観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

うまく撮れなくても、うまければいい。

2010年07月28日 | 野鳥

なかなか現れないので、離れたところからだと絶対に逃げないクモを撮影した。(望遠レンズしか持ち合わせていないので、
クモに近づけないため遠くからの撮影となったのだが)
結構雑な蜘蛛の巣ではないのか、穴だらけのようが気がするが。実際の所は、しげしげと見たことないので比較できないから分からないけど。


オオルリの写真を撮れたのはこの時のみ。もうあまり鳴かないので。ボサッとしてると気がつかないようだ。
トリミングしてこの程度、距離はかなり離れている。
この日は、帰りに露天で買ったミカンが美味かったので、気分は悪くはなかった。


ひまわり

2010年07月27日 | 日記
土曜日、暑いのは分かっていたけど少し遠くまで足を伸ばすことにした。目的地の隣の町を通行中ひまわりを見つけた。ほとんど車の通行のない広い道路だったので
車を止めて写真を撮ることにした。
庭にひまわりを植えている家の人は納屋で作業をしていたようなので、声をかけずに道路から写真を撮っていた。すると、作業が終わったのか、道路に出てこられていろいろ話された。
私以外にも2,3人ここで写真を撮られたようだ。今年の花は去年に比べてかなり小さいとのことだった。
私が小さい頃は、子どもたちの夏休みの宿題のせいか、(それだけの理由でもないか)庭にひまわりを植えていた家は、多かったように思う。





ひまわりというと私の世代では、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演し、1970年に日本で公開された反戦映画だ。
映画のあらすじは、第2次世界大戦後、シベリアに抑留されて死亡されたと思われた元イタリヤ兵の夫は、現地でロシア人女性と結婚していて…………という話。
(ソ連には日本兵の捕虜ほか、ドイツやその枢軸国であったハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、フィンランド、イタリアの兵隊抑留された。)
私個人は映画「戦争と平和(1966-1967日本公開 373分の2部作)」で可憐なナターシャを演じたリュドミラ・サヴェーリエワ(ソ連での妻役)が良かった。
「戦争と平和」は学校の試験中(試験をさぼってではない)にリアルタイムで見たので、ことのほか良く覚えている。

南飛図からサントリーホワイトまで

2010年07月25日 | 日記
川端龍子の有名な作品で鳥がテーマといえば、「南飛図」がある。この作品のテーマの月と雁といえば、切手になってる安藤広重の「月と雁」を始め、よく好まれているテーマである。
もちろん、月を背景にして写真に撮って人も多いが、飛んでいる雁の群れを下からでなくこの作品のように上から撮っている人はあまりにいないのでないか。
ガンやカモは、秋に北から南へ渡って来るのだが、たいてい夜間に渡っているようである。月明かりに照らされて濃紺の夜空を飛んで行く雁の群れを見ると、「雁風呂」を思い出す。
雁風呂とは何ぞや広辞苑で調べると、“浜辺の木を薪として風呂をわかしたこと。青森県外ヶ浜で雁を供養した風習。”
ウィキペディアで検索すると“日本に秋に飛来する雁は、木片を口にくわえ、または足でつかんで運んでくると信じられていた。渡りの途中、海上で休息するためであるという。
日本の海岸まで来ると海上で休息する必要はなくなるため、不要となった木片はそこで一旦落とされる。そして春になると、再び落としておいた木片をくわえて海を渡って帰っていくのだと
考えられていた。旅立ちの季節が終わりもう雁が来なくなっても海岸にまだ残っている木片があると、それは日本で死んだ雁のものであるとして、供養のために、旅人などに流木で焚いた風呂を振る舞ったという。”
いいお話だが、実際の所は、「青森県長寿社会振興センター」のホームページによると、
“「外ヶ浜の雁風呂」は、渡り鳥を愛する人々の思いが込められた哀しく美しい伝説。しかし、不思議なことに伝説が生まれたはずの外ヶ浜ー津軽のむつ湾沿岸地方ーで、この伝説を聞くことはない。
その地方に住む何人かに確認してみても、知らない、と言われるだけで、似たような民話もないようだ。厳しい自然と折り合いをつけなければ暮らしていけない人々の情感があふれた、
哀しくも美しい伝説、とも思えるのだが、この伝説は津軽地方には残っていない。
ウイスキー会社のテレビコマーシャルのこの「雁風呂の伝説」が使われたことがある。海岸の焚火とナレーションが哀しい伝説を美しい映像に表現して全国放映した。津軽に住む人でさえ、
このときに初めて「雁風呂」を知った人が多かったのではないだろうか。伝説の地といわれた地域に住む人は「伝説の発祥の地はコマーシャルが制作されたスタジオの内」と苦笑した。
「雁風呂」のことをずいぶん聞かれて閉口したのだと言う。津軽の伝説や民話を研究している坂本吉加氏によれば、都人たちの文学表現上のロマンチシズム、空想から生まれたもので18世紀には一般的に普及していたらしい。”
このCMは、サントリーウィスキー「角瓶」の1973年のCMである。
ついでながら、このCMで「あわれな話だなあ。日本人て不思議だなあ。」と呟いていたのは、作家・エッセイストの山口瞳。サントリーの前身の壽屋の宣伝部には、氏の他に、
イラストレーター・漫画家の柳原良平や小説家、開高健がいた。むろんCMには彼ら本人や作品も登場している。
サントリー社のホームページから
この柳原良平が生み出したアンクルトリスも面白いが、 私は、一時期この角瓶のハイボールが愛飲していたのだ。ウィスキーは、無理をして「トリス」からではなく「ホワイト」からスタートし、次いで「角瓶」。
今はウィスキーは滅多に飲まなくなりほとんどビール(アサヒドライよりはキリンラガー)
サントリーホワイトのCMと言うとロンカーターのベース。ベースの演奏で酒のCMとなると、いかりや長助のキリンラガーのCMと話は続いていく。

