玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(2)

2019年01月10日 | ゴシック論

●ノートル=ダム・ド・パリ②
 ルーブル美術館で目についたのも中国人の団体だった。彼らは館内の超有名作品、レオナルド・ダ・ヴィンチの〈モナリザ〉であるとか、ミロのヴィーナス像、あるいはサモトラケのニケ像の周りを集団で囲んで、スマホで写真を撮りまくっている。
 彼らはそれだけ見て写真に撮ればいいのだろう。美術館を訪れるどんな意味があるのだろうと思ってしまったが、ルーブルもフランスにとっては観光の目玉、中国人の団体はありがたい客なのだろう。
 中庭に出ると中国人達がミロのヴィーナスごっこをしている。一人が台座の上に立ってポーズをとり、他の仲間達がルーブルの建物を背景に写真を撮っているのである。さて、暑くなってきた。とても11月とは思えない。皆さんコートを脱いでいる。
 ルーブルの喧騒を逃れてノートル=ダム寺院に向かうことにする。カルーゼル広場から敷地を抜けて、セーヌ川右岸のフランソワ・ミッテラン通りへ。とうに昼を過ぎていてお腹もすいてきたのだが、重いものを食べる意欲もなくて、カフェに入ってクレープ・サラダとアイスクリームを注文する。
ヨーロッパではどこでもそうらしいが、一人あたりの量が多い。サラダもアイスクリームも優に二人前はある。我々日本人と違って体も大きいから、食べる量も多いのだ。で味の方はどうかというと、決してまずいわけではないが大味で繊細さがない。どこのレストランでもそんな感想を持った。本当に美味しい料理は星のついたレストランで、大枚をはたいて食べるしかないようだ。
 右手にポン・デ・ザール(芸術橋)を眺めながら、シテ島を目指す。ポン・デ・ザールは鉄製の橋で、近代的だが美しい橋である。このあたりから川岸の通りで風景画を売る画家達の姿が多くなる。どこもかしこも絵になるのだ。パリは芸術の都と言われるが、パリの中に芸術があるのではなくて、パリ全体が芸術なのだ。


これが私がパリで撮った一番の写真となった

 ルーブル通りにさしかかるあたりで一枚写真を撮った。セーヌの岸辺に降りていくカップルの後ろ姿が写っている。右に見える濃緑色のゴミ箱みたいなものが何なのか、その時には分からなかったが、後でこれが有名なセーヌ河岸の古本市の店舗兼倉庫と知った。
 左側に写っている幹の白い木は、葉っぱがポプラに似ていたから「ヨーロッパのポプラは幹が白いんだ」と思っていたが、多数の幹が根元から分岐して立ち上がっているところを見ると、ポプラではないようだ。
 しばらく歩くとポン・ヌフにさしかかる。ポン・ヌフは〝新橋〟の意味だが、17世紀初めに完成したパリで最も古い橋としてよく知られている。この橋を通ってノートル=ダム大聖堂のあるシテ島に渡るのだ。多くの画家がこの橋を作品に残していて、シャルル・メリヨンもまた一枚残している。


メリヨンの〈ポン・ヌフ〉

 古くは橋の上に家が建てられていたというが、メリヨンの作品にそれは見えない。19世紀初めの他の画家の作品に、橋上の建物が描かれている作品が確かにある。かなり広い橋だからそんなこともあり得たのだろう。メリヨンの版画にはひたすら頑丈そうな橋脚の上、橋桁に突き出た建造物が見えるが、今はそれはない。数日後に船でこの橋の下をくぐることになるが、石造りの見るからに頑強そうな橋で、400年もっている理由がよくわかる。

現在のポン・ヌフ

ポン・ヌフはシテ島の西の端、ちょうど船の舳先のようになっている狭い部分をかすめてセーヌ川を横断している。島に上陸して右に行こうか左に行こうか迷ったが、わざと遠回りすることにして、左の岸辺の通りを進む。
 見えてきたのは大変いかめしい作りの巨大な建物で、La palais de justice de Parisと書いてあるので、裁判所かなと思っていたが、後で調べるとやはりフランスの主要司法機関が入った総合庁舎のようなものと分かった。
 La palais de justice de Parisを迂回して左に進むと、Conciergerieと書かれた宮殿風の建物の前を通る。「面白い名前だな」と思っていたが、これも後で調べるとフランス革命時代の牢獄で、マリー・アントワネットが処刑の前まで収監されていたところと分かった。アントワネットはともかく、マルキ・ド・サドも1ヶ月間収監されていたところでもあり、有名なバスチーユ監獄はもうないのだから、見学すればよかったと後で思った。きちんと調べておかないからこういうことになる。