観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

本年最後のブログ

2006年12月31日 | 日記
出島のチュウヒの後ろ姿です。
2006年もやがて終えようとしています。
来年もいい年であることを願って、今年の最後のブログを書きました。

今シーズン初のトラフズク

2006年12月30日 | 野鳥
この鳥を見るときは、いつもどこにいるのか分からないように風景と同化してしまって大変なのに、今日はこの鳥の前に何にも障害物がなくラッキーだった。

英名 Long-eared Owl 漢字名 虎斑木莵
虎斑とは虎の背中のように黒い太線の斑文の入っている縞模様のこと。
体長38cm

ヘラサギの棒術

2006年12月28日 | 野鳥
最近、某所で見たヘラサギ
まるで、棒術の練習をしているように見えた。




鰻丼

2006年12月19日 | 日記
この週末もまたオオワシに挑戦しようと思い、鳥仲間のメール情報と天気予報を欠かさずチェック。
本日のメールによると、日の出になってもいつもの場所に現れず、8時41分になってからようやく登場し。9時8分にはもう飛び去ったようだ。
このオオワシが見える所まで家から約2時間かかる。1回目に訪れたときは、オオワシが駄目だったけど、同じ町内にいたナベヅルは見えた。しかし、2回目(先週の土曜日)は、ナベヅルはいなくなっていたのが分かっていたので、弁当を持たずに行った。現場で10時まで待ったが、オオワシは戻ってきそうもない。せっかく2時間もかけてきたのにと言っても、他に特に見る野鳥もいないし、でもこのまま帰るだけではと思いながら帰途についた。ちょうど、そこから10分あまり離れた国道沿いにうなぎ屋がある。
ここは、鄙びた田舎にしては珍しいうなぎの専門店だ。昼飯には早い気がするが、休みの日だけれども、朝早かったので、家人をわずらわせないようにと冷蔵庫にあったサンドイッチを3個だけだった。丼だけなら食べられるだろう。
この時間開いているのか見てみたら暖簾がかかっていた。でも、店の名前が変わっていた。
後で調べると、どうやら、前の店主が30年続けた店を、店名は変えたけど、味とメニューは受け継いでやっているらしい。田舎のうなぎ屋といっても、ここの鰻丼は、よくある甘いたれでごまかすような鰻丼ではない。醤油差しにわずかに入ったたれを客の好みでかけるだけの鰻の味で勝負という感じだ。
週末、オオワシが見えたら鰻重だ。




ジョウビタキ

2006年12月17日 | 野鳥
我が家の渋柿に止まってるジョウビタキのオス。
ジョウビタキは、オス、メスともに縄張りを持っているらしい。我が家でよく見るのはオスのほうだが、毎年同じ所に帰って来るのだろうか。
ところで、ジョウビタキの寿命はどのくらいなのか。ネットで調べると「山階鳥類研究所」のホームページに1961年から1998年までの38年間に標識放鳥した447種のうち、125種について5年以上経過した後の回収記録が載っていた。これは、足輪を付けて放鳥した鳥が再び捕獲または回収されるまでの各鳥ごとの期間の最高記録で、野鳥のおよその寿命の目安となる。これによると、ジョウビタキは7年。
さて、この鳥は何歳だろうか。

オオワシとオオタカ

2006年12月16日 | 日記
今朝は5時に起きをたが、支度に手間がかかってしまって出るのが遅くなった。
途中で、トイレ休憩した「道の駅」からMさんに「オオワシいますか」と電話すると。いつもの枯れ木に止まっているとのこと。
後30分余り止まっていてくれとの願いも空しく、4分後には「今、飛んで行きました。」の知らせあり。
それでも、先週の日曜は10時過ぎまでいたと言うので。一応そこまで行って、10時まで待ったが、帰ってこなかった。
来週はもっと早起きするぞ。
帰る途中、今度は出島野鳥園でオオタカを待つことにした。見ることは出来たが何しろ遠い。
この写真は500mmのレンズに2倍のテレコンを付けて撮った写真をさらに大きくトリミングしたもの。

ミイラ男

2006年12月14日 | 日記
今度の土、日は天気がいいのだろうか。
先週の土曜日の夜は、勉強会の忘年会で久々に午前様になるまで飲んだ。
翌朝7時に目覚めると天気が良さそうだ。でも起きあがろうとすると頭が痛い。
なんてことだ。天気はあまり良くないと予想して、次の日のことを考えず、遅くまで飲んだのに。気分が元通りに回復したのは昼過ぎ、でも、オオワシが見える目的地は遠い。結局、どこにも行かなかった。
実際、その日は午前中は見ることができたが、午後からは見られなかったそうだ。無理して行かなくてよかったが、前日、飲み過ぎさえしなければ、オオワシは見えていたのに。
(写真は、ミイラ男に見えた雲。本文に全く関係がないが、このところの雨続きで是非、週末は青空が見たいということもあり)

