弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

理解することと行動すること

2011年02月20日 | 日記

意見が違うときに、わかってもらおうと思って、一生懸命に説明をする。
相手はわかったという。

あー、わかってくれた。これで、変わるはずと、ほっとする。

ところが、一向に動きがない。
ウン。オカシイ。わかってくれなかったのかな?
そこで、また、くどくどと説明しようとする。
ところが、今度は、すぐにわかったという。

なーんだわかってくれていたんだ、良かった、こんどこそ、やってくれるだろう。
やっぱり、かわらない。
こういうことって、よくありますね。

いままで、どうしてなんだろう、と、それこそ理解できないでいました。

昨日、歩きながらいろいろ考えていて、閃きました。

「わかることと、実行するということは、次元が違うんだ!!」

良く考えれば、あるいは、そんなこと考えなくても、当たり前のことですよね。
でも、毎日の生活の中では、人はわかればやってくれる、
わかったということは、やってくれるということだ、と錯覚しています。
だから、わかったといってくれたのに、そのとおりしてくれないと、
裏切られたと感じるのだと思います。

そして、飛躍です。私の思考はしばしば飛躍するのが特徴です。
そういえば、裁判官が相手の主張をおかしいと思ってくれた、
だから、こちらの言うことをわかってくれた、と理解すると、
大抵は裏切られる・・・
おかしいと思ってくれたということと、相手の主張を否定するということは
これまた次元が違うことなんです。単なる一歩にすぎません。
おかしい、から、嘘だ、と認めてもらうのは、また大変な作業です。
ところが、もっと大変なことは、相手がいうことを嘘だとわかっても、
それじゃ、こっちのいうことを認めてくれるかというと、これまた、違うのです。

確かに、それは嘘かもしれない、でも、ほかに何かあるはずだ、というわけです。
ほかにあるって何があるの?と、
しつこく聞いても、兎に角何かあるはずだというわけです。

この何かを探求しようとしても、無駄です。いつまでも続きます。
多分、みんな、経験でわかっているはずです。

じゃ、どうするか?

何でもいい、何だかわからない、
ただ、相手をその気にさせるしかないことだけは確かです。

それでは、相手をその気にさせる具体的な方法?
これは、もう、ケースバイケースです。正解はありません。

なんだ、ただ頭の体操をしただけ?
そうでもありません。
他者とのかかわりというのは、そういうものだという現実を、しっかりと
頭と身体に叩き込んでおくしかない、ということを改めて確認したことです。
何度も何度も叩き込むということです。
そして、もっとも大事なことは、それでも、人間を信じる、愛するという気持ちを
失わないということだと思います。

気持ちがすっきりとしたところで、電車に乗りました。
今日の話し合いはきっとうまくいくだろう!!
背筋を伸ばして、
颯爽と、カッコよく・・・・