下呂温泉その3 水明館と野鳥2

2010年07月23日 | 日記
下呂温泉のホテル水明館で見た川端龍子の「鳥籠」という絵に描かれている野鳥をハマヒバリと同定したが、果たしてこの絵が描かれた当時、ハマヒバリが飼い鳥とされていたかどうか気になりネットで検索することにした。
すると、大正15年に大文館から出版された「趣味と実益 飼ひ方秘訣 小鳥の講座」という本の中にハマヒバリの項目があるらしいということが分かった。
検索ついでに調べを進めると、
川端龍子(1885年~1966年)は最初は洋画だったらしいが、留学したアメリカで失意の中、立ち寄ったボストン美術館で鎌倉期の名作「平治物語絵巻」を見て感動したことがきっかけとなり、日本画に転向したらしい。
興味が湧いてさらに検索をしていくと、異母弟は、「ホトトギス」の俳人川端茅舍(ぼうしゃ)であり、龍子も「ホトトギス」同人だった。
ホトトギスといえば、正岡 子規(本名は、正岡常規)
彼の雅号の「子規」は、ホトトギスの異称の一つ。
ちなみに、ホトトギスを表す漢字は、杜鵑、時鳥、不如帰、杜宇、蜀魂、田鵑、霍公鳥、
霍公、郭公、杜魂、布谷、無常鳥、黄昏鳥、夕影鳥、菖蒲鳥、初時鳥、山時鳥、沓手鳥、山郭公と多い。(もっとあるようだ。)
万葉集では153首も読まれていることから、いかに古くから親しまれている野鳥であるか分かるが、最近は、野鳥ファンでも実物はなかなかお目にかかれない。
ホトトギスついでにホトトギス派の創始者でもある正岡子規は、22歳にして、当時不治の病とされる肺結核に罹り、彼は自分の命を残り10年と考え、「子規」と名乗った。ホトトギスの激しく鳴く様子が、結核患者の血を吐く
様子に重なり、当時、ホトトギスは肺結核の代名詞だったらしい。
ついでに、川端龍子は和歌山市の呉服商「俵屋」の長男として生まれている。偶然だろうが実家の屋号が俵屋、さらに川端龍子が居宅で使用していた襖絵「桜芥子図襖」が俵屋宗達の工房作である。このことから、
あたためて日本画の天才俵屋宗達との因縁を感じた。
なお、水明館の「鳥籠」は、小さな画だが、彼は、大作主義による「会場芸術主義」を掲げ、自ら日本画団体「青龍社」を創設している。
徳島の野鳥ファンとしては、豪放な作品として知られる鳴門海峡の激しさを表した「鳴門」に海鵜(ウミウ)が書かれてていることが嬉しい。また、同じく大作の愛染に鴛鴦(オシドリ)のつがいが描かれているのも気に入っている。

