玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

オノレ・ド・バルザック『セラフィタ』(1)

2020年02月09日 | 読書ノート

 もうしばらくすると私は、「北方文学」81号の原稿のために、ヘンリー・ジェイムズの『鳩の翼』と『金色の盃』を読み直さなければならないのだが、今月いっぱいは好きな本を自由に読むことができる。そんなときに短編集は小説を読む楽しみが一編ごとに途切れてしまうために、お勧めではない。なんといっても長編に限る。

 そしてまたまたバルザックを読むことにしたのだが、それは彼の作品が冒頭から一気に没入することを許してくれるからだ。どの作品を読んでもその小説世界にすんなり入っていくことができるし、『絶対の探求』の冒頭のような延々と続く背景説明も、私には心地よい。

『セラフィタ』を今回選んだのは、この作品がバルザックの小説の中では、極めて珍しい幻想小説として位置づけられるものだからだ。『セラフィタ』は東京創元社版の全集に含まれておらず、日本語では国書刊行会のあのマニアックな叢書『世界幻想文学大系』によって、読むことしかできないのである。

『セラフィタ』の舞台はノルウェーのフィヨルド地帯に位置するヤルヴィスという寒村である。冒頭の導入部はこの村の地勢学的な描写によっている。いきなりバルザックはフィヨルドの俯瞰から始めて、読者をある〝高み〟へと導いていく。この〝高み〟がなぜ必要とされるのか、そのことを読者は後で納得させられることになる。作者はちゃんと予告することさえ忘れない。

「名前を聞いただけでも冷気を覚えるノルウェーの山々の頂は、旅行者を喜ばせるために万年雪を残しているし、危険を冒しても名誉になる訳ではないので、その崇高な美しさは処女地として保たれているが、それは、少なくとも詩にとってはまだ処女地である人間的事象、この地で実際に起り、以下に物語られる人間的事象と見事に調和するであろう。」

 この作品がバルザックにとって例外的なのは、それが幻想小説であるだけではない。「人間喜劇」のほとんどの作品が、パリとフランスの地方都市を舞台としているのに対し、この作品だけは外国であるノルウェーを舞台にしていることにもよっている。ノルウェーのフィヨルドとそれを囲む山々の頂は、彼の小説にとっても処女地なのである。

 バルザックは毛綿鴨の視点を借りてフィヨルドを俯瞰した後、ストロムフィヨルという名の湾の中に入っていく。

「ストロムフィヨルの全体の形は、見た所、波のために縁がぎざぎざになった漏斗のようだ。波浪があけた水路は、大洋と花崗岩という、一方はその不動性によって、もう一方はその活動性によって、力の拮抗する二つの被造物同士の戦いを彷彿させる。船の侵入を妨げているいくつかの風変りな岩礁が戦いの証拠だ。」

 この湾の奥にヤルヴィスという村があるのだが、バルザックはストロムフィヨル内の、岸壁と波濤の戦いの様相を描いて、そこがいかに厳しい自然に晒された地であるか、いかにその村に辿り着くのが難しいことかを描き出していく。

 村に入る前にバルザックはヤルヴィス村を見おろす峻険な山、ファルベルク山に一瞥をくれることを忘れない。この山もまたこの小説の重要な舞台となるからである。その山は次のように紹介される。

「麓はストロムフィヨルで波に洗われ、頂上は北風に吹きさらされている山はファルベルク山と呼ばれている。一年中、雪と氷のマントに覆われている山稜はノルウェーでも最も嶮しいものであるが、この国は極地に近いので、千八百フィートの高さでも、地球上で最も高い山々の頂と同じ位寒いのだ。この岩峰の頂上は、海側は垂直に切り立っているが、東側はなだらかで、寒さのためヒースや抵抗力のある木しか生えない階段状の谷となって、セイ河の滝につながっている。」