玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

山尾悠子『山尾悠子作品集成』(9)

2015年08月21日 | ゴシック論

『山尾悠子作品集成』には、ちくま文庫版の『増補 夢の遠近法: 初期作品選』には収載されていない作品がたくさんあって、どれも興味深く読むことができる。
 中でも山尾の特長がよく出ている作品として、「耶路庭国異聞」(えるにやこくいぶんと読む)を挙げておきたい。山尾が子供のころ読んで影響されたというC・S・ルイスの『ナルニヤ国ものがたり』を意識したタイトルだが、私は読んだことがないし、映画化されたものも見ていない。
 ファンタジーは意識しているのだろう。だからそれを暗黒のファンタジーと呼んでもいいし、世界崩壊の幻想譚と呼んでもいい。「耶路庭国異聞」という作品を何と呼んでもいいが、この作品もまた言葉の本質に関わるメタファーとしての性質を持っている。
 二つの閉鎖空間がある。いや三つの、あるいは無数のと言ってもいいだろうか。
耶路庭国の内に初代皇帝の手によって成った地下の〈庭〉があり、そこに世継ぎの皇女が幽閉されている。〈庭〉は世界の模型であって、そこでは天体の運行を初め〈庭〉の外の世界が忠実に再現されている。
 当然この〈庭〉には天蓋があり、物を投げればそこに当たるはずである。つまり……。
「白布の尾を曳いて一直線に飛んだ盃は、月球をわずかに外れ、その背後の闇に消えた。と、硝子の煌めきがちらと目を射た時――、玻璃盃の砕け散る音が中空に響いた」
 皇女は〈庭〉の外に出て、外の世界には〈庭〉と違って外縁というものがないのかどうか、知らずにはいられない。皇女は実際に外に出て、〈黄金の鍵〉を虚空に投げ上げる。〈黄金の鍵〉は上空の闇に吸い込まれ、そして……。
「遠くかすかに、しかし精緻な反響を伴って、玻璃の砕け散る音が虚空から零っってきた。地表に立ちつくす人々の肩に、やがてさらさらと砂の零るような音を立てて微細な粉が震え積もり、そこに手をやった人々はそれを黒硝子の破片と知ったのだ」
 これまでに二つの閉鎖空間が描かれている。二つのというより二重のと言った方がいいだろう。我々の宇宙には外縁がないが、山尾の描く宇宙には外縁がある。外縁があるということは、造物主が存在するということを証明するはずなのだが、しかし後にこのことも否定されるだろう。
 外縁を持った宇宙というものがもし造物主によって創造されたのではないとしたら、何によって創造されたのか? 〈天蓋〉という言葉があり、山尾もまた〈天蓋〉という言葉に"ドーム"とルビを振ってこれを使用している。
 勿論〈天蓋〉という言葉はメタファーなのだが、山尾はこの"蓋"(ふた)という言葉を字義通りに使うことによって、そのメタファーとしての機能を外し、実体化してみせるのである。つまり外縁を持つ宇宙の存在は、"天の蓋"ということばに根拠を持っている。「世界は言葉でできている」のである。
 そして言語もまた外縁を持っている。辞書が有限であるように、言語は無限に膨張することは出来ないし、普遍的に流通することも出来ない。どのように普及した言語であろうと、それは流通の境界線を、つまりは外縁を持たざるを得ないのである。
 山尾悠子が描く閉鎖空間は、言語のメタファーとして閉鎖的なのである。さらに、山尾が言語に対して意識的であることにおいて、彼女が描く宇宙は閉鎖空間として提出されざるを得ないのである。