下呂温泉その2 水明館と野鳥

2010年07月21日 | 旅・風景・グルメ

橋の左に写っている建物が昼食を摂ったホテル水明館
JR高山本線の下呂駅は、ちょうどこの橋を山に突き当たった辺りになる。


水明館に展示されていた横山大観の絵 「杜鵑」
画面左の蛍光灯が映り込んでいる下、シミがついているのかと思ったのがホトトギスのようだ。


この絵は川端龍子の「鳥籠」 籠の外にいるのは何という鳥だろうか。
図鑑でよく似た鳥を探すと、喉のあたりの特徴がヒバリの仲間のハマヒバリ(成長夏羽)に似てるが、図鑑では数少ない冬鳥とされている。
飼育鳥だからつじつまはあうか。

下呂温泉その一

2010年07月20日 | 旅・風景・グルメ
先週の土曜日は、下呂温泉で昼食と入浴というハードスケジュールのバスツアーに参加した。連休初日だったせいか、高速道路は案の定、渋滞の連続でいつ目的のホテルに着くのか分からなかった。
行程上は、11時30分までには到着の予定だが、それまでには絶対着かないどころか、当初の食事の最終リミットである13時30分までに着くかどうかの混みようだった。たとえその時刻よりは早く着いても、
食事をする時間があるのかどうか不安であった。
バスの添乗員さんが、事情を説明し無理にお願いしてなんとか14時までに延長してもらったが、それでも不安であった。京都を過ぎるとそれほどでもなかったので、12時58分にホテルの「水明館」に
着くことができなんとか食事を摂ることができた。
添乗員さんの話では、先だっての全国的に豪雨の日に「アルペン豪華旅ツアー」一行の後ろからの差すような冷たい視線には参ったと言っていたが、もし食事をする時間がなかったらもっと厳しい視線を
浴びることになっただろう。ホテル側から渋滞は分かるが、夜の食事等の都合で2時以降の延長は絶対できない。食堂以外に使用できる部屋もないと言われていたからである。
ツアーバス最初の出発地での乗車時刻は、朝の4時45分だったのである。トイレ休憩を除いても約8時間近くの乗車。楽しみの食事ができなかったとなれば…………………。考えてみただけでも恐ろしい。


飛騨川の両岸に約50軒の大小ホテルがあり、岐阜県随一の温泉街。
この飛騨川に注ぐ小川(阿多野川)に架かる白鷺橋のたもとの両向かいに二つのブロンズ像がある。


林羅山
下呂温泉は草津温泉、有馬温泉に並んで全国の三名泉の一つとされている。これは江戸時徳川家康、秀忠、家光、家綱の徳川4代の将軍のブレーンであった儒学者
「林羅山」が紀行漢詩集で
「諸州多有温泉、其最著者、摂津之有馬、下野之草津、飛騨之湯島是三処也。」と表したためと言われている。
飛弾之湯島とは、下呂温泉のこと。下呂温泉と呼ばれるようになったのは昭和に入ってからで、それまでは湯之島温泉と呼ばれていたらしい。


チャップリン
”本事業は(社)下呂温泉観光協会(滝多賀男協会長)が主催し、観光客らが映画について楽しく語らいながら温泉街散策できるような”映画通り”を目指す
「ミラクルマイル」事業の第一弾として、本場ハリウッドの造形アーチストに製作を依頼して完成されたもの”(下呂温泉旅館協同組合オフィシャルホームページから)








やはり福朗

2010年07月14日 | 野鳥
今も雨が降り続いている。被害に遭われた地域にお住まいの方は大変だと思う。私も今の場所に住むまでは、土地の低いところに住んでいた。河川の氾濫もないのに床下浸水はかなりの頻度で、
床上浸水も5年に1度くらい経験してきた。(内水排除施設が完備されてからは浸水しなくなった。公共事業の促進を奨励しているのでなく、限られた予算の中で何を優先するかが大事)
ところで、O神社では久しくサンコウチョウは見ていないが、この時期いつも上から見守ってくれてる福朗(フクロウ)のアオバズク(青葉木菟)は、いつも待っていてくれる。(7月10日撮影)






