天下一の桜の名勝と謳われている高遠城址公園に着いたのは、雨が降っていた光前寺から1時間余りたった頃。
光線の具合が桜の撮影にいいと言われている午後3時過ぎである。真っ青な空に白い雲と条件は整っているのだが、
肝心の桜がこの有様。
何ヶ月も前から予約しているバスツアーだからあきらめるしかない。それにしても今年は平年より1週間も早く満開になり、
その後暑い日が続いた上に数日前の雨と強風で散ってしまったようだ。
自然相手だから仕方がないのか、それとも温暖化の影響か。
この太鼓櫓の場所も桜撮影のスポットの一つではないのだろうか。
ここは、本来なら桜の写り込みを狙う場所ではないのだろうか。
見事に散っている。
桜の花が一番残っていたのがこの木。
この妙見山に来たのは、夏の渡り鳥が来ていないか見に来たのであって桜を見るためではない。しかし、夏鳥の鳴き声すら聞こえなかった。
この妙見山(鳴門市の市街地東にある標高62mの山)に徳島県が生んだ人類学・考古学・民族学の先覚者、鳥居龍蔵博士の業績を顕彰する
徳島県立鳥居記念博物館がある。
この博物館のホームページによると、博士は、1870年徳島市東船場に生まれ、小学校を中退し、独学で人類学を学び、1890年には東京へ遊学、
2年後の1892年には一家を挙げて東京に移住。東京帝国大学理科大学人類学教室の坪井正五郎博士に師事し、標本整理をしながら研究に専念。
博士は、日本国内をはじめ、朝鮮半島・中国東北部・モンゴル・西南中国・台湾・千島列島・サハリン・東部シベリア・南米ブラジル・ペルー・ボリビア
などの各地を精力的に調査したフィールドワーカーである。カメラの導入など、先進的な調査方法の開拓者でもり、日本における人類学研究の先覚者
として大きな業績を残している。
それなのに、徳島県でも扱いは低い。
妙見山は、桜の名所でもある。
博物館の建物は城そのもの
この妙見山(鳴門市の市街地東にある標高62mの山)に徳島県が生んだ人類学・考古学・民族学の先覚者、鳥居龍蔵博士の業績を顕彰する
徳島県立鳥居記念博物館がある。
この博物館のホームページによると、博士は、1870年徳島市東船場に生まれ、小学校を中退し、独学で人類学を学び、1890年には東京へ遊学、
2年後の1892年には一家を挙げて東京に移住。東京帝国大学理科大学人類学教室の坪井正五郎博士に師事し、標本整理をしながら研究に専念。
博士は、日本国内をはじめ、朝鮮半島・中国東北部・モンゴル・西南中国・台湾・千島列島・サハリン・東部シベリア・南米ブラジル・ペルー・ボリビア
などの各地を精力的に調査したフィールドワーカーである。カメラの導入など、先進的な調査方法の開拓者でもり、日本における人類学研究の先覚者
として大きな業績を残している。
それなのに、徳島県でも扱いは低い。
妙見山は、桜の名所でもある。
博物館の建物は城そのもの