玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

佐藤春夫『新編 日本幻想文学集成』より(2)

2022年02月02日 | 日本幻想文学

「新青年」的な要素は他にもあって、それは欧米の文学作品への言及という形で現れるペダアンティズムと、よく言えばモダニズム的な言説ということになろう。活動写真の俳優の名はウヰリアム・ウヰルスン(ポオの小説「ウィリアム・ウィルソン」から)というのだし、トマス・ド・クインシーの『阿片吸引者の告白』への言及もあれば、気障な英語を平気で遣うところもふんだんにある。このバタ臭さが「新青年」の大きな特徴であっただろう。
 確かに「大正夢幻派」というタイトルからも窺えるように、大正期ロマンティシズムの様なものが厳然としてあったのである。「新青年」に詳しいわけではないが、江戸川乱歩のペンネームは言うまでもなく、エドガー・アラン・ポオから来ているのだし、夢野九作や小栗虫太郎などもさかんに「新青年」に執筆していたのだった。
「新青年」に拠る作家達は、今から見ればその通俗性を指摘されても仕方がないが、ある意味でフランス19世紀の小ロマン派の作家達に似ているように思う。ヴィクトル・ユゴーに感化されたテオフィル・ゴーティエやペトリュス・ボレル、ジェラール・ド・ネルヴァルなどの作家が挙げられるが、いずれも奇矯なもの、不思議なもの、幻想的で怪異なものをテーマとし、彼らの作品もまた通俗性の刻印を帯びていると言ってもいいだろう。
 そういえば、佐藤春夫がよく読んでいたらしいトマス・ド・クインシーも、イギリスにおける小ロマン派の一人として位置づけられている。大正期のロマンティシズムはだから、小ロマン派的な作家やポオの強い影響下で、到底当時の現代日本では起きそうもない物語を展開したが、それがある種独特な言説空間を創り出したことも確かである。
 彼らの書くものがすべて幻想的なものであったわけではないし、佐藤春夫にしても幻想小説ばかりを書いていたわけでもない。『新編 日本幻想文学集成』に採られた作品の中にも必ずしも幻想的とは言えない作品(たとえば「美しき町」など)も含まれているが、その言説空間自体はいずれも夢幻的な性質を帯びている。物語の生起する場所自体が幻想的なのである。
 しかし、佐藤の「青白い熱情」や「海辺の望楼にて」を読んでみると、それらが如何にも底の浅いものでしかないことに気付いてしまう。前者はポオの詩編「アナベル・リイ」の、後者は同じくポオの短編「アッシャー家の崩壊」の影響を強く感じさせるものだが、いずれもポオの物まねの域を出ていない。ポオのモチーフが作者の中で消化され切っていないのだ。
「青白い熱情」は「アナベル・リイ」をなぞったものに過ぎないし、「海辺の望楼にて」にいたっては、出来そこないの「アッシャー家の崩壊」という印象しか受けることができない。「青白い熱情」に「私のロマンティシズムは実に力のないものであった。それはただ一つの趣味であって、そのなかには私の命がけの本質は何一つなかった」という一節があるが、佐藤春夫は自らの底の浅さを自覚していたのかも知れない。
 そこへいくと、「美しき町」という小説は出来のいい作品で、それはきっとこの作品が怪異に寄りかかっていないこと、奇矯な話ではあるが超自然を描かずに、一つの大人のメルヘンとしてまとめていることによるのではないかと思われる。つまり佐藤春夫は怪異や超自然を使いこなすだけの力量を持っていなかったという結論になる。また、「美しき町」には「海辺の望楼にて」に描かれたような、主人公の狂気の不自然極まりない誇張もない。佐藤はポオや小ロマン派の本質的な狂気も共有できていなかったのである。
 もう一つ言っておけば、この作家の文章はいただけない。「美しき町」から無作為に2箇所引用してみるが、通常の叙述の文章であるとはいえ、こんな建て付けの悪い文章でいいのだろうか。

「かうしてその奇妙な町の創立事務所になりかゝつて居るホテルの一室が、沢山のそれつきりもう来ない人を迎へてから後に、或る日そこへ、一人の痩せた小柄な髪が全く白くなつた老人が這入つて来た。老人の外見は面白いものの一つであつた。」

「かうして我々は、その建築技師とともで三人になつて、三人の我々が一緒にその計画の遂行を急ぐやうになつたのはそれから二週間ほど後のことであつた。仕事の時間は川崎の註文によつた夜で、その七時半から十一時半までと定めた。併し、どうして! ただ四時間とは決るものではない。我々は楽しみのつづくかぎり、?々十二時の時計に駭かされた。」

 



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