あきれて迷惑そうな顔をしているようにも見えるが。


泥中の蓮

2010年07月13日 | 日記
梅雨のこの時期、休日がお天気でフリーになれる日は少ない。だから多少晴れ間があると出掛けるのだが、空振りに終わると辛いものがある。せっかく写真を撮りに行っているのだから。何かは撮らないと。
その点、花は、野鳥と違い、時期さえ間違わなければそこで咲いている。
「泥中の蓮」とは、泥の池の中にあっても清らかな花を開く蓮のことで、 転じて煩悩の汚れの中にあっても、染まらず清浄を保っている人の喩え。


泥は水草で隠れていた。空は、晴れてきて上の葉には水玉は溜まっていなかったが下の葉には溜まっていた。50年くらい前はこの水玉でよく遊んだ。
左端に水中から小さな蕾が顔を出しているのが見える。




開いている花もいいけど、蕾の状態もいい。


蕾の中を覗くと
周囲の白い(光の加減でピンク色に染まっている)綿棒のようなのがおしべで、真ん中の黄色くて大きいのがめしべ。






若者たち

2010年07月12日 | 日記
土曜日は、勉強会のメンバーがメディアの社長に就任されたので、メンバー10人くらいで祝賀会をした。その勉強会のスタートは35年前である。私は少し遅れて入ったがそれでも約30年、よく続いたものだ。
塾長さんのあいさつを聞いていると30年前にタイムスリップする。以前の勉強会は、塾長さんの家を使わせてもらっていた。スタートが土曜日の9時、終わりが日曜日の午前1時なんて事がざらだった。
4時間ぶっとおしで真剣に学んだなんてことはおそらくなかったが、月例当番の発表の後にメンバーの武勇伝?を聞くのがこれまた楽しかった。
祝賀会の後、もう少し時間を遡りたくて馴染みのピアノバーに行った。そしてザ・ブロードサイド・フォーが歌った「若者たち」をいろんなアレンジで演奏してもらった。ジャズにアレンジするだけでなくモーツアルト流、
ショパン流とか。なかでもモーツアルトのきらきら星変奏曲と若者たちを混ぜた演奏が楽しかった。勉強会の「テーマソング?」になっているこの歌は、1966年にフジテレビで放送された連続テレビドラマ「若者たち」の主題歌である。
なんとこの曲を聴いていると44年前まで遡ることができる。別にその時代に戻りたいとは思わないが、テーマは重たいのに、なぜかこのテレビはほとんどかかさず見ていたのを思い出した。
YouTube「若者たち」

ところで、この先、若者たちに希望の持てる政治は実現できるのだろうか。(昨日の参議院議員の選挙結果で感じたこと)

最近のパソコンの調子

2010年07月07日 | 日記
七夕の今夜は、天気予報は外れで晴れていた。牽牛と織女は年の1度の逢瀬を楽しむことができたようだ。一方私は、しばらく野鳥をじっくり見ていない。休みの日の天気がいい日は用事があったりで、イライラ気分が続いている。
昨日、妻の壊れたPCの替わりに娘がいらなくなったデスクトップPCの我が家への設置はうまくいったが、このPC、OSがVistaだった。
Vistaを使うのは初めてだが、噂どおり遅い遅い。起動に時間がかかるだけでなく、終了するのにも時間がかかる。家人は普段あまりPCを触らないが、始めと終了時だけ遅いのなら辛抱できるだろうが、ずっと遅いのでは私に影響が及ぶかもしれない。
このため、メーラーは、Mozilla Thunderbird、ブラウザは、FireFoxにした。おかげで、それほどイライラせず動くようになった。
その作業の後、私のPCに向かったらグーグルカレンダーが見えない、携帯のエクスペリアでは問題ないのにおかしいと思い、ネットで検索すると「Cookie設定の確認」というのがヒットした。そのとおりやるとうまくいった。
今日は、スピーカーから音がでない。またまたネット検索をすると「サウンドドライバーの再インストール」にたどり着いた。この作業をやってもうまくいかない。「接続されていません」と表示される。おかしいなと思ったら、最初、ラインの確認するため抜き差した
時に差す穴を間違えていた。(PCケースの裏の写真を撮っていたので、確認して気がついた。)
イライラはこの週末解消されるのだろうか。