玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(2)

2018年01月06日 | 読書ノート

第1章『ヴァルター・ベンヤミンの墓標――非宗教的啓示』(その1)

 まずこの第1章を読んで、私はそれを民族学者が書いた文章とはとても思えないという印象を持たざるを得ない。本書のタイトルにもなっているこの章は、マイケル・タウシグがベンヤミンの自殺した地、スペインとフランスの国境の町ポルトボウに、ベンヤミンの墓を訪ねて書いたエッセイである。
 しかしそこにあったのは、墓の不在であった。ベンヤミンの死後2~3ヶ月後に、ポルトボウを訪れたハンナ・アレントは、「何も見つけることができませんでした」と、ベンヤミンの友人ゲルショム・ショ-レム宛の手紙に書いた。
ショ-レムは墓守たちが、ベンヤミンの墓を求めてやってくるのに応えるために偽の墓をでっち上げたということを、回想録に書いているというが、アレントがやってきたのはその前であった。事実はどうなのか。
 事実はベンヤミンの逃避行の同行者の一人であったフラウ・ガーランドが、5年間の契約で墓地の壁龕に埋葬し、期限の後1945年に集団墓地に入れられていたということであった。またベンヤミンはベンジャミン・ウォルター博士という偽名でスペインに入国していたため、ハンナ・アレントは墓地にヴァルター・ベンヤミンの名を見つけることができなかったというのが真相であった。
 タウシグは偽物の墓を糾弾するショーレムに対してきわめて冷淡である。そこに物語と死との密接な結びつきを見てとるからである。ベンヤミンは「物語作者についての有名なエッセイ」(それを私はまだ読んでいないが、1936年に書かれた「物語作者」)の中で、「物語作者に権威を与えるものは死である」という命題をたてているという。
 つまり墓とは、死によって権威づけられる物語の謂いにすぎない。ショ-レムが真正の墓にこだわるのであれば、彼はベンヤミンの考えを理解せず、死によって完成される物語を望んでいるだけなのである。
 タウシグはポルトボウに「巡礼にきたわけではない」と書く。タウシグは次のようにその理由を説明する。 

「ベンヤミンの墓所のまわりで、彼への個人崇拝がはじまっていることに気がつき、居心地の悪さをおぼえたという理由の方が当たっている。ベンヤミンの死にまつわるドラマと、一般的にホロコーストと呼ばれるドラマとが、彼の文章と人生がもつ謎めいた力を占有して、それを曇らせてしまうことが許されているかのように思えた。はっきりいえば、彼の生そのものよりも死の方が意味あることになってしまうのだ。」

 そう、ベンヤミンの死よりも重要なのは生の方なのだ。彼は「一個の遺体なのではなく一個の精神」なのであるから。
 作家の死というものを巡る膨大な言説は、作品そのものを無価値化する方向にしか進みようがない。作家にまつわる物語というものこそは、死によって完結され制度と化した歴史の中に埋葬されていく。それは作品そのものや作家の精神から遠ざかろうとする運動にすぎない。
 フランスの作家や音楽家たちは、彼らが尊敬する作家や音楽家たちに対するオマージュの思いを、「○○の墓」という形で具現化した。ピエール・ジャン・ジューヴの『ボードレールの墓』や、モーリス・ラヴェルの「クープランンの墓」などの作品がその例である。彼らにとっては作品として打ち立てられた墓こそが真正の墓なのである。
 マイケル・タウシグの『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』もまた、そのようなものとして読まれなければならない。英語の原題はWalter Benjamin's Graveであって、字義通りに訳せば「ヴァルター・ベンヤミンの墓」なのである。その墓は物理的に存在する墓なのでは決してない。タウシグがフランスの作家たちの慣例に倣っていることは明白ではないだろうか。
 そしてタウシグの試みはほとんど完璧に成功している。タウシグはベンヤミンの逃避行と死それ自体に注視するのではなく、ベンヤミンが残した死にまつわる言葉や命題をこそ呼び起こそうとしているのであるから。