こうしたカトリック大聖堂の矛盾はだから、キリスト教の歴史そのものの矛盾に起因しているわけだし、そうした矛盾は大聖堂の物質的矛盾としても表面化してくる。私はシャルトル大聖堂の外貌について、それが威圧的で、無骨で、時にグロテスクで、強権的でさえあることを強調してきたが、そうした要素が大聖堂内部における聖母マリアの遍在、慈愛に満ちた空間の存在と大きな矛盾を示していることを最後に言っておかなければならない。
それはカトリックそのものの矛盾をその要因としているわけだから、大聖堂全般について指摘できることだと思う。私はパリ大聖堂とシャルトル大聖堂という、ある意味で対照的な二つの大聖堂しか見ていないが、シャルトル大聖堂がパリのそれに比べてそうした矛盾をより大きく抱えていることは一目瞭然である。
エドマンド・バークに倣って言えば、それは男性的原理と女性的原理の矛盾であり、崇高の観念と美の観念との矛盾である。私がタイトルにした〝崇高美〟というような観念についてバークは詳述していないが、それこそ矛盾に充ちた表現なのに他ならない。それでもなおシャルトルの崇高美はそうした矛盾のただ中に顕現するのである。
またカトリック大聖堂は高い塔や、高い天井、そして尖塔アーチによって〝昇高性〟を追求したというが、そこにも大きな矛盾が隠れている。カトリック大聖堂が宗教的な動機だけではなく、国王の権力誇示のために次々と建てられていったことは歴史的事実であり、そうした〝昇高性〟が、天に至ろうとする宗教的希求を意味するだけではなく、世俗権力の指標でもあったことは確かなことではないだろうか。
そうでなければ時代が下るに従って、大聖堂をより巨大化させ、その天井をより高くしていくような競争が起こることはなかったはずだ。ボーヴェの大聖堂が48メートルという無謀に高い天井を求めたために、工事中に崩壊事故を起こしたこともよく知られている。
結局ゴシック大聖堂は歴史的には、教会権力と世俗権力の拮抗の産物なのであって、そこにも矛盾が露呈している。また考えてみれば鉄筋コンクリートなどない時代に、建物の高さを求めれば求めるほど、外側の堅牢性を要求され、フライング・バットレスなどという苦し紛れの工法さえ考え出されたのであり、それによって建物の外貌が無骨でグロテスクになることは避けられないことであっただろう。
以上がシャルトル大聖堂を訪れて、私が考えたことの結論であるが、聖堂内部に気になる彫刻群があったので、そのことにだけ触れておきたい。
周歩廊の彫刻群
その細部
シャルトル大聖堂には内陣を囲む周歩廊といわれる部分に大規模な彫刻群が残されている。まるで聖堂の中の聖堂のような感じで、内陣を取り囲んでいるそれらの彫刻群は例の〈聖母被昇天像〉のような俗悪さは持っておらず、興味をそそるところが大きかった。
それがいつ頃の時代のものなのか、何故この位置にそれがあるのかなど子細は分からなかったが、刻まれているのが聖書の物語であることくらいは分かる。膨大な彫刻群で、そのリアリスティックで精巧な仕事ぶりは見事なものだった。
実はその彫刻群についてもユイスマンスは詳細に書いているのである。16世紀初めにジャン・スーラという彫刻家によって造られたものが中心になっていること、また時代が下るに従って愚作が多くなることなどを解説している。
いずれにせよどんな入門書よりも、どんな解説書よりも、ユイスマンスの『大伽藍』はシャルトル大聖堂について詳しく書かれたものである。もしもう一度シャルトル大聖堂を訪れることがあれば、ユイスマンスの本を熟読して、建物外部の彫刻群も内部のそれも、もう一度丁寧に観てみたいと思うのである。
(この項おわり)
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