玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

山尾悠子『山尾悠子作品集成』(13)

2015年08月26日 | ゴシック論

 言語による時間停止作用、あるいは時間減速作用、さらには時間加速作用を駆使した作家はこれまでにもいた。それは日本における最も偉大な幻想文学作家・泉鏡花である。泉鏡花による時間停止作用は、その独特な服飾描写によって行使される。鏡花は作品中に美女を登場させるたびに、緻密でマニアックな服飾描写を繰り返す。それまでリニアーな時間の中で進行していた物語が、そこで突然中断されるのである。
「紺地に白茶で矢筈の細かい、お召し縮緬の一枚小袖。羽織なし、着流しですらりとした中肉中脊。紫地に白菊の半襟。帯は、黒繻子と、江戸紫の麻の葉の鹿の子を白。地は縮緬の腹合、心なしのお太鼓で。白く千鳥を飛ばした緋の絹縮の脊負う上げ。しやんと緊まつた水浅葱、同模様の帯留めで。……」(原文総ルビ)
 このような描写が延々と続く。今では和服についてよほど造詣の深い人でなければ、何のことか分からない用語が繰り返され、読者はそこで時間の停止した保留状態に置かれるのである。
 それは怪異なものの出現の場面でも同様であって、「草迷宮」で主人公の葉越明の前に現れる母の知己の女が登場する場面も、過剰な服飾描写に彩られている。次のような描写は幽霊の出現を描いているのに等しい。
「唯見ると、房々とある艶やかな黒髪を、耳許白く梳って、櫛巻にすなおに結んだ、顔を俯向けに、撫肩の、細く袖を引合はせて、胸を抱いたが、衣紋白く、空色の長襦袢に、朱鷺色の無地の羅を襲ねて、草の葉に露の玉と散った、浅緑の帯、薄き腰、弱々と絲の艶に光を帯びて、乳のあたり、肩のあたり、其の明りに、朱鷺色が、浅葱が透き、膚の雪も幽かに透く」(原文総ルビ)
 鏡花の服飾描写がいつでも怪異に直結してしまうのは、その過剰な描写が時間を停止させ、停止した時間の中に怪異を呼び込んでくるからである。そこには怪異な時間が実現されているのである。
 時間減速作用については、鏡花の代表作「春昼」の冒頭の場面を参照して欲しいし、時間加速作用については能で言う「序破急」の「急」で終わる鏡花の多くの怪異譚のラストを参照して欲しい。ここでは例を挙げている余裕がない。
 このような時間に対する変速作用は、もともと言語の叙述構造が持っているものであって、それを意識的に使ったのが鏡花だったと言えるだろう。山尾悠子もまた、そのような作家であり続けている。
「夢の棲む街」の「7〈禁断(あかず)の部屋〉の女」で山尾は、時間の停止(あるいは極端な時間減速)そのものの場面を描いている。山尾は「……女は、部屋の空中に引っ掛かったように静止している」と書いているが、泉鏡花の女もまた「空中に引っ掛かったように静止している」のである。
 女の描写の前に〈禁断の部屋〉自体の描写がある。微細な描写の後次のような一文が置かれている。
「そのため、戸口に立って眺める部屋の光景は、古びて色の褪せた一葉の写真のように見えた」
 写真こそが究極の時間停止装置である。写真のように描く、あるいはストップモーションを捉えた写真をなぞりながら描写していくというのが、言語による時間停止の要諦である。山尾悠子の作品の至るところにそのような描写を見ることが出来る。
 しかし、〈禁断の部屋〉の女については、山尾は時間停止を公言しているので良いサンプルではない。我々は、より本格的な時間停止のケースを探さなければならない。