現在の埼玉県行田市にあった忍藩の藩士である尾崎家の養子となった尾崎石城は、御馬廻役(百石)を勤めていたが、
安政4年(1857年)に上書して藩政を論じたために蟄居となり、十人扶持の身分に落とされた。その後、妹夫妻の家に
居候し、文久元年(1861年)6月から文久2年(1862年)4ヶ月の生活を絵日記風に書いている。全7巻に渡って色彩豊か
に描かれ、今日「石城日記」と呼ばれるこの日記は、幕末期の中級、下級武士の日常生活を知る貴重な資料となっている。
石城は文才と画才があり副業を営んでいたためなのか、その暮らし振りは当時としては割合贅沢な暮らしではではないか
と思われるほどで、今日の我々の思うイメージとはかなり異なる。また、リストラされた武士とは思えないほど自由闊達に
生きている。さらに、当時の時代を反映した時事のニュースも正確に盛り込まれている。そして幕末の動乱期でも日夜酒を
酌み交わし議論をしていたこのような武士が大勢いたということがよく分かる。名も残らず貧しいながらも闊達に生きた
下級武士、現代の私たちに生きるヒントを与えてくれる。
ちなみに、この石城日記は、慶応大学の
古文書展示会 資料4:石城日記で読むことができる。