悠山人の新古今

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【資料】新古今集冷泉家写本

2006-06-15 21:00:00 | literature

鎌倉期の連歌、大量に/冷泉家・新古今集写本の紙の裏に

 新古今和歌集を写した冷泉家所蔵の鎌倉時代の写本の紙の裏側(紙背)に、当時盛んだった連歌が大量に記録されているのが確認され、刊行中の冷泉家時雨亭叢書第81巻『冷泉家歌書紙背文書・上』(朝日新聞社)で全編発表されている。13世紀の連歌が、断片だけでなく完成形で見つかったのは初めてで、形式が整う以前の連歌の姿がわかる貴重な史料という。
 連歌は、和歌を五七五、七七と進めて百句まで行くのが基本(百韻)だが、五十句(五十韻)や三十六句(歌仙)などの短い連歌もある。
 冷泉家に伝わる『新古今集・文永本』は、文永11(1274)年から翌年にかけて書写さというれた本で、禅忍という僧侶が筆者。当時は使用済みの紙の裏を利用することは普通で、紙背には、手紙や連歌の記録(連歌懐紙)があることが以前からわかっていた。
 『文永本』をほどいて紙背文書を検討したところ、八つの連歌が確認でき、うち二つは五十韻と百韻の各完成形だった。禅忍ら六、七人のサークルが、楽しんでいたらしい。禅忍は遊びの記録の裏側に新古今集を書写したわけだ。
 連歌に詳しい京都府立大教授の赤瀬信吾さんによると、連歌のルールの一つに、「賦物(ふしもの)」という必ず詠み込む題決めがあるが、十四世紀以降、文芸性が高まっていくにつれ決めなくなっていく。今回確認された連歌は、すべて賦物で作られていた半面[ママ、引用者注]、変化を求めるための規則(去嫌<さりきらい>)はまだ、あまり見られないという。
 「連歌の古い姿を伝えている」と赤瀬さんは語る。          (大上朝美)

朝日新聞、2006年6月15日(木)、文化総合面所載。(全文引用)


紫式部集061 庭池に

2006-06-15 05:20:00 | 紫式部集
2006-0615-yms061
庭池に映る悲しい顔立ちは
涙を落とし滝音になる   悠山人

○紫式部集、詠む。
○略注=藤原道長邸で仏典講義があったとき
。簀子渡しの上から池を見下ろして、と詞書。平王ク歌番号069。平王クでは詞書が全く異なる。
 ¶かごと=第044歌(05月25日条)既出。
□紫061:かげみても うきわがなみだ おちそひて
      かごとがましき たきのおとかな
□悠061:にわいけに うつるかなしい かおだちは
      なみだをおとし たきおとになる
*now streaming : Artist=BACH CPE|Track=Gallois flute - Concerto f flute in A Wq 168*
 http://65.19.173.132:4086