障害者スポーツで初 宮内庁が発表 福岡県飯塚市で開催
宮内庁は13日、福岡県飯塚市で開かれる車いすの世界大会「飯塚国際車いすテニス大会」など四つの障害者スポーツ大会に天皇杯や皇后杯を贈ると発表した。スポーツ分野で天皇杯は20、皇后杯では12の大会に贈られているが、障害者スポーツ大会では初めて。
宮内庁によると、天皇陛下は皇太子時代の1964年の東京パラリンピックで名誉総裁を務めるなど、皇后陛下と共に障害者スポーツに心を寄せ続けた。こうした両陛下の思いから、来年4月30日の退位を前に贈ることを決めたという。
飯塚国際車いすテニス大会では、男子シングルスの優勝者に天皇杯、女子シングルスに皇后杯を贈る。同大会を候補として推薦した日本障がい者スポーツ協会は「広く知られた歴史のある大きな大会であり、世界四大大会に次ぐ大会として格付けされていることも評価した」としている。
このほか天皇杯は日本車いすバスケットボール選手権大会と全国車いす駅伝競走大会、皇后杯は日本女子車いすバスケットボール選手権大会に贈る。賜杯は23日に宮内庁から同協会に渡され、車いすテニスでは今年5月の大会から優勝者に贈られる。
飯塚国際車いすテニス大会は九州車いすテニス協会主催、西日本新聞社など共催。今年で34回目を迎え、毎年10~20カ国の選手が熱戦を繰り広げている。
■「世界一誇れる大会に」 前田会長 父の遺志継ぎ運営30年 飯塚車いすテニスに天皇杯
「選手やボランティアの皆さんのおかげです」。飯塚国際車いすテニス大会優勝者に天皇杯、皇后杯が贈られると発表された13日、大会会長を務める前田恵理さん(63)=福岡県飯塚市=は目頭を押さえた。1985年の第1回大会で実行委員長を務めた父公三さんの後を継ぎ、大会運営に携わり約30年。炭鉱閉山で衰退した筑豊に活気を呼び、障害者の社会参加への道を開こうとした亡き父の姿に「天国で喜んでいるかな」と思いをはせた。
旧産炭地の筑豊では、かつて炭鉱事故で多くの人が脊髄損傷を負った。飯塚市には国内有数の専門医療機関、総合せき損センターがあり、事故や労災で車いす生活になった人たちがリハビリのため体育館で練習を始めたのが大会開催のきっかけになった。
地域で顔の広かった公三さんは「力を貸してほしい」と頼まれ、「家に閉じこもりがちな車いすの利用者にもっと外に出てもらおう」と動き始めた。地元企業をはじめ福岡県庁や東京・霞が関も訪ね回り、協力を求めた。狭心症の発作を抑える薬が手放せない体を押して奔走した公三さんは87年、第3回大会を前に60歳で亡くなった。
テニスの経験があり、当初から審判などとして関わってきた前田さん。「言ってはいけないことがあるかもしれない」。初めは、車いすの選手たちにどう接していいのか戸惑いもあった。一緒に汗を流すうちに、彼らの明るさ、生命力にどんどん引き付けられた。大会を支えるボランティアや市民の思いも同じだった。
飯塚には、車いすが通りやすいよう入り口を広くし、段差をなくした居酒屋もできた。大会を通じ、バリアフリーの広がりを実感している。天皇杯、皇后杯の授与を機に「人に優しいまちづくりがいっそう進んでほしい」と願う。
「世界一誇れる大会にするよ」。父の年齢を超えた今も、その背を追って走り続ける。
飯塚国際車いすテニス大会 1985年、障害者の社会復帰と車いすテニスの普及を目的に、福岡県飯塚市で地元の飯塚ロータリークラブなどが主催し第1回大会を開いた。2004年には世界四大大会(グランドスラム)に次ぐアジアで唯一のスーパーシリーズ(SS)に昇格。男女シングルスメインで06年からは国枝慎吾選手が6連覇、13年からは上地結衣選手が5連覇を果たすなど国内勢が活躍している。
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天皇杯、皇后杯授与の発表を受けて喜ぶ前田恵理会長
=2018/03/14付 西日本新聞朝刊=