玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

山尾悠子『山尾悠子作品集成』(1)

2015年08月07日 | ゴシック論

「北方文学」第72号の原稿が完成し、少し余裕が出来そうなので「ゴシック論」を再開することにしたい。ただし、玄文社の出版・編集の仕事が当分忙しいので、以前のように毎日は書けないかも知れないが……。

 再開に当たって最初に、再び山尾悠子を取り上げるのは、『夢の遠近法・初期作品選』(ちくま文庫)を読んで、日本で唯一のゴシック作家という印象を持ち、さらには国書刊行会から2000年に刊行された『山尾悠子作品集成』を読むに及んで、私の確信がますます深まったからである。
 ところで、荒俣宏は国書刊行会の「世界幻想文学大系」第二期の完結に当たって、編集者のひとりとして、幻想文学と呼ばれるものの居心地が良くなりすぎたために、もはや「正統」に対する「異端」としての位置を保持することが出来なくなっていることを嘆いている。もはや渋澤龍彦の時代ではないのだ。
 さらには「世界幻想文学大系」一期、二期全50巻の刊行によって、日本ほどにヨーロッパ各国の幻想文学を数多く翻訳出版する国は「他に存在しない」という状況であるのに、「テキストの移入が果たしてどれだけの効果を日本の幻想文学プロパーに及ぼし得たであろうか」と疑問を呈してもいる。
 荒俣は「現代日本においてはいまだに、海外事情を踏まえた上で独自に展開された幻想文学の創作も、あるいは評論も芽吹いてきてはいない」と結論づけている。
 ゴシック小説と幻想小説がイコールでないことを承知で言うならば、高原英理がちくま文庫の一冊として編集した『リテラリーゴシック・イン・ジャパン』というアンソロジーを読む限りでは、荒俣の言っていることが正しいということが裏付けられるのである。
 第四部「幻想文学の領土から」、第五部「文学的ゴシックの現在」に収載されている現代作家達の作品で、真に「海外事情を踏まえた上で独自に展開された幻想文学の創作」など、山尾悠子の「傳説」を除いてただの一編もないのであるから。
 しかし、ひとり山尾悠子がいるということから、荒俣の言っていることは本当は間違いで、ただ一つの「芽生え」はあったのだと言わなければならないし、そのことを我々は喜ばなければならない。
 ところで荒俣が先の文章を書いたのは1982年で、山尾の「傳説」が発表された年と同じである。山尾は1975年にデヴューしていて、それまでにも「夢の棲む街」や「遠近法」など重要な作品を発表してきている。荒俣は1982年の時点で山尾悠子の存在を知らなかったのだろう。発表誌が「SFマガジン」などのマニア向けの媒体だったからである。
「傳説」は一見古風な文体を持っていて、しかも夏目漱石の文体を援用しているから、「海外事情を踏まえた上で独自に展開された」作品ではないと思われてしまうかも知れない。しかしそんなことは決してない。「傳説」は日本の事情も海外の事情も十分に踏まえてなされた、最も先鋭的な作品であったと言えるのである。
 最初に『山尾悠子作品集成』の中から最初に取り上げるのは、再度「傳説」ということになるだろう。
 
山尾悠子『山尾悠子作品集成』(2000年、国書刊行会)