平安期を支配していた貴族たち。彼らに共通の、逃れられない不安・恐怖-それは老い・死であった。名声も権力も、そこでは全く無力である。やがて末法思想が大きく台頭し、鎌倉仏教が登場することになる。
【略注】○雪=(白い)雪。四句・結句の縁語として、「白髪」を暗示する。以下、「降り」が
「経(ふ)り・古(ふ)り」に掛かる。
○紀貫之=悠 012 (07月11日条)既出。
昨朝。芝生の涼気を吸いながら食事をしていると、耳慣れない鳴き声がする。木へもぐったり、急降下して畑の(多分)虫を採ったり、無線用のタワー(全高15m)へ止まったりして、忙しく動き回っている。慌ててカメラを持ち出して撮影。運よく、五分間ほど待ってくれた。少しずつタワーのラティスを上へ移動し、尾を動かしながら啼き続けている。この写真は、10mぐらいの高さだろうと思う。それを仰角60度ぐらいでの超望遠撮影なので、原寸では鋭い瞳まではっきり見える。写し終わったら、さっと飛び立った。あとで調べたら、もず(♂)と分かった。
一見すずめのようだが、この写真でも分かるように、嘴から目の後へかけて、黒い線が流れている。これを過眼線という(そうだ)。この線が黒いのが♂、茶色いのが♀。鳴き声が聞えないときは、この過眼線で判定する、ということも知った。
* 同日夕刻のメモ。「十五夜さんの邦楽の夕べ」に出かける。創作長唄「西行峠」は、
たしかに長かった。そのあとの長唄童謡「お月さま」は、会場の皆さん、ご一緒に、と
いうことで、私を含め大半は長唄未経験のようだったが、かなり元気よく声が出た。
「お月さまいくつ 十三七つ まだ年ゃ若いな・・・」の出だし。三味線の伴奏で、長唄
真似事はじめ。
琴(と筝とは、実はちがうのだが、プログラムにしたがって)は「(源氏)夕顔」がメイ
ン。今は立たされているわが家の琴。かつては横になって、私の相手をしてくれたの
で、多少の知識はある。筝曲の流派には山田・生田があること、調子には平・雲井・
半雲井・新古今などがあること、同じ調子でも、山田と生田では呼び方にちがうもの
があること(山田の曙は生田の中空)、などなど。前から三列目なので爪から山田流
と分かり、調子は耳に馴染む感じから平と推測(両方あたり)。