玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

建築としてのゴシック(22)

2019年02月03日 | ゴシック論

●ヴィクトル・ユゴー『ノートル=ダム・ド・パリ』⑦
 ユゴーが『ノートル=ダム・ド・パリ』の舞台にした15世紀は、ゴシック建築の完成期であると同時にその凋落の始まりの時期でもあった。グーテンベルクの発明した印刷術が思想表現のあり方を決定的に変えてしまうからだ。ユゴーはそのことについて次のように言っている。

「印刷術の発明は歴史上の一大事件である。あらゆる革命の母となる革命である。これによって、人間の表現形式はすっかり変わってしまった。人類の思想は、それまでの表現形式を捨てて新しい形式をとるようになったのだ。(中略)建築が人知を代表していた時代には、思想は山のような建物に表現されて、ある時代と、ある場所を力強く占領していた。だが、思想は、今や鳥の群れと化して風のまにまに四方へと飛び散り、世界中のあらゆる場所をいっぺんに占めてしまうようになった。」

「さらにいっそうじょうぶで持ちのよい紙の書物」とユゴーが言っていたことを思い出そう。紙は建築素材としての石より丈夫なものではもちろんないが、その複製可能性によって丈夫で持ちのよいものとなる。そして石と決定的に違うところは、石が限定された場所しか占有できないのに対して、紙の書物は世界を覆い尽くすことさえ可能だというところにある。
 だから「印刷術の発明は歴史上の一大事件」と見なし得るのである。思想表現が書物へと移行していくならば、建築は衰退の一途をたどるしかあるまい。ルネサンス様式は〝建築の新たなる夜明け〟と捉えられたかも知れないが、そのような認識は間違っている。ユゴーによればルネサンス様式はミケランジェロのサン・ピエトロ大聖堂を最後の光芒として、以後の建築は夕陽のように沈んでいくのである。
 建築の衰退はそれに縛られていた芸術家達に新たな道を切り拓くものでもあった。ユゴーは「教会彫刻は彫像術に、宗教画は絵画に、典文(ミサ中の聖体への祈り)は音楽に進化した」と書いている。印刷術はそれほどに革命的な変化をもたらしたのである。
 ユゴーはそこで「建築術と印刷術のどちらが、この三世紀以来、人間の思想を実際に表現してきただろうか?」という問いを立てる。「この三世紀」とは16・17・18世紀を意味しているが、15世紀までの建築の歴史が2000年ほどの(あるいはもっとそれ以上の)時間を費やしているのに対して、書物の歴史がわずか3世紀の時間しか経ていないことの違いを認識しておこう。
 時間のスケールの大きな違いにも拘わらず、ユゴーは印刷術の方に軍配を上げる。お金をかけずに手軽に作ることのできる書物が、ただの3世紀で物量的にも建築を凌駕するのみならず、「人間の精神の文学的、また学問的な熱狂ばかりでなく、その広く、深く、世界的な動きを」真に表現してきたのは書物なのである。
 最後にユゴーは次のように言っているが、この一文に建築術と印刷術に対する彼の考えは言い尽くされているように思う。

「こうした大理石のページを読み直して過去をかえりみることは必要である。建築術の記したあの書物を賛美し、絶えずそのページを繰ることは必要である。だが、次に登場した印刷術が築きあげた建造物の偉大さを否定してはならない。」

 つまり、ノートル=ダム大聖堂はいつも読み直して過去を顧みることのできる「建築術が記したあの建物」の1冊なのであって、そこに過去の人々の思想を読み取り、過去に学ぶことが優先されている。ユゴーのノートル=ダム修復・保存への熱意はそのようなものであった。
 私には以上のようなユゴーの非宗教的なバランス感覚を否定することができない。過去の遺物をありがたがって、新時代の技術を全否定するような反動的な精神をユゴーは持っていない。小説としての『ノートル=ダム・ド・パリ』もそのようなものであった。
 ところで我々もまた21世紀という時代に、書物の死とインターネットに代表されるコンピュータ技術の勃興という事実に直面しているのではなかったか。
(この項おわり)