もうチョットで日曜画家 (元海上自衛官の独白)

技量上がらぬ故の腹いせにせず。更にヘイトに堕せずをモットーに。

立皇嗣の礼と立太子の礼の違いを学ぶ

2020年01月22日 | 天皇・皇室

 秋篠宮殿下が皇位継承順位第1位となられたことを内外に宣明する立皇嗣の礼の式次第が決定した。

 次期天皇となられる方は「皇太子」と呼ばれ、立太子の例が行われるものとばかり思っていたが、既に秋篠宮殿下の称号が「皇嗣」であることから、憲政史上初めて「立皇嗣の礼」の名称が定められたと解説されている。明治以降の大正天皇・昭和天皇・平成天皇はいずれも天皇の直系男子であったために立太子の礼以降は皇太子の称号で呼ばれていたが、秋篠宮はこれからも皇嗣と呼ばれるのだろうか。 秋篠宮家の悠仁(ひさひと)親王殿下(2006年9月6日生まれ(現在13歳)が相応の年齢に達した場合の称号はどうなるのだろうかと思い、過去の立太子の礼について調べてみた。 昭和天皇は大正天皇の即位後に16歳で、平成天皇は19歳の成年式と同時に、今上陛下は平成天皇即位後の1991(平成3)年に31歳で、それぞれ皇太子となられている。当然のことながら、皇太子となるためには父親が天皇に即位していることが条件であり、今上陛下や秋篠宮殿下が崩御するまで皇太子は空位となる公算が大きい。万が一、悠仁親王殿下が御結婚されて別宮を立てたり秋篠宮を相続するケースを考えると、今後数十年に亘って皇室には皇太子が存在しないことは確実であろうと思う。こうなると、対外的に混乱するのではないだろうかと心配するものである。今回の「立皇嗣の礼」という儀式名称が憲政史上初めて定められたと報道されているが、皇室の歴史でもなかった儀式ではないだろうかと思うので、次期天皇(皇位継承順位第1位)であることを内外に・明確に示すためにも、関係法律を改正して皇位継承順位第1位の皇族は皇太子とする方が適当ではないだろうかと思う。あまりにも有職故実と皇室典範に固執することは、皇統の神秘性の維持には大きな意味を持つであろうが、国民にも判り易い精度に改めるのも必要と思うものである。

 自分の知識と学力では、極めて普遍的かつ高邁な理念が説かれているとされる教育勅語や、終戦の詔勅を完全に読み解き・理解できない。あの語彙と表現を、僅か数十年前の国民(我々の親世代まで)は読み解き理解していたことから考えれば、国学と国語力に於いて現代人は半世紀前の人間には及ばないこと確実である。古き酒を新しい革袋に納める時期に来ているのではないだろうか。国会議員ですら「八紘一宇」の意味を知らない時代ですぞ。



大嘗宮木材の再利用法に考える

2019年12月10日 | 天皇・皇室

 令和陛下即位に伴う一連の儀式も滞りなく終了した。

 即位式、大嘗祭、親謁の儀(伊勢・奈良・京都歴訪)と半年間にわたる行事が、国民慶賀のうちに終了したことは、まことにおめでたいことと思う。昨日、宮内庁は大嘗祭の舞台として架設された大嘗宮の解体後の木材について、バイオマス発電の燃料として使用すると発表した。理由としては、無乾燥の物があることや、溝や釘跡があることから住宅用に転用できないということとされているが、燃やしてしまうのは何ともモッタイナイとも思う。罰当たり・不敬の極みと思うものの、大嘗宮材木の再利用法は以前から考えていたが、余りにも貧乏人根性丸出しであるとともに、神秘・神事を冒涜するものと控えていたものである。密かに考えていた利用法は、木片として希望する国民に下賜・頒布するというものである。この方法は、宣明の儀は無論のこと、即位パレードにも駆けつけることができない遠隔地在住者や老幼者に対する余福として、効果抜群であろうと考えたからである。しかしながら最後になって、このことには偽物を作ることが簡単であり、ネットオークションという売買の場があることから、やめた方が良いと結論付けざるを得なかった。ジョー・ディマジオの思いのこもったマリリンモンローの遺品が遺族によってオークションにかけられて好事家の手に渡り、歴史的文書にサインした万年筆が金満家の手に渡るご時世では、転ばぬ先の杖と”きれさっぱり”燃やしてしまうのが最良であるのかもしれない。

