悠山人の新古今

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紫式部集050 帰京して

2006-06-03 05:05:00 | 紫式部集

2006-0603-yms050
帰京してはっきり知ったことでしょう
かどの固さと浮かれた気持ち   悠山人

○紫式部集、詠む。
○略注=男の恨み節への「返り事」。故郷の京都へ戻って、よく分かったでしょう。岩のように固い私の心に、あなたの浮わついた波をぶつけても、びくともしないのですよ。
 ¶かへりては=「(都へ)帰り」「(波が)返り」と掛ける。
 ¶岩かど=「(海中の)岩角」「(私の家の)岩(のように固い)門」。
□紫050:かへりては おもひしりぬや いはかどに
      うきてよりける きしのあだなみ
□悠050:ききょうして はっきりしった ことでしょう
      かどのかたさと うかれたきもち

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○資料(夕刊「いわき民報」2004年06月04日、「心の時代と科学」第3回所載)
「紫式部『心』の歌 -自己へのまなざし-」いわき明星大学教授 斎藤正昭

 寄せては返す波のように、『源氏物語』ブームと呼ばれる現象は間断なく訪れている。千年以上も昔に書かれた、この虚構の物語が、なぜ現代も我々の心を引き付けて止まないのか。その答えの一つは、作者紫式部自身の心の在りように由来する。我が国屈指の物語作家は、誰よりも深く厳しく冷静に、自己の心を見つめ続けた女性でもあった。
 紫式部の三代前の祖先は当時、教養人として名高かった堤中納言藤原兼輔である。彼が娘桑子を思って詠んだ和歌、
    人の親の 心は闇に あらねども 
    子を思ふ道に 惑ひぬるかな  (『大和物語』)
は、広く世に知られていた。「心の闇」という言葉は、近年、少年犯罪等のキーワードとして、安易に使用され過ぎている感があるが、ここでは、我が子への情愛のため理性を失う親の心情を表している。この曽祖父の歌を紫式部は深く心にとどめていたらしく、『源氏物語』中、実に二十数箇所で引用している。彼女もまた、肉親への恩愛より生ずる「心の闇」に惑い抜いた人である。
 二十代半ばで紫式部は遠縁の藤原宣孝と結婚、一女賢子をもうけている。しかし、二才にも満たない娘を残したまま、親子ほど年の離れた夫は程なく死去し、紫式部は以後、再婚することなく、娘の成長を見守り続けた。『源氏物語』を執筆し始めたのは、亡夫の一周忌を過ぎた頃と言われている。
 このような境遇の中でも、彼女は常に自己を凝視する理性を持ち合わせていた。そのことを象徴する彼女の歌が残されている。  
    亡き人に かごとをかけて 患ふも
    おのが心の 鬼にやあらむ   (『紫式部集』)[044]
  右の歌の詞書(前書)には、“物の怪”が取り憑いた妻の傍らで、その鬼になった先妻を退散させようとして、夫がお経を読んでいる絵を見て詠んだとある。ここで紫式部は、新妻に取り憑いた“物の怪”を、亡き先妻にかこつけて悩んでいるが実は夫自身の「心の鬼」、すなわち良心の呵責に過ぎないのではないかと断じている。当時、信じられていた“物の怪”を心の持ちようと喝破しているのである。
 しかし、これ程までに合理的な精神の持ち主も、幼子を抱えた自らの将来の不安を思うとき、悩みは尽きなかったようだ。彼女の心の軌跡は、次の歌からも窺われる。  
    数ならぬ 心に身をば 任せねど
    身に 従ふは 心なりけり  (『紫式部集』)[055]
    心だに いかなる身にか 適ふらむ
    思ひ知れども 思ひ知られず  (同)[056]
  ある時は「身」に従い、ある時は「身」に従うのを拒む「心」-紫式部にとってさえ、「心」は不如意なるものにほかならなかったのである。しかし、この二律背反する「心」と「身」の認識の深化は、次なるステップへの足掛かりともなっていった。  
    身の憂さは 心の内に 慕ひ来て
    いま 九重(=宮中)ぞ 思ひ乱るる  (同)[091]
 「身」と「心」の葛藤を抱えながらも、紫式部は彰子中宮への宮仕えを決意。以後、『源氏物語』の完成に向けて邁進することとなる。
 紫式部の家集は、彼女の次のような代表歌で締めくくられている。  
    世の中を なに嘆かまし 山桜
    花見る  程の 心なりせば  [131]
 ひとときは満開の桜の美に酔いしれても、人の世の嘆きが尽きることはない。紫式部が生きた千年の昔も、科学・技術が長足の進歩を遂げた現代においてさえ。

 [  ]内は悠山人補記。
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短歌写真162 紫陽花の-諸兄

2006-06-03 02:20:00 | 短歌写真

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紫陽花の八重咲くごとくやつ代にを
いませわが背子見つつ思はむ  諸兄

○短歌写真、詠む。
○橘諸兄(たちばなのもろえ。684~757)。万葉集巻二十、4448。紫陽花は、原文(万葉仮名)
では「安治佐為」、その左注(さちゅう)に「味狭藍」の用字。「紫陽花」は、もともと中国から伝来した花・字で、「しようか」と写され、「あじさい」とは別物であったようだ。
□あぢさゐの やへさくごとく やつよにを
  いませわがせこ みつつしのはむ
*now playing : Artist=Consort of London|Track=BACH J C - Sinfonia in D Op.3 No. 1*
 http://65.19.173.132:4086