「絶世の美女」と今に伝えられる女性。その彼女にも、先にも述べたような、容赦のない冥府の使者が近づく。
巻第八哀傷歌(あいしょうのうた)は、0757から0856まで。平仮名現代詠は初の試み。
【略注】○浅緑=霞の色とされる。春霞も月夜の霞も、そしてここでは荼毘(だび)の霞も
浅緑色に描写される。
○野べの霞=霞のように広がる野辺送りの煙。岩波版には「昇霞」の語の引用が
ある。
○小野小町=生没年・閲歴ともに不詳。平安前期の歌人。小野良真(または良実)
の娘、小野篁(たかむら)の娘(または孫)など、出自も諸説。「絶世の美女で歌才に
も恵まれていた。」(日本図書センター版『日本女性人名辞典』) 詠歌は、当時の超
一流貴族たちとの恋歌の贈答を中心に、約200首が残る。謎に包まれた「恋の歌人
(うたびと)」。
【補説】哀傷歌。「『万葉集』の挽歌(ばんか)にあたり、人の死を悲しみ嘆く歌をいう。〈哀傷
歌〉という言葉は、『万葉集』にも見え」る。「勅撰和歌集の部立用語としては『古今集』
の巻第十六に配されたのが最初。」(小学版)
庭の桜草。ようやく寂しくなっては来たものの、花期は長い。仲良しの幼稚園児が遊びに来て、帰りぎわに、ふっとこの花一輪を手折り取って、「プレゼント」と、私にくれた。その優しい心根に胸が熱くなった。
この写真がそれ。大切な一輪が萎れないうちに、接写してPC処理し、永久保存とした。