 30年前に崩壊したベルリンの壁の一部と称する握り拳大の土塊(真贋不明)が、ヤフオフに3,600円で出品されていた。神奈川県庁が廃棄したHDDが廃棄受注社の社員によって盗み出され、個人情報を含む大量の内部資料が流出したが、これもネットオークションという場が存在したことが大きいと思う。また、有名ブランド品の偽物がオークションで流通していることから、メーカーがオークション主催者に警告する事案も起きている。神奈川県庁の例では、県庁職員や廃棄受注社首脳は、廃棄業務が済々と行われていると思っていたであろうが、倫理観に欠けた担当者1名によって全ての信頼感が損なわれることとなった。このように、多くの人手が介在する際に発生する”蟻の一穴”の危険性は常に存在するが、盗品や偽物を容易に換金できるネットオークションが、蟻の一穴を増やしているように感じてならない。ネット販売やオークションは「便利なツールではあるが悪意もまた存在する」ことを心すべき、と銘じて、終演。


内奏映像の公開について

2019年05月21日 | 天皇・皇室

 宮内庁が陛下に対する安倍総理の内奏の映像を公開したことに一部野党が過剰反応している。

 野党の主張は、映像の公開は「天皇の政治利用」に当たるとするものである。憲法で天皇は「国政に関する権能を有しない」とされているために、天皇の役割を国事行為のみに限定して内奏を行う必要性はないとする論もあるらしいが、天皇は国賓の接遇や駐日大公使の信任状奉呈等の対外公的行為も担任されるので、日本国の現状を把握されるための内奏は必要であると考える。内奏の歴史をウィキペディアでみると、《芦田内閣時に、内奏は内閣総理大臣によるもののみとし閣僚によるものを廃止したが、第2次吉田内閣で閣僚による内奏が復活し、現在においても首相をはじめとした閣僚による内奏は不定期ながら行われている。政府は内奏について「天皇の教養を高めるために閣僚が所管事項の説明を行う」「国情を知って頂き、理解を深めて頂くということのためにご参考までに申し上げる」》としている。内装の映像公開は今回が初めてではなく、2013年10月にも宮内庁が公開しているが、当時の野党からは特段の反応はなかったとされている。以上の理由から、今回国民民主党の玉木代表と共産党の穀田国対委員長が天皇の政治利用と述べたことには疑問を持つものである。天皇の政治利用の例としては、民主党政権時に小沢一郎氏が慣例と儀礼を無視して、まだ国家元首でなかった習近平氏を天皇陛下に拝謁させたことや、園遊会で陛下に手紙を渡そうとした山本太郎氏の行動が思い出される。また増原恵吉防衛庁長官が内奏後に陛下のお言葉・ご感想を公にした事件も有名である(詳細は巻末に紹介)。しかしながら、今回の映像では音声もなく、宮内庁の説明の通り「皇室と陛下の日常の広報」以上のものではないと思う傍ら、内奏を疑問視して政治問題化しようとする玉木氏や穀田氏こそ天皇(天皇制)を政治的に利用しているのではなかろうかと思うものである。

 歴代天皇は観劇やスポーツ観戦に対しても贔屓の有無は口外されない。好きなTV番組は?と質問された昭和天皇が微笑んで口を濁されたように、ストイックなまでに不偏を貫かれておられる。有名人や総理大臣とのツーショット写真を掲げて日常の政治活動をPRする政治家も、陛下の写真を利用する人は少ないと思う。現憲法に定める立憲君主制下にあっては、天皇は政治的に無言で中立を貫き、国民は列国元首に負けない識見を持つ天皇を期待している。そのためにも内奏や御進講は必要であり、玉木氏は天皇が「裸の王様」であられることを良しとしているのだろうか。 

《参考:増原問題》1973年5月26日、田中角栄内閣における防衛庁長官の増原惠吉氏は昭和天皇に「当面の防衛問題」について内奏したとき、昭和天皇は「近隣諸国に比べ自衛力がそんなに大きいとは思えない。国会でなぜ問題になっているのか」と述べられた。増原防衛庁長官は「おおせの通りです。わが国は専守防衛で野党に批判されるようなものではありません」と述べると、昭和天皇は「防衛問題は難しいだろうが、国の守りは大事なので、旧軍の悪いことは真似せず、よいところは取り入れてしっかりやってほしい」と述べられた。増原防衛庁長官はこの内奏の後に(感激のあまり?)記者会見でこの会話を公表し、「防衛二法(防衛庁設置法、自衛隊法)の審議を前に勇気づけられた」と話した。しかし、現役閣僚が天皇の政治的発言を紹介したことが5月28日に新聞記事に掲載され、野党側は「天皇の政治利用である」との批判を行い政治問題化した。問題が皇室に及ぶことを回避するため5月29日に増原防衛庁長官は辞任した。


