西部池袋本店でのストライキが報じられた。
ストライキは、セブン&アイ・ホールディングス(HD)が傘下のそごう・西武百貨店を米投資ファンド売却によって雇用継続が危ぶまれることと理解しているので、組合員には将に死活に直結するものだろうと同情している。
大型百貨店でのストライキは昭和37年以来61年ぶりとされているが、報道を見る限りでは「総評」華やかりし往時とは大きく様相を変えているように思える。
記憶している当時のストライキでは、赤鉢巻姿の従業員が会社を占拠して赤旗を林立させたり、ストライキを事前察知した会社側が事業所を閉鎖したり、と攻防は激しかったが、今回のストライキを見ると、ビラ配布やデモもあったようであるが、参加者は応援を含めても300人程度とされてているので池袋店の組合員数900人に比べれば静かなものであったように思う。
父島勤務では、半年に1度10日間の休暇が許可されていた。補給の護衛艦で横須賀に帰投したが、折悪しく春闘の真っ最中で東京駅には辿り着いたものの間引き運転の新幹線をホームで数時間待った記憶がある。当時の国鉄は、尖鋭的な国労と動労が利用者を置き去りにする「順法闘争」を繰り広げ、それが日本の労働争議の手本とも化していたが、一方で、尖鋭的なストライキと袂を分かった労使協調路線の鉄労は非組合員と協力して最小限のダイヤを維持していた。経済成長期になると国労と動労の様に利用者・国民を人質とする尖鋭的な闘争は次第に国民の支持を失い、国鉄民営化に伴って尖鋭的な活動家がJRに再雇用されない事態となっても、それを不当とする空気は起きずに世間はむしろ「当然の報い」とするようになった。こう考えれば、国鉄民営化・JR誕生が日本の労働運動の転換点・分岐点であったのかも知れない。
自分は組合活動や労働争議の経験が無い。いや、1度だけ「異議なしと云っていれば弁当が貰える」と誘われて友人の努める製鉄会社の組合大会に参加したことがある。組合大会と云っても子供が大声を挙げながら会場を走り回っている有様で、議事は全く聞こえなかったが2・3回「異議なし」と拳を突き上げて弁当を貰った。
多分であるが、大方の組合員は社員であることを除けば自分と同じでは無かったかと今でも思っているので、連合の政党支持選択が国政選挙の行方に大きく影響すると云う主張も幾らかは割引いて眺める要があるのではないだろうか。