●ジョリス=カルル・ユイスマンス『大伽藍』③
シャトーブリアンは「恐ろしさ」「神秘」「神々しさ」を、森林と大聖堂に共通するものとしているが、酒井も言うようにこれは明らかにエドマンド・バークの『崇高と美の観念の起原』の影響と思われる。もしそうでないとしても、二人の共通する美学がそこにはある。
バークの崇高の美学のリストには「闇」や「曖昧さ」も含まれていたことを思い出すと、そのことはユイスマンスとの共通点にも関わってくるのである。ユイスマンスは明らかにシャトーブリアンの美学を踏襲しているが、同時にバークの崇高の美学をも踏襲しているとも言える。
森林の闇や曖昧さ(不分明)、恐ろしさや神秘のなかに、ゴシック大聖堂の崇高を感じ取っているのであって、それは内観に止まらず、外観にも感じられることなのだ。そしてこのような感性は、エドマンド・バークによって発見されたものであって、それもまた極めて近代的な感性なのである。
主人公デュルタルの(ユイスマンスのと言っても同じことだが)視線は、しばらく巨大な刀身のような尖塔のに切っ先や、壁面の彫刻の上をさまよっているが、彼はやがて大聖堂の内部へと入っていく。
デュルタルがそこに見出すのは聖母マリアの偏在である。ステンド・グラスに現れた巨大な聖母だけでなく、いたるところに聖母がいる。「アフリカの女のように黒い聖母、蒙古の女のように黄色い聖母、黒白混血の女のようにミルク入りコーヒーの色をした聖母、それにヨーロッパの女の白い顔をした聖母」がそこにはいる。ユイスマンスは書いている。
「聖母はあたかも全世界から、中世人に知られていた限りでのありとあらゆる人種の外貌を借りて、この伽藍に馳せ寄ってきたように思われる。」
そしてユイスマンスはそこに、全人類の「仲裁者」としての聖母を読み取るだろう。中世人が聖母マリアを庶民と神とを媒介する「仲裁者」と見なし、そのことによってキリスト教の普及を促進させていった歴史が、そこに刻まれているのである。いずれにせよゴシック大聖堂のほとんどが、聖母マリアに捧げられたノートル=ダムであったことを忘れてはならない。
ユイスマンスはゴシック大聖堂に対し、美学的には森林の崇高を感じ取ったにせよ、宗教的には聖母マリアへの帰依によって、カトリックへと回心したに違いないのだから。そうでなかったら次のように書く必要はなかっただろう。
「聖母を親しく見て、聖母に直に話しかけることができた以上、彼は他の信者たちに席を譲って帰ってよいのである。」
と、実際にデュルタルは本当に帰ってしまうのである。ユイスマンスの回心の中心に聖母信仰があったことは明白で、すぐに帰る理由は、
「あのように遠くまで、あのように長いこと罪の諸国を遍歴したのち、デュルタルはようやく聖母の傍らに帰り着くことができたのだから。」
と期されている。『さかしま』と『彼方』を思い出さないわけにはいかないではないか。再びユイスマンスは森林の喩に戻っていく。
「生温かい大樹林は、闇とともに消え去った。大樹の幹はむろんそのままに根を下ろしているが、今度は地表から翔け上がって一気にめくるめく天空に冲し、途方もなく高い内陣の穹窿の下でひとつに結集している。森は今や一箇の広大なバシリカ教会堂となったのである。円花窓の全面火となって咲き乱れる聖堂、灼熱するステンドグラスの窓を穿たれ、夥しい数の聖母と使徒と族長と聖者とを持つ大伽藍となったのである。」
朝の明るさとともに、不分明で曖昧だった大聖堂は、森林の様相を弱めていき、やがて大聖堂そのものとなる。しかし喩としての森林が捨て去られたわけではまったくない。