陛下即位の「賀詞」と共産党を考える

2019年05月10日 | 天皇・皇室

 衆院が今上陛下即位の賀詞を全会一致で議決した。

 今回の賀詞は、平成天皇即位の際には議決に反対した共産党も賛成しての全会一致であった。今回賛成した理由について共産党の志位委員長は、「当時の綱領が”君主制の廃止”を謳っていたが平成16年の改定で考え方を変えたため」としているが、現在の綱領でも「国会を名実ともに最高機関とする」、「一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」と規定しているので、立憲君主制(天皇制)は廃止することを婉曲表現に変えただけと解釈される。新元号発表時(4.2)の党首コメントに対して書いたことであるが、ここでも共産党の巧みなレトリックが見て取れる。局外者には字面どおりの理解を要求しつつ組織内には紙背にある思想を伝達する巧妙なもので、その他にも「(特権階級や生産の国営化による)旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」と反共者に独自性と柔軟性を強調する傍ら、「人口が一三億を超える大きな地域での発展として、二一世紀の世界史の重要な流れの一つとなろうとしている」として中国式の開放経済による社会主義政権を目指すとしているが、現在、中国が人権や反対意見を強権で抑圧しているのは常識であるので、中国という国名を明記しない表現にしている。ソ連崩壊後、西側諸国の共産党はこぞって党名をソフトなものに変更したが、現在でも共産党(マルクス政党)を掲げているのは日本だけと聞いている。この背景には中国共産党に阿ざるを得ない裏事情の存在が覗えるとともに、レトリックによるまやかしが通用するとの判断に立っているのではないだろうか。

 また、志位委員長は賀詞中の”令和の御代”との表現にも「御代は天皇の治世という意味になり、憲法の国民主権の原則にもなじまない」とも述べているが、改元や御代代わりに示された国民の熱情を考えれば、国民は令和を天皇の時世とは考えるが委員長が述べる治世と考える者は極めて少数と思う。中国では習皇帝が誕生しようとしているが、彼の子供が国家主席になった場合にも、日本共産党は中国礼賛を続けるのだろうかと興味が湧くところである。


 


3種の神器を学ぶ

2019年04月19日 | 天皇・皇室

 今上陛下が伊勢神宮に御代代わりを御報告するため、天皇としては最後になる行啓が行われた。

 行啓と伊勢神宮参拝には、皇統継承の象徴である3種の神器のうち剣璽を携行されてお宮内庁職員が奉持する姿も放映されたが、記憶を新しくする意味から改めて3種の神器について勉強した。3種の神器は改めて述べるまでもないことであるが、八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)であり、八尺瓊勾玉(璽と称される)のみは宮中に祭られているものの、八咫鏡は御神体として伊勢神宮に、天叢雲剣(剣と称される)は御神体として熱田神宮にそれぞれ祭られており、皇居には八咫鏡と天叢雲剣の形代(模型)が安置されている。神話については割愛するが、3種の神器の形状は残された資料の研究によって、戦乱や火災のために神武天皇即位時とは異なるものとされているが、皇統の精神性については連綿として継承されていると思う。3種の神器の形状・詳細については明らかでなく、唯一明治天皇が八尺瓊勾玉をご覧になったことが記録されているだけとされている。想像であるが、伊勢神宮や熱田神宮の造営・改修に携わった人々や、剣璽の容器の作成・補修に従事した少なからぬ人々が目にしたであろうが、今に至るまで詳細が明らかとならないのは喜ぶべきである。目にしたであろう3種の神器について、知り得た秘密を家人にすら語ることもなく墓場まで持って行った多くの人々かいたからこそ実現したものであり、永遠に続いて欲しい美徳である。今回、陛下の行啓に携行された神器であったが、あそこまで一般の目に触れるように公にする必要があったのであろうかと些かの疑問を感じた。奉持する職員は屈強でもなく、映像で見る限り神器を警護する集団の存在も感じられなかった。神器が皇室だけのものではなく広く国民が目にする機会を与えたいという陛下のお考えによるものかと忖度するものの、天皇制に反対する国内外の勢力にとっては、皇統の象徴を汚すことは格好の標的であると思われるので、もう少し厳重な警備であってもよかったのではないだろうか。

 先日、大火災で尖塔が消失・崩落したノートルダム大聖堂では、所蔵品である「いばらの冠(キリストが磔刑時にかぶっていたとされる)」が無事であることが報じられた。無神論者である自分としては、その真贋には少なからぬ疑問を感じているが、信者にとっては「いばらの冠」の裏にあるキリストの精神を感じれば十分であり、真贋は問題ではなく論じることすら奇異に感じるだろう。同じように3種の神器も「日本教」の象徴であり、神器の真贋はとるに足りないもので、況や科学的な検証等は不要であるとともに、形状や現況が明らかとされることは望まないところである。