玄文社主人の書斎

玄文社主人日々の雑感もしくは読後ノート

ジュリアン・グリーン『モイラ』(1)

2015年02月24日 | ゴシック論
『アドリエンヌ・ムジュラ』があまりにも素晴らしかったので、グリーンを続けて読もうと思い、候補に高橋たか子訳の『ヴァルーナ』と私の嫌いな福永武彦訳の『モイラ』の2作を挙げてみたが、全集の月報で私の好きな加賀乙彦が『モイラ』をドストエフスキー的な作品として評価していたので、まず『モイラ』を読むことにした。
『モイラ』は第1部と第2部に分かれているが、表題のモイラは第2部にしか出てこない。いささか身持ちの悪い魅惑的な若い娘の名で主人公ではない。主人公はジョゼフ・デイという色白の美男子だが、髪は赤毛で差別の対象ともなる。根っからの求道者であり、そこがこの小説のキーポイントとなる。アメリカの大学の下宿街を舞台にしている。
 ジョゼフの頑迷な禁欲的思想を中心に、彼の周りにホモセクシュアルや自由思想の持ち主、彼を差別する謎の学生ブルース・プレーローなどの登場人物が配置されている。ジョゼフの周辺はことごとく彼の偏狭な禁欲思想の攻撃の的とされる。
 ジョゼフは決して魅力的な人物として描かれない。彼の禁欲的なピューリタニズムは周囲の嘲笑の的ともなるが、彼は動じない。ジョゼフは下宿生たちに対し酒を飲んだと言っては攻撃し、女遊びに興じたと言っては責め立てる。時には暴力行為にまで及ぶいささか滑稽で危険な人物として描かれる。ジョゼフはグリーンの分身ではない。
 アメリカの大学が舞台だが、そういえばジュリアン・グリーンの両親はアメリカ人であり、グリーンなどというフランス人らしくない名前はそのためだったのだ。彼はだからアメリカ流のピューリタニズムについて知悉していたに違いない。
 グリーンのテーマはいつでも〈性〉である。『アドリエンヌ・ムジュラ』でもそうだが、禁じられているのはいつでも〈性〉そのものであって、それはグリーンが性欲というものに罪の意識を持っていたためだとされている。しかもグリーンはホモセクシュアルに対する強い願望を持っていた。
 主人公ジョゼフに恋するが、ジョゼフの冷酷な扱いに絶望して死ぬホモのサイモン・デマスにはグリーンの欲望が投影されているようだ。
「ジュリアン・グリーン全集」第4巻(人文書院・1980)福永武彦訳。
 

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