インドが国名を変更する可能性が取り沙汰されていることが報じられた。
憶測は、本日開催されるG20の議長国であるインドが、夕食会招待状にホストを「バーラント国大統領」としていることから生まれたものである。本日知ったことであるが、インド憲法ではインド、バーラント双方を国名とすると定めており、現実にはヒンディー語を使用する場合はバーラントと表記し、英語の場合はインドと表記することが定着しているそうである。
バーラントとは古代インドの有力部族の名に因んでいるそうであるが、インドもインダス川などに由来する捨て難いものらしく、呼称の変更・統一は国論を二分する程のものではないように思える。
第二次大戦後、多くの植民地や衛星国が独立した。独立に際して多くの国は植民地や衛星国時代の呼称を継承したが、近年の民族アイデンティティ復古に押されたナショナリズムの台頭によって、国名を受難時代や宗主側の呼称から有史初期の古語に回帰することが増えているように思う。
チトーに率いられ戦後東欧の要ともされたユーゴスラビアは消滅し、日本映画の名作「ビルマの竪琴」と聞いても「どこの?・何の?話」となり、グルジアはジョージアに・キエフはキーウに・・・と目まぐるしい。
国名もさることながら、歴史や英雄の再評価によって地方自治体や都市の名称についても改称が進んでいるが、愛着有る名称を変更するには確執が生まれるのは当然のようで、ヴォルゴグラードは1925年まではツァリーツィン、1925~ら1961年は官製のスターリングラードとされていたが、ヴォルゴグラード以後もスターリングラードに愛着を持つ住民が多いことから2013年以降は年に数日のみ市名をスターリングラードに戻すという苦肉の策を採っているそうである。そういえば、鳥取県は「梨県」・「砂県」・「蟹取県」・・・と矢継ぎ早に愛称を積み重ねた結果、今や県民ですら「何県」か分からない状態とされている(笑)。
東洋学園大学の桜田淳教授は、歴史を証明するためには呼称の永続性が不可欠とされている。
世界中で数百万人の死者を出した新型コロナ肺炎は、当初「中国コロナ」「武漢ウイルス」と呼ばれていたが、WHOの提唱するCOVID19に沿う形で新型肺炎という呼称が一般化した現在、コロナの起源地が中国であるということすら風化しつつあり、おそらく高校生以下では知らない人の方が多いのではないだろうか。
当初は全世界から相手にもされなかった韓国の「日本海⇒東海」の主張も、アメリカの航空地図に「東海」と誤記されたように、徐々に地歩を固めつつある。