ぽちぽち行こう

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今はほとんど水彩画のお絵かき教室報告になってます

原爆をゆるすまじ

2009-08-18 00:14:00 | ネタ
こんにちは。
毎度毎度間が空いてすみません。
昨日の夜は17日締め切りの宿題のレポートを三時半までかかってやってました。
お盆中はなんだか落ち着かなくてドラクエのダンジョンや錬金は出来ても、
お勉強は出来ませんでした。
お勉強は夜に切羽詰ってから集中して、でないとなかなか出来ません。

もう一昨昨日ですか、終戦記念日したね。
テレビ東京系の番組で、出征していった絵が好きな兵士が愛する人や子どもを描き残して行った絵を収蔵した
無言館」という美術館の話題が出ていました。
絵を紹介できないのがざんねんです。

志半ばで、愛する人の絵を書き残して出征して行った人たち
生きていたらどんな芸術を追求したかったのだろう、
書き残していった絵にどんな気持ちを絵にこめようとしたのだろう。

大急ぎで吐き出すように描きあげられた作品を見ながら、
彼らの無念を思うとともに

時間を与えられている自分の幸運と、それゆえに時間を無駄遣いしてしまっている自分の情けなさ、
自分なら愛する人の絵をどのように描くのだろう、と思いました。

いつかゆっくりじっくりと描いてみたいです。




戦争つながりでもう一話題ですが

私は長崎の原爆落下中心地に程近い小学校の卒業です。
毎年NHKで放映される長崎の平和記念式典では隣の小学校と変わりばんこで
在校生が小学校で定めた平和を祈念する歌)を歌っています。

毎月九日には平和集会という朝礼があって、校長先生の話を聞いて、平和の歌を歌って、
原爆殉難者の碑と平和の碑に黙祷していました。

私は両親が戦後ずいぶん経ってから長崎に引っ越してきたので、被爆者でも被爆者の親類もありません。

長崎で直接聞いた被爆関係のの話はあまりありません。

8月9日の登校日に当時の教頭先生から
「爆心地から数キロ離れた町で被爆したが、その時髪の毛が抜けてそれっきり生えてこない。」
それまで内心「はげ~」と思っていたので、すまないことをしたなあと思いました。
(いや、普通にはげの人にも思っちゃいけないんだけれど)

長崎から海を挟んでの島原半島に住む親類の話
「原爆の日午後、長崎の上が真っ黒になってすごい雨が降ってきた。数日たって、長崎からどんどん人が逃げてきたが、その後具合が悪くなって死んでしまった」

浦上天主堂近くに住む人の話
「婿養子の親父が復員してきたら家族が全員死んでいた。それから親父は再婚して、俺たち兄弟をもうけた。」
(原爆がなかったらこの人は生まれなかったかも知れませんね)

くらいのものです。


長崎で育ったんだもの、平和の大切さへの思いや原爆反対!の気持ちはあります。
ですが、

戦争を止めるのにきれいごとだけ言っていていいの?
実情を知れば平和を維持するのに軍備や駆け引きが不可欠だとわかるのではないか?
特定な思想や宗教があると思われて、浮いちゃうかも~

などと言う思いから、大人になって
人目をはばからず平和や原爆のことを語る気持ちにはなれませんでした。

ここに
被爆者ではないけれど、広島で育ったこうの史代さんの漫画があります。

何年か前に映画になりましたよね。

夕凪の町 桜の国

このお話のあとがきで
以下文中より引用~

   ~「原爆」にかんするものは避け続けてきたのです。
 でもやっぱり描いてみようと決めたのは、そういう問題と全く無縁でいた、いや無縁でいようと自分を、不自然で無責任だとこころのどこかでずっと感じていたからなのでしょう。わたしは広島に生まれ育ちはしたけれど、被爆者でも被爆二世でもありません。被爆体験を語ってくれる親戚もありません。原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で同時に「よその家の事情」でもありました。怖いと言う事だけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた。しかし東京に来て暮らすうち、広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について本当に知らないのだという事にも、だんだん気づいていました。わたしと違ってかれらは知ろうとしないのではなく、知りたくてもその機会に恵まれないだけなのでした。だから世界で唯一(数少ない、と直すべきですね「劣化ウラン弾」を含めて)の被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、わたしが広島人として感じていた後ろめたさより、もっと強いのではないかと思いました。遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えていかねばならない筈でした。まんがを描く手が、わたしにそれを教え、勇気を与えてくれました。 ~以上 引用

似た環境で育った私は、彼女の文章に非常に共感を覚えます。
私にはまんがにする才覚も世に問う勇気もないけれど、

このちっぽけなブログでこれだけは書き記しておこうと思います。

今後原爆や核兵器が人を殺すために地球上で炸裂するようなことがあってはならない。

一気に人の命を奪うことのみならず、
生き残った人が後遺症に苦悩し、いつ原爆症が発症するか不安におびえ
それを語ることで
結婚や就職の差別を受けはしまいかと不安におびえて暮らさなければならない兵器は
全く人道的ではありません。
チェルノブイリの火災が国を超えて被害を及ぼしたように、
放射能の脅威は国や時間を越えて地球全体に影響をもたらす可能性もあります。

