玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(12)

2019年01月23日 | ゴシック論

●酒井健『ゴシックとは何か』⑥
 少し建築のことから離れるかもしれないが、しばらく私の疑問につき合っていただきたい。
 酒井が紹介しているA・W・N・ピュージンという男が、ゴシック建築に入れ込んだ末にカトリックに改宗したという話は納得できる。ピューリタンの教会にゴシック建築などあり得ないからである。話がフランスのことに先走るが、J・K・ユイスマンスがカトリックへと回心したのも、ゴシック大聖堂の〝象徴の森〟としての存在に感化されたからであり、それが美学的な回心であったことは、その後の作品を読めば確かなことと確認できる。
 ならば、ゴシック・リヴァイヴァルはカトリック・リヴァイヴァルとイコールであったと言えるのかどうか。そこが私にはよく分からない部分なのだ。たとえば建築の話として、ディレッタントとしてのホレース・ウォルポールの場合、さらにはその後継者とも言えるウィリアム・ベックフォードの場合はどうだったのか。
 趣味の嵩じたあげくにウォルポールは、擬似ゴシックのストロベリー・ヒルを建て、ベックフォードも同じくフォントヒル・アベイを建てた。彼らの信仰の形態はどうだったのか。あるいはそれは美学的な偏向に止まるのだろうか。
 また英国国教会、正確にはイングランド国教会の位置づけがよく分からない。もともとはカトリックの教会であり、ピューリタンとは対立しつつも、カトリックとも距離をとってきた国教会のイギリス国内における比重はどうなのか。1829年のカトリック教解放(それまで禁じられてきたカトリックの教会を建てることを許した)というのは、ゴシック・リヴァイヴァルに並行するカトリック・リヴァイヴァルと考えていいのかどうか。
 そこで私はケネス・クラークの『ゴシック・リヴァイヴァル』をもう一度読んでみる必要に迫られる。なんと著者のケネス・クラークもまた、A・W・N・ピュージンと同じように、ゴシック建築の研究に一生を捧げた末に、カトリックに改宗しているというのである。
 以上の問題はだから、クラークの本を再読するまでの課題として保留しておくことになるが、さらに私には分からないことがある。それはゴシック・ロマンスに関係した問題である。
 私は以前、ゴシック・ロマンスがイギリスで生まれたのは、イギリスがピューリタンの国であったからだと言ったことがある。ゴシック小説はカトリック批判の要素を強くもっていることからの判断であったが、ゴシック・リヴァイヴァルがカトリック・リヴァイヴァルと相即であるならば、ゴシック・リヴァイヴァルの申し子であったゴシック・ロマンスがカトリック批判のために書かれたなどということはあり得ないことではないか。
 私の言ったことは大間違いだったのだろうか。ウォルポールとベックフォードはともかく、M・G・ルイスやC・R・マチューリンの小説は、中世のカトリックが民衆の上にふるった強権や道徳上の腐敗を糾弾しているではないか。もともとゴシック・ロマンスは中世に対する憧憬と批判を同時的に持つアンビヴァレントな形式であったが、そのような疑いと憧れはカトリックの支配を脱した国にこそ求められるだろうと思っていたわけだ。事実マチューリンはプロテスタント(アイルランド教会)の牧師であった。
ただし例外的な作品はあった。ジェイムズ・ホッグの『悪の誘惑』がそれである。『悪の誘惑』はルイスやマチューリンの小説とは逆に、ピューリタニズムへの批判に貫かれている。スコットランド生まれのホッグは、当時スコットランドに蔓延していたピューリタンたちの狂信、神に選ばれた者は〝悪〟を行い得ず、神を信じない人間を殺してもそれは〝善行〟と見なされるというような狂信を、徹底的に戯画化し批判の矢を浴びせている。
 そこに読み取れるのはほとんど反宗教的と言ってもいいような心情であり、その意味でもゴシック・リヴァイヴァル=カトリック・リヴァイヴァルという図式に違反している。
 解決すべき課題はしたがって、二つあることになる。一つはルイスやマチューリンのカトリック批判、あるいはホッグのピューリタニズム批判のどちらが例外で、だとしたらそれはゴシック・リヴァイヴァルの中でどのように位置づけられるのかということ。もう一つはゴシック・リヴァイヴァル=カトリック・リヴァイヴァルという図式が間違っているのではないかということだ。
 この二つの問題に答えを出すのは容易なことではないと思っているが、この問題を念頭に置いてこれからもゴシック関連の本を読み、解読を進めていきたいと思っている。