く求める有為な青年を新たに雇用すればよいだけの事である。
首都圏でこそ低くなっている教員採用試験の倍率であるが、特に地方においては今でも何十倍と云う倍率の壁により正規教員の職を得来るこのできない有為な青年が多いと聞く。更新制がなくなることを前提に更新講習を受けないずるけた教員にはさっさと退場いただき、熱意と適性溢れる若い有為な教員を採用すればよいのである。大体がだ、その方が人件費だったずっと低く抑えることができるではないかと郷秋<Gauche>は思うぞ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、すみよしの森の南斜面でたわわに実るみかん。温暖化の影響なのだろ、それまで柿や栗の植えられていた畑にみかんが植えられることが多くなってきている。かく云う郷秋<Gauche>も庭にバレンシアオレンジやレモンをはじめ、ゆず、カボス、スダチなど、柑橘類の苗を沢山植えている。オレンジは実がなるまでにまだしばらくかかりそうな気配だが、レモンはそのうちに紹介できそうな具合である。
自民党政権下で10年ごとの更新が定められた、該当になって2年以内に更新のための講習を受けないとが、免許が失効すると云う制度だが、民主党政権が抜本的見直しを表明したため、制度廃止を見込んで更新講習を受講しない現職教員が相次ぎ、文部科学省の調査によれば、来年3月末で免許が失効する現職教員が全国で5100人いると云う事である。
この制度はそもそも矛盾をはらんだままスタートしている。自民党政権は当初、教員ととして不適格な者の排除するを目的に免許更新制の検討を始めたが、批判が相次いだことによりいつの間にか「最新の教育技術を習得し」云々に変化し、それでも受講しなければ免許が失効すると云う「脅し」を持った制度がスタートすることなった。政権が、日教組を支持母体の一つとする民主党に移るや、制度廃止が検討されるが、夏の参院選の民主党敗北で法改正が難しい状況となり更新制度を巡る議論は棚上げになり、結果として制度が存続することとなった。
教員免許更新制は生きている。つまりだ、この制度に基づいて更新講習を受けなければ免許は失効し、当然教諭としての仕事を続けることはできなくなる。教員免許更新制が悪法であるかどうかの判断は置くとしても、有効は制度であることには変わりはないので、この講習を受けない者の免許は失効する。自明の理である。
ではなぜ、5100人の免許が失効することが「恐れ」なのかである(ちなみに、「恐れ」は当て字で正しくは「虞」。常用漢字ではないだろうから「おそれ」と表記するのが正しいのではないかと思う)。「虞」とは「起きて欲しくない、いやな事が起きるのではないかと云う心配」であろう。5100人の現職教員の免許が失効することが、果たして起きて欲しくないことなのだろうか。
公務員であれば、一般市民以上に法律を守ることが厳しく求められるはずである。その公務員たる教員が法で定められた手続きを取っていないのならば、免許が失効し結果としてその職を失っても当然のことである。何もおそれることはない。順法精神の無い教員の数の何十倍と云う、教員になりたくてもなれない若者がいるのである。免許を更新できなかったために失職した者の代わりに、教員と云う職に憧れその職を強く求める有為な青年を新たに雇用すればよいだけの事である。
首都圏でこそ低くなっている教員採用試験の倍率であるが、特に地方においては今でも何十倍と云う倍率の壁により正規教員の職を得来るこのできない有為な青年が多いと聞く。更新制がなくなることを前提に更新講習を受けないずるけた教員にはさっさと退場いただき、熱意と適性溢れる若い有為な教員を採用すればよいのである。大体がだ、その方が人件費だったずっと低く抑えることができるではないかと郷秋<Gauche>は思うぞ。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、すみよしの森の南斜面でたわわに実るみかん。温暖化の影響なのだろ、それまで柿や栗の植えられていた畑にみかんが植えられることが多くなってきている。かく云う郷秋<Gauche>も庭にバレンシアオレンジやレモンをはじめ、ゆず、カボス、スダチなど、柑橘類の苗を沢山植えている。オレンジは実がなるまでにまだしばらくかかりそうな気配だが、レモンはそのうちに紹介できそうな具合である。
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