玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

マイケル・タウシグ『ヴァルター・ベンヤミンの墓標』(6)

2018年01月11日 | 読書ノート

第2章アメリカの構築(その2)

 まず語られるのは、コロンビア南西部に位置するプエルト・テハダという、当時は小さかった町の歴史である。トマス・サパタはそこで暮らしたことがあった。 
1950年代以前までそこは、「カカオ、コーヒー、料理用バナナを育てる小作農の人たちの経済で繁栄する中心地」であった。1950年代に砂糖黍のプランテーションが入ってき、1960年代後半には「アメリカの影響を受けた化学肥料や工作機械による「緑の革命」」が始まる。
 それは伝統的な農業文化を徹底して破壊する結果をもたらした。カカオやコーヒーの樹は伐採され、高価で危険な農薬と除草剤によって環境破壊が進行していく。記録者(身元不明の青年)はそれについて「何らかの新しい種類の暴力の予兆のようであった」と書き残している。
 つまりコロンビアの「麻薬戦争」と言われる暴力の時代のことを言っているのだろう。南米のどこの国でも、アメリカ資本による農業の破壊がもたらされ、それが暴力の時代につながっていくのだが、コロンビアではとりわけ過酷な形でそれは起きた。
 それはしかし、トマス・サパタの時代以降の話である。それ以前にも暴力の歴史はあった。トマス・サパタはコロンビアの暴力の歴史について叙事詩のスタイルで語る。プエルト・テハダのような町では人口の95%を占めていた、アフリカからの奴隷の子孫の一人として、彼はコロンビアにおける暴力の歴史について語っていく。彼は千日戦争(1899~1901年まで続いた自由党と保守党による内戦)について次のように語る。

 神よ、サンブラノの政府に何を与えたもうたのか?
 すでにわれらは 兄弟で殺しあう二匹のケダモノのようだ
 サンブラノが現れたとき、町全体が震撼した
 やつらは一本の針も残さないよう、われらを丸裸にした
 四月九日のせいで、丸腰になった
 銃の前では多くのナイフも逃げていった
 なんてこった! 黒人たちにとって何という時代なんだ
(四月九日は自由党のリーダーだった、ホルヘ・エリエセル・ガイタンが暗殺された日)

 日本語に翻訳されてしまうと我々には分からなくなってしまうが、これは韻文であるから、英語でも韻を踏んだ詩として書かれているのだろう。トマス・サパタが架空の人物だとすれば、これはタウシグによる創作に違いないのだが、彼が歴史と詩について次のように考察するとき、この詩が創作であることがそれほど重要なことではなくなる。

「(詩は)人間が作りだした近似値として、現実性(リアリティ)を把握するわたしたちの方法なのだ。そして、詩が少し離れたところにある言語であるのとまったく同じように、それは他に影響をおよぼす類感呪術の形式でもあるのではないか? それは現実性を出し抜き、現実性を支配するためにやりとりをしながら、観念が強力な存在感をもつ類感の鎖にそって伝染する類感呪術の形式である。」

 タウシグはここで詩についての一般論を述べているのであって、トマス・サパタの叙事詩に限定して議論を行っているわけではない。
 ここで私は、レヴィ=ストロースが未開人における呪術と近代人における科学との構造的な類縁性を指摘した『野生の思考』における議論を思い出さないわけにはいかない。タウシグは詩(ここでは前近代的な韻文詩のことを言っているのだが)という形式を呪術の形式を結びつけているわけで、呪術に対して科学よりも詩のほうがより類縁性が高いという認識は間違った考え方ではないであろう。
 だからそれは前近代的な韻文詩のみならず、詩一般について敷衍されうる議論である。そうでなければ、ここでタウシグがベンヤミンのボードレール論「ボードレールにおけるいくつかのモティーフについて」における議論を思い出すわけがない。

「「対応すること」(コレスポンダンス)は、危機に耐えうる形式に経験を維持するもくろみとして、その詩人の仕事のなかで獲得される。だが、それにもかかわらず、近代の衝撃に直面し、この危機への忍耐力を保ち続けようとして、詩は敗北を受け入れる姿勢で形成されるのだ。」