玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ヘンリー・ジェイムズ『信頼』(3)

2020年02月06日 | 読書ノート

 この小説のテーマが男同士の〝信義〟と、男女間の〝恋愛〟の問題に絞られているとすると、そのいずれの場合においても掘り下げが足りないという印象を拭えない。『信頼』が、あの圧倒的に完成度の高い『ある貴婦人の肖像』の直前の年に書かれたということが信じられない。

 男同士の問題について言えば、妻に迎えたブランチ・エヴァーズとの危機の中で、ロングヴィルがアンジェラと婚約したことに傷つけられたライトが激昂して、あろうことか「妻と別れるから、もう一度私にチャンスをくれ」などと、アンジェラに迫る場面、このあり得ない行動に対して、私は大きな違和感を覚えざるを得ない。

 もしこの時、ライトが正気だったのだとしたら、ロングヴィルとアンジェラは二人で慎重に彼を説得しなければならないし、反対にライトが狂気に陥っているのだとすれば、彼に対応することはほとんど不可能なものになるはずである。

 しかしこの小説では、アンジェラが「私に任せて」という感じで、ロングヴィルはしばらくロンドンに避難して成り行きを窺うという、およそ考えられない対応を取る。アンジェラを狂人に任せてどんな危険があるか、彼らは考えなかったのだろうか。あるいはこの小説の結末として、アンジェラがひとりですべてを解決に導き、めでたしめでたしということになるのだが、一面では男同士の信義の問題を彼女ひとりで片づけるなどというのは、あり得ない筋立てでしかない。

 むしろジェイムズがその草稿で計画していたように、ライトが狂気の末に妻を殺害するといったストーリーの方が納得がいく。しかしそうはできなかったところにこの小説の大きな欠陥があるように思う。

 ヘンリー・ジェイムズの小説では、登場人物がストレートに本音で語るなどということは決してない。ある人物が考えていることは、絶えざるほのめかしや、はぐらかしの隙間からしか読み取ることができないのであり、それを読み取っていく過程にスリリングな楽しみがある。ジェイムズはそうした書き方をする作家であったはずだ。

 ところが、ロングヴィルとライトは最初は完全な親友としてうち解けあっているばかりであり、アンジェラを巡って信義の問題が生じた時には、彼らはお互いに地球の反対側に行っていて、二人でその問題について話す機会は設定されていない。

 そして最後にライトの狂気じみた激昂ということになるのだが、こんなストレートな発言がジェイムズの小説であり得るということ自体がおかしいではないか。ヘンリー・ジェイムズらしくこの二人の関係が設定されていれば、ライトはもっと婉曲に自分の恨みと失望について語らなければならないし、そこにはロングヴィルとの心理的争闘がなければならない。アンジェラに任せて、ロングヴィルは静観などということがあっていいはずもない。

 また、男女間の愛の問題について言えば、ライトとブランチの愛の形が描かれていないのは致命的である。どうして彼らが結婚に至ったのか、天と地ほども性格の違う二人がどうして愛し合うようになったのかが、まるで分からない。それが分からないとライトがブランチを殺す理由も、逆にこの小説で実現したように、二人がよりを戻す理由も読者には伝わりようがない。

『信頼』がロングヴィルの視点からのみ書かれているためということは、一つの言い訳にはなるかも知れないが、ならばライトに手紙を書かせればいいのであって、そうしなければ二人の微妙な愛の経過が分からない。つまりこのままでは、ライトが妻を殺そうが、妻とよりを戻そうが、どちらにも説得力がないのである。

 もう一つの愛の形、ロングヴィルとアンジェラの方は、結構よく書かれていると思う。シエナのカンポ広場での出会いについて、アンジェラがずっと口を閉ざし、ライトの激昂の場面に至るまでそのことを語らないという作り方も上手い。またロングヴィルが自分がアンジェラを愛していることに気付くところも、ヘンリー・ジェイムズらしいと思う。

 もったいないのはアンジェラである。これほどあらゆることに複雑な対応を見せ、頭脳明晰、沈着冷静な女性を、ライトのような狂人を手なずけるだけの役割で終わらせるのは、まったくもってもったいない。『ある貴婦人の肖像』のイザベル・アーチャーという不幸な女性を造形し、『使者たち』ではヴィオネ夫人という魅力的な女性を、『鳩の翼』ではミリー・シールとケイト・クロイという対照的な女性を、『金色の盃』ではシャーロット・スタントとマギー・ヴァーヴァーとを自在に造形して見せたヘンリー・ジェイムズはここにはいない。

 最後に私は以前、彼の小説でハッピーエンドで終わっている作品は一つもないと書いたことがあるが、例外があった。この『信頼』がそういう作品なのであった。

(この項おわり)