私の依拠本では「題知らず」だが、西本願寺本『伊勢集』には、「人[男]の返事せざりければ、楓を折りて、時雨のする日」の詞書がある。(小学版) 初めのうちは熱心に文を寄越してくれ、自分も丁寧に返し文をしていた。それなのに、しだいに男からの便りが間遠になり、文章も通り一遍のものになって、言葉数も少なくなった。もしや心変わりでは? せめてこの楓を眺めて、心「変えで」あらまほし・・・。というのが、悠山人の解釈。どの歌もそうだが、どうあがいても原歌の格調には、遥かに及ばない。
ひらかなy100:おことばが すくなくなって しぐれまで
よそよそしくて さびしくなるわ
ひらかなs1241:ことのはの うつろふだにも あるものを
いとどしぐれの ふりまさるらん