玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(4)

2018年01月09日 | 読書ノート

第1章ヴァルター・ベンヤミンの墓標――非宗教的啓示(その3)

 タウシグは「何も見つけられなかった」ハンナ・アレントが、代わりに見つけたもののことについて思いめぐらしている。アレントは何を見つけたのか。彼女は墓地の周囲に広がる絶景を見つけたのだった。彼女は次のようにショーレムに書き送った。

「小さな湾に面した墓地からは、直接に地中海が見晴らせます。それは岩山を切りひらいて階段状につくられており、立ち並ぶ石の壁に柩がおさめられています。それはだんぜん、わたしがこれまでの生涯で見たもっとも幻想的な、もっとも美しい場所のひとつです。」

 この風光明媚な墓地に1994年、テルアヴィヴの芸術家ダニ・カラヴァンによるベンヤミンのための記念碑「パサージュ ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ」が完成した(タウシグが訪れたのは2002年)。
 マイケル・タウシグはこの記念碑について詳しく書いている。墓地の入り口の手前に三角形のオブジェのようなものがあり、それは地中海の小さな湾に降りていく階段の入り口になっている。階段は87段あり、出口近くにガラスの板が立っていて、次のような碑文がドイツ語、スペイン語、カタルーニャ語、フランス語、英語で記されている。

「高名な人たちの記憶よりも、名前のない人たちの記憶を顕彰することのほうが、ずっと困難である。名もない人びとの追憶に史的構成はささげられる。」

 タウシグはこの記念碑とその碑文に強く心を動かされたようで、写真を10枚使ってその構造を示し、碑文の写真も掲げている。
 この碑文を読んでタウシグは、スペインの歴史のことに思い至るのである。言うまでもなく、それはスペイン内乱の歴史である。ベンヤミンが眠るこの墓地だけが墓地なのではない。「スペインのいたるところが墓地である」という言葉を、タウシグはスペインの有力な新聞のなかに見つける。
 いたるところでフランコ将軍による虐殺があり、虐殺のあったその場所が「集団墓地」そのものなのである。だからスペインで集団墓地に埋葬されるなどということは、何も特別なことではない。
 あるいはナチスに追われた知識人たちが、スペインに逃げてきてどうにもならずに自殺するというようなことが、ベンヤミンの場合に限ったことでもなく、ごく普通にあったという事実をもタウシグは明らかにする。
 というような事実をベンヤミンのためにつくられた記念碑の碑文は、衝撃的に明らかにするのである。タウシグは次のように書く。

「美しさと死と無名性のいり混じったものとして、空間と場所が感覚されるのは、そのときだ。」

タウシグはその時、ベンヤミンの言う「非宗教的啓示」に打たれるのだ。彼はこの「非宗教的啓示」について、墓地の礼拝堂に続く階段を見上げたときの「宗教的啓示」と対比させて次のように言う。

「何もない空間や、海や、空といった無名性の開かれた表現をつうじて、非宗教的啓示のほうは、そのときにも力を増すことができる。それは本当の意味で、無名の死者たちが世界に加えた重みについての強烈な声明であるのだ。」

これ以上何を付け加えることができるだろう。しかし私は、マイケル・タウシグがこの本の序文で言っている「「ヴァルター・ベンヤミンの墓標」というエッセイでは、わたしは風景に歴史を制圧させようと試みた」という言葉について考えないわけにはいかない。
 つまり、ベンヤミンが「歴史の概念について」で言っていた「危機の瞬間にひらめくような想起」こそが、タウシグにあって非宗教的な啓示をもたらしたのである。だから正確には「風景に歴史を制圧させる」のではなく、〝風景が歴史を制圧する〟場面にタウシグは立ち会ったと言うべきだろう。
 ベンヤミンの言葉がその時、直接的にタウシグに非宗教的啓示を与えたのだったかもしれない。だからベンヤミンは生きているのである。
(第1章おわり)