西欧では、オルガンと言えば、パイプ・オルガンを指す。ヨーロッパで生まれ、キリスト教の宗教音楽として、教会と深く結びついて発展して来た。今の日本では、一般の演奏会用ホールにも多く設置され、教会のものを含めると、おそらく優に百台を越えるのではないか。
ところで今回の資料収集の過程で、東京芸術大学や東京国立劇場のオルガンが、看過できない重大問題を抱えていることを知った。愛好家の一人としては、早期の善処を望むばかりだ。
巻第七賀歌(がのうた)は 0707 から 0756 まで。ほぼ天皇賛歌である。
【略注】○しら波=「白波」と「知らな(知らないままの。かかわりのない)」を掛ける。
○伊勢=伊勢守藤原継蔭(つぐかげ)の娘。中務の母。
【補説】評価。「波に動じない岩根に、永久の栄えを暗示しているが、
山風の変化に世の変動を暗示し、祝意を深くしている。」(小学版)
ことしも近いうちに美術館野外劇場でフラメンコ公演の予定がある。これは去年の秋の撮影。自分用のアルバムに、こう書いてあった-「半信半疑の瞥見の心算が、彼女らの出現によって瞬間に吹っ飛んだ。そこはもうイベリア!」
エスパーニャ。英語風に訛ってスペイン。スペインを漢字で「西班牙」。「西の国」は、方角と国名初字を掛ける。
千年後にまで名を残す偉大な歌人が、こんなふうに詠んだ。これを書く私も読むあなたも、いずれこういう心境を受け入れるのか。作者八十八歳(数え年表記が通用)の詠。「文字どおり、明日[も]知れない老境」の作(小学版)である。
巻六冬歌(ふゆのうた)は 0706 で終わる。
【略注】○今日ごとに=毎年の大晦日が来るたびに。
○藤原俊成=悠 026(07月28日条)既出。
写真は自宅のではなく、公園の富貴草のなかにただ一輪の彼岸花。
曼珠沙華(まんじゅしゃげ)はサンスクリット由来で、「天上に咲」き、「見る者の心を柔軟にする」と言われる花。(広辞苑) テラヴァーダ(上座部)仏教(平安期までの日本の仏教)以来、仏典の吉祥(赤い花)天来の思想に合い、彼岸のころに咲くということで、仏教で大切にされている。
葉と花が入れ替わりに現われることから、朝鮮民族の間では「相思華」と呼ばれるとか。
万葉集にも「いちしの花」としてあるというが、未確認。
読み:吉祥=きっしょう。(瑞祥=ずいしょう=と入れ換えてもほぼ同じ)
埋火(うずみび)。僧侶は、平安期までは、自己救済が第一だったはず。無常観が常識とはいっても、高僧がこういう歌を詠む、それを採る。現代ではなかなか理解出来ないけれど、それが新古今集の世界である。こうした背景から、平安末期に台頭した末法思想は、たちまちのうちに衆生救済を唱える鎌倉仏教として、人心を捉えることになる。
【略注】○埋火=古語・現代語とも、読みは「うずみび」。広辞苑に「うもれび」の読みはな
い。まだ消え切らなくて、灰に埋めた炭火。現代の家庭からは、炭火を使う生活が、
すっかりなくなり、この言葉も「埋火」状態になっている。
○消えは消えなで=消えることについては、消えてしまわないで。
○生きて=自分が「生きる」と、炭火を「埋(い)ける」を掛ける。
○永縁(ようえん)=藤原から出家。権僧正。興福寺別当。悠山人が参照する三
全集版とも「ようえん」を第一の読みとする。
地球温暖化の気配もない時代だから、雪が降るといったら、だいたいは豪雪と考えていい。空気もきれいだし、嗅覚も、現代人とは比較にならないくらい鋭かった。そういう状況を想像しながら、かすかな春へのいざないを読む。
【略注】○まがへたる=(紛ふ)見間違えるほどの。
○雪もよに=雪の中に。「もよ」は希用らしく、「源氏物語」に用例を見る程度とか。
「も」「よ」ともに感動助詞か、と小学版の注。
○源通具=悠 051 (09月05日条)既出。
世界第二の高峰はK2。8611m。その裾からバルトロ氷河 the Baltoro Glacier が伸びる。1954年にイタリア隊が初登頂してからは、長いあいだ誰も寄せ付けなかったが、ついに77年、日本隊が登頂に成功した。そのときの記録映画、「白き氷河の果てに」を、美術館の隣の文学館で見た。静かな感動の初見。
この写真は文学館入口の水場。右下の角錐が山を表意している。
「天霧る(あまぎる)」。この歌に出会うまで、知らなかった言葉。強烈に脊髄神経を刺激された。ただそれだけの理由で、これを選んでみた。やまとことばの奥深さは、際限がなさそう。
【略注】○天霧る=空一面がけぶる。
○ふる里=「降る里」「古里」の掛詞。里は都に対して田舎。古里は、現代語の
home town とは違って、古い・荒れた・寂しい田舎。
○小侍従(こじじゅう)=悠 022 (07月23日条)既出。