玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

オノレ・ド・バルザック『従妹ベット』(2)

2019年07月19日 | 読書ノート

 リスベットは陰険でずるがしこい女だと言ったが、これは正確ではない。リスベットのシタインボックに対する献身的な奉仕・保護は、彼女の優しくて母性的な性格をよく表しているではないか。

 彼女にとって大切な男(恋人というよりは彼女の非保護者のような存在)を、アドリーヌの娘オルタンスはリスベットから奪うのであるから、嫉妬するなと言っても無理な話だし、復讐もまた正当な理由がないとは言えないのだ。

 しかし、ヴァレリーという高級娼婦が登場し、ユロ男爵が彼女を自分のものにしようと動き始めると、リスベットはヴァレリーの裏に回って暗躍を始めるのである。彼女は従姉アドリーヌやその娘、そして世路男爵に対して正面から戦いを挑むのではなく、一見ユロ一家の味方をするかのように偽装しながら復讐を遂げようとする。

 このあたりがベットを本物の悪党ではなく、こすずるい小悪党に止める部分であって、だからこの小説の主人公としての資格を欠いていると思うのである。

 ベット以上の悪党がいるとすれば、それはヴァレリーであって、この小説の後半はこの女を中心に動いていく。男が五人も彼女の周辺に群がってくる。まずはヒモのマルネフ、最初に彼女に血道を上げるユロ男爵と彼に敵愾心を燃やしてヴァレリーに言い寄るクルヴェル、さらにはヴァレリーに誘惑されるシタインボックともう一人、ブラジルからやってきた古い愛人モンテスもいる。

 ヴァレリーはこの五人の男たちと、お互いに察知されることなく関係を続けていくが、その手練手管こそ真に高級娼婦の名に値する偉業といわなければならない。彼女はこの男たちから莫大な金品をせしめるのであり、彼女こそが真の悪党だと言えるだろう。

 これほどの徹底した金銭への欲望を前にすると、ヴァレリーをかえって憎めなくなるのも事実である。ユロ男爵が彼女に血迷って家産を傾けてしまうのも、クルヴェルが裏切りを知らずに金品を貢ぎ続けるのも、シタインボックが妻のオルタンスをないがしろにして家庭の危機を招くのもみな自業自得であって、「そんなにいい女のためならすべてを失ってもいいではないか。どんどん入れあげろ」とさえ思ってしまうのである。

 しかし本当に度が過ぎるのはユロ男爵である。疾うに破産に瀕しているからユロはヴァレリーのために自分の地位を利用して、公金を私する汚職も辞さない。しかもその汚職の手先となった叔父のフィッシェルを自殺に追い込んでしまう。しかしそれでもユロ男爵は悔いて身を改めることがない。

 ユロ男爵はその後地方に左遷されたり、家族に対する面目なさから出奔したりするのだが、彼は行く先々で女遊びを繰り返す。ユロ男爵はバルタザール・クラウスと同じように、懲りない人間なのである。

 バルザックはこの小説の最後にも懲りない男の面目躍如といった場面を用意している。貞淑な妻が「あなた、私はもうこの命を差し上げるほか、何も差し上げるものがございません。もうじき自由になれましょう。そしたら、また新しい男爵夫人をお迎えなさいまし」と言い残して死んだ三日後、ユロはパリを去り、十一カ月後には若くて新しい女を妻に迎えるのである。

 このときすでにユロ男爵は七十五歳くらいのはずで、まさに艶福の極みである。ユロ男爵がクルヴェルと違っているのは、金に飽かせて女を漁るのではなく、家族に窮乏を強い、家産を傾け、犯罪に手を染めても金を作って女色を追求するところである。それだけでなく、ぼろぼろになった彼を救う女たちにも事欠かないのである。

 ユロ男爵のこうした〝行きすぎ〟は彼にバルザックの小説の主人公となる資格を与えているのである。

(この項おわり)

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