弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

マグリットのピレーネの城

2011年02月21日 | 日記

日経日曜日の「美の美」はいつも楽しみにしています。

2回にわたって、ベルギーの画家、ルネ・マグリットが取り上げられていました。
「超現実」とか「現実と幻想の同居」とか「魔術」などの言葉が躍っています。
良く知っている「光の帝国」と「ピレーネの城」の絵などがこの日曜日のテーマでした。

昔の私は、こういう絵は理解できませんでした。
写実的なものの中にしか美とか真実とかを見出すことができませんでした。

ピレーネの城は素晴らしいと思いました。(ネット上から転載したものです)

ただ、「超現実」とか「現実と幻想の同居」という評論には賛成ではありません。
実際のピレーネ城がどのようなものか残念ながら知りません。
そもそもあるのかどうかも知りません。
しかし、この絵のようなものでないことは事実でしょう。

このブログをお読みいただいていると、
このような見方をする人がいるかもしれないと、私が考えているかもしれない、
ということは、あるいはご理解いただけるのではないでしょうか。
つまり、このピレーネ城は「超現実」でも「現実と幻想の同居」でもありません。
画家、つまりはマグリットにとっては、これが彼のみるピレーネ城なのだと思います。
彼の中での真実なのだと思うのです。
そして、私に、あるいはこれを素晴らしいと思う人たちに感動をあたえるような作品に
仕上げたということは「魔術」であり、彼の才能なのだと思います。
巨大な岩が空中に浮かぶことなどあり得ないのですが、マグリットにとっては
そんなことはどうでもいいのです。
彼にとっては、ピレーネ城はこのように見えるのです。

これまで、公正であるべき裁判について、裁判官にバイアスがかかっているとか、
常識では考えられないような判断をする例があることを
事あるごとに書いてきました。

マグリットのこの絵は、彼にとってはこのように見えるのです。
そして、感動を人に与えたとすると、やはり、このような表現方法もあるのです。
写実的に描いたものがより一層人に感動を与えられるというわけではありません。

ウィキペディアによると、
「マグリットの絵画は、画家自身の言葉によれば、「目に見える思考」であり、
世界が本来持っている神秘(不思議)を描かれたイメージとして提示したものである
デペイズマン)。」とありました。
この考えには同感です。

さらに、「この点は、夢や無意識の世界を描き出そうとした他のシュルレアリストとは
異なっている。」とありましたが、これにも納得です。

あくまでも現実だが、「思考」の現実を見える化したものだということでしょう。
そもそも、人間の世界の現実というのは、「人の思考」=「人」なのですから。
マグリットの超現実に見える絵に、人が感動するのは、いかに超現実のように
みえても、それはやはり、「一つの」「現実」であるからだと思います。

でも、裁判は、裁判官個人のひとつ(思考)の現実ではなく、
最大多数のみる現実を探ることです。
そこが芸術とは違うところです。
間違ってはほしくないですね。