観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

「写楽の会」のポスターできました。

2019年05月14日 | 写楽の会

「NPO法人 写楽の会」のポスターができました。
徳島と写楽こと斎藤十郎兵衛の繋がりを広く知っていただくために作成。

藍場浜公園の写楽絵

2019年04月12日 | 写楽の会









これらの写楽絵の陶板は、徳島県の「平成12年度新町川河畔ひかりプロムナード整備事業」の一環として整備されました。
しかし、この存在すら知らない人が多いのでは?





写楽、大田南畝、市川蝦蔵

2018年04月28日 | 写楽の会

写楽の会 かわら版への投稿記事

知事と面談

2017年07月18日 | 写楽の会
今年の5月24日に新たにスタートした「写楽の会」、本日、徳島県知事さんの所へ遅まきながら、会長の就任挨拶と意見交換に行ってきた。


パワーポイントで作ったこの資料、スライドを両面印刷すると、1枚目の黄色い円に、裏面になる2枚目の大谷鬼次の顔が浮かび上がる
ようになっている。若い元雑誌編集長さんが作っただけに中身もよく出来ている。この資料で私が説明し、30分ほど懇談。


懇談の模様


知事を囲んで記念撮影。
私の持ち込んだカメラで観光政策課の人に撮影していただいた。










写楽展の図録

2017年07月12日 | 写楽の会

本棚を整理していたら、写楽展の図録などが出てきた。

左上
小学館      2002年6月4日発行 「謎の浮世絵師 写楽」
右上
徳島県立博物館  1995年3月4日~3月19日 「写楽200年記念企画展」図録
左上
東武美術館    1995年10月26日~12月10日 「大写楽展」図録
右下
東京国立博物館  2011年5月1日~6月12日 「特別展 写楽」図録 


これは、徳島県立博物館であった企画展のパンフレットの表紙


企画展開催のあいさつ文
この当時の館長は、野尻湖のナウマンゾウの調査で有名な古生物学者の亀井節夫氏
あいさつ文には、写楽が姿を消してから200年を記念して開催と書いてあるが、写楽が徳島にゆかりがあるとは明確に書かれていない。
写楽の会が発足したのが、同年1995年の10月1日。写楽こと斎藤十郎兵衛であることをほぼ確定した過去帳の発見日は、
1997年の6月1日。
もう少し後だったら、この事を明確に記載できたのに。しかし、それでは東武美術館の後塵を拝する事になっていた。





「写楽忌」記念歴史文学散歩 その3

2017年03月14日 | 写楽の会

東洲斎写楽の浮世絵「大童山土俵入り」に描かれている阿波藩お抱えの力士・勢見山のお墓


横面には勢見山というしこ名と本名が書かれている。


事務局長の桑井さんがシキビの用意をしているところ。このあと参加者一人一人がお参りした。


どういうわけかNHKの取材陣が途中ではぐれ、参加者の大半が帰った後に墓地にやって来た。残った参加者で絵になるようにもう一度
お参りをした。(この場面も含め記念歴散歩の模様は、当日のニュースでちゃんと流れた。)








「写楽忌」記念歴史文学散歩 その2

2017年03月13日 | 写楽の会

眉山に連なる勢見山の東麓にある金刀比羅神社は、かって、藍などの海上輸送の守り神として商人の信仰を集め、今でも「勢見のこんぴらさん」
と呼ばれ親しまれている。この長い急峻な石段を上がると本殿と、その奥に相撲の土俵がある。
徳島藩主蜂須賀公が花相撲を開催し、西日本では大盛況だったが、昭和30年にその幕を閉じている。その後、地元の二軒屋商工振興会が
子供たちの強く逞しい成長を祈願して、ちびっ子相撲大会として復活させている。


大鳥居の脇に建つ大きな石灯籠は、高さ10.24mで日本最大とされている。かつて、その明かりが海からも見え、津田港に入港する船の
目印となっていたそうだ。


灯籠の説明書き


オッパショ石
徳島藩お抱えの力士、勢見山の眠る墓地の近くにある。


この石の由来







「写楽忌」記念歴文学散歩 その1

2017年03月08日 | 写楽の会

昨日3月7日は、浮世絵師・写楽の正体とされる阿波藩お抱え能役者、斎藤十郎兵衛の命日であった。このため、この日を「写楽忌」と
して広く知ってもらうため、写楽忌記念歴史文学散歩を実施した。
最初に、斎藤十郎兵衛が能役者だったことから、観世流シテ方能楽師の高橋京子氏に「徳島と能楽」について話していただいた。
この場所は、阿波藩の能舞台があった場所。


講師が「高砂」を皆さんにも唄ってもらうということで、慌ててて写楽の会事務局長さんが読本配布の用意をしているところ。


「高砂」を唄っているところ。「写楽忌」周知に向けての幸先のいいスタートとなった。
(東京オリンピックの年、2020年は、斎藤十郎兵衛の没後200年。)



この歌碑は、赤い靴、七つの子、シャボン玉など有名な詩人の野口雨情が最後に来県してから80年を記念して昨年建てられたもの。
以下、徳島新聞の「鳴潮」から
雨情は、北原白秋や西条八十(やそ)とともに童謡界の三大詩人と呼ばれた。日本全国を旅して、小唄なども各地で多く残している。
徳島には3度来て、当時の11市町村で122節の唄を詠んだ。<むかし忍んで徳島城の 松に松風絶へやせぬ>


写楽忌翌日の徳島新聞記事





3月7日は、「写楽忌」

2017年03月05日 | 写楽の会
浮世絵師・東洲斎写楽=阿波藩能役者・斎藤十郎兵衛の命日である3月7日に「写楽の会」で「写楽忌記念歴史散歩」を
行うことにした、

この歴史散歩の内容が掲載された徳島新聞の記事

散歩のコースは、徳島城博物館から「大童山土俵入り」に登場している阿波藩お抱え力士・勢見山が祀られている徳島市二軒屋町にある
勢見山まで


大童山土俵入り


前列左が勢見山
(大童山が土俵入りを見せた「寛政6年11月場所幕内番付表」と比較すると、東方では大関の小野川は描かれておらず、西方では番付表に
載ってない宮城野が描かれている。)
















写楽の会 活動再開

2017年01月30日 | 写楽の会

地元紙・徳島新聞の第1面に載った記事(2017年1月19日)
記事に写楽の会16年ぶりの再開とある。というのも、会の創立2年後の97年に、浮世絵師・写楽の正体とされていた阿波藩の
お抱え能役者斎藤十郎兵衛の過去帳を当会が発見したことによって、その実在をほぼ確定的にしたこと。その結果を踏まえ、数年間は
シンポジウムなど様々なイベントを精力的に実施していたが、………で、事実上休眠状態になっていた。

活動期に作成したメンバーによるホームページがこれ

上記の新聞記事を機に今回新たにメンバーが作成したホームページがこれ
(当ブログに上記ホームページをブックマークに追加した。)(

本日は、写楽の会の新役員(案)、今後の事業計画(案)と組織のNPO法人化の協議を行った。

私は、創立メンバーの一人でもあるが、ブログを始める以前に写楽の会は休眠していたので、写楽の会に触れたブログ記事は。これだけ。
これから少しは写楽についても触れようかと、このブログに「東洲斎写楽」というカテゴリーを追加した。