地震で家を失った人、
がんに苦しんだ人が、他の人がもうこんな苦しみを抱えて欲しくないと願うように
今後原爆で苦しむひとのないように、と切に願います。

最後に被爆体験を募った長崎東高(長崎県立東高等学校)在京同窓会のホームページを紹介しておきます。
市内でも歴史のある進学校で思想的に偏りのあるサイトではないことを明記しておきます。
必要以上に感情表現を交えない文章が、原爆投下後を生きる人の愛情や強さ、やさしさ、あるときはしぶとさ?を伝えてくれます。

…と、この文章は書くにもなかなかしんどくて、昨日から何回かに分けて書いていたのですが、
昼食前に下書きとして投稿したつもりが、ふつーにUPしてしまいました。
紹介するサイトへのリンクや
拍手のお礼がまだでした。
拍手は15日朝9時、16日朝6時、18日午後7時にひとぽちずついただいております。
どうも有難うございました。
前回書いた前後は本当に暑いはいそがしいはでつらかったのですが、
ちょろっと日記を見て本当に励みになりました。
18日の分はこの日記宛かもしれないよ、
フライング投稿、いささか恥ずかしいのですが、もしこの記事宛の拍手だとしてら、
勇気出して書いてよかったなあと思います。

また、もう既にコメントをいただいているようでうれしいと共に恐縮です。
明日から二泊三日で沖縄に行ってきます。(単にホテルでうだうだするだけ)
インフルエンザと地震で心配だけど、ツアー料金カードで払っちゃったもん行くっきゃない!
帰ってきてからコメントのお返事はゆっくりさせていただこうと思います。<m(_ _)m>
丁寧なコメントをどうも有り難うございました。



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2 コメント

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Unknown (イコ)
2009-08-18 22:53:57
こんばんわ。こちらにコメントするのは随分久しぶりな気がします。
『夕凪の街 桜の国』はわたしも読みました。『夕凪の街』の最後、まっしろなコマの中でぽつぽつと語られる主人公の言葉に涙を抑え切れなかったのを覚えています。

どんな理屈があろうとも、無差別にひとが殺されてゆくという事はあってはならない筈です。なのに、原爆が落とされて半世紀以上立った今でも、悲劇は繰り返されている。どうして、ひとはその手を止める事ができないのだろう。そういう疑問が、今の自分の創作を支えています。

わたし自身も、簡単に他人を憎んでしまう弱い人間です。もしテロなどが起こって、家族や友人が殺されたら自分も相手を殺してやりたいと思ってしまうかもしれません。
けれど、10年以上憎み続けていた人が死んだ時、自分の中に残されたのは耐え難い虚しさと悲しさでした。人と人が憎みあうということは、結局は何も生み出さないのだと、今なら言う事ができます。

『戦争ダメ』『原爆ダメ』と言う事、語る事を綺麗事として片付ける人たちがいます。その人たちにも根拠ある考えや主義主張があります。それは当然の事でもあるのでしょう。
けれど、主義主張理屈の先には『事実』が存在します。その事実は、悲劇です。原爆を許すということは、その悲劇すら、悲劇の中で苦しみ、傷ついた人が存在することすら許容してしまうのだということを忘れてはいけないのだと思います。
8月6日に、アメリカでヒロシマ・ナガサキの原爆に対する意識を調査したアンケート結果が公表されました。
6割以上の人が、原爆がなければ戦争は終わらなかったと思っているようでした。けれど、『原爆をゆるしてはならない』と言った2割の人たちの半数以上が、若い世代だったと言う事でした。
希望は、潰えていない。そう思いたいです。

何だか話が微妙に逸れている上に長文でごめんなさい;
せっちゅうさんの思いを知る事が出来て良かった、と思います。ありがとうございました。
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Unknown (せっちゅう)
2009-08-24 01:13:27
こんばんは。コメントをいただいておきながらお返事が遅れてすみません。
私の書いた文章にひとつひとつ感想をつけて答えてくださって有難うございました。

「夕凪の街」は原爆の破壊力や、原爆症の苦しみなどは学んだり資料館で見て知っていたけれど、
人を差し置いて生き延びてしまったと責める苦しみなど、別の苦しみを与えるんだと改めて教えてくれた作品です。

イコさんの自分の経験を通しての戦争や殺戮に対するゆるぎない見解や、
(私が日ごろ自分の本の周囲だけ見回して、
うんうん今日も平和だとうなずいているのとするともっと、もっと、)
争いの絶えない世界に
広い範囲に視野を広げて、深く胸を痛めておられるんだな、ということがわかりました。

私は、現代の戦争は相手方を自分と同列の人間でない、別物であると、
割り切って、切り捨てるところから始まるのだと思います。
また、原爆はやむを得なかった、と今後原爆を許さないは、同じ円グラフの中で考えることではない、と思っています。そういう意見の人が増えて欲しいです。

「現実はこうだから…」という大人の分別のようなものの中で、
何かを切り捨てている自分がいるなあと、
切り捨てて見ないようにしているのは何なのか、と
それでも体裁を繕わずにはおれない自分がいるなあと
戦争とかそれ以外のことも含めて
改めてイコさんのコメントに教えられた気がしました。

真摯で熱意あふれるコメントをどうも有り難うございました。

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