なぜ、今愛国心

2006年12月12日 | 日記
毎日新聞鳥取支局の松本杏氏が書いた今日の「記者の目」は、”なぜ今、愛国心”だ。
そもそも、「愛国心」は、60数年前に戦争遂行という国策に利用され、反対を唱えると「非国民」というレッテルが貼られた。非国民というレッテルだけでなく、徹底的な弾圧も加わり、反対するどころか、戦争を止めることすら進言する者もいなくなった。その結果は、罪もない人の多数の死と都市の壊滅的な破壊だった。
この教訓は、もう忘れ去られたのだろうか。
記事にも書かれているように、給食費すら払えない家庭が急増している。また、昔でいう「口入れ屋」だけが儲かり、正社員になれない若者は、いつまでたっても「ワーキングプア」のままだ。一方、正社員も派遣や請負という新しい雇用制度でが出来たため、給料が増えるどころか、労働条件が厳しくなるばかりで過重労働を強いられ疲弊している。
さらにホワイトカラーは、労基法上の時間規制適用除外とし、サービス残業を正当化しようとしている。ところが、勝ち組と呼ばれる一部の富者の国民所得に占める割合は、増える一方である。また、一般サラリーマンの収入は減少しているのに、企業は儲かっている。しかも、法人税の軽減と消費税の増税をしようとしている。
記者は、このように更に広がる格差を推し進める国が「愛国心」を持ち出すことで、国民をはぐらかそうとしているのでないかと指摘している。
愛国心が大切なことは、言うまでもない。しかし、それはことさら強調されたり、強制されるものでなく、自然と湧き上がってくるのが本来である。

知事の権力

2006年12月10日 | 日記
今日の朝日新聞「知事権力2」を読んだ。
「わしの部下は何人いると思う?警察はすべてわしの支配下や。それから教職員やろ。まあ。公務員全部、わしの力で何でもできる。」
とは、横山ノック前大阪府知事の言葉
このノック知事のもとで総務部長と副知事を務めた男が、前和歌山県知事の木村良樹。
下記の経歴をみると地方行政の表も裏も知り尽くしているようだ。
彼は大阪府副知事のときに談合やり方の伝授を受け、ノック知事の辞職後はその後釜を狙っていた。しかし、太田房江現知事が擁立されたため、かって総務部長として勤務したこともある和歌山県の知事に横滑りした。
大阪府知事をなろうとしたのは、当初から知事の立場を存分に利用して利権を得ようと思っていたのだろうか。どうせ捕まるなら公共工事の額も和歌山県よりずっと多い大阪府の知事として、もっと利益を得ておければよかっと悔しがっているかも知れない。
ところで、福島県も和歌山県も知事を逮捕したのはちじの部下ではない検察である。しかし、宮崎県は県警である。宮崎県の県警は優秀なのだろうか、、それとも誰かが相当詳しい汚職の実態を警察に密告したのだろうか。
いずれにしてもこんな知事のもとでの幹部は大変だろうなと思っていたら、上記の新聞記事に「ゴルフ場でかいた汗を流そうと風呂場に入ると、部長級の県職員らが知事の背中を流していた。県幹部たちの別の顔を見た思いがした。」と元県議の述懐が載っていた。
市町村からみれば、県が怖い理由は二つらしい。
一つは、県発注工事の各市町村のへの配分権限、もう一つは、小中学校の教員人事、知事に盾突いて、自分の市や町に能力のない先生ばかり配置されたら大変だということらしい。

木村良樹
生年月日 昭和1952年1月11日
出身 大阪府
1974年3月 京都大学法学部卒業
1974年4月 自治省入省
1979年11月 北九州市企画局企画部開発課長
1983年5月 愛媛県地方振興部市町村課長
1985年4月 自治省行政局公務員部公務員第二課長補佐
1987年4月 埼玉県総務部地方課長
1988年4月 埼玉県企画財政部財政課長
1990年4月 自治省大臣官房企画室調査官
1990年7月 国土庁地方振興局総務課半島振興室長
1993年4月 和歌山県総務部長
1996年4月 自治省財政局準公営企業室長兼大臣官房参事官
1997年4月 自治省財政局指導課長
1998年7月 大阪府総務部長
1999年7月 大阪府副知事
2000年9月 和歌山県知事選挙初当選 
2004年8月 和歌山県知事選挙再選
2006年12月退職

熱々のカラス

2006年12月09日 | 野鳥
ツルのペアにちょっかいを出していた2羽かどうか分からないが、このペアの熱々ぶりをパチリ。(この写真は相当トリミングしている。)
仲間(かどうか分からないが)の8,9羽のカラスと少し離れた所で、この2羽は人目もはばからず、ずっとくっついていた。