観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

奇妙な関係

2006年05月31日 | 日記
この日曜日、ムラサキサギがまた見れないかと柳の下をねらって、出島野鳥園に出かけたが、駄目だった。。
学習舎の前の池を見ていると、オカヨシガモのペアとスズガモのオスがいた。オカヨシガモは、5月末まで記録はあるが。スズガモは普通4月にもなるといないはずなのだが。仲間はとっくに北へ帰って繁殖行動をしている時期なのに、この3羽、仲がよさそうに一緒に行動している。
しかし、毎日のように見てる人に言わせると、オカヨシガモのオスが離れているとき、オカヨシガモのメスがスズガモのオスのほうへすり寄っていくようだと言っていた。この3羽いつまでいるのだろうか。
(画面の左がオカヨシガモのオス、真ん中がスズガモのオス、右側がオカヨシガモのメス)

ベッカム

2006年05月29日 | 日記
車の中で故プリンセス ダイアナのトリビュートアルバムを聞いた。
その中に Neil Finn のDo'nt Dream It's Overという曲がある。カーナビだと常に曲名とアーティスト名が見えるので、何となくタイトルが気に入った曲だ。歌のほうも悪くはない。
この歌詞の中で、私には「ベッカム」と聞こえるところがある。しかし、ダイアナ妃が亡くなった頃、すでにベッカムは有名人だったのか、活躍していたのだろうか。疑問に思って「ベッカム」を調べると(1996年9月にイングランド代表デビュー、1998年、フランスワールドカップ出場)と出ていた。
やはり、間違いだと思い、元のCDアルバムを調べたが、歌詞が載っていない。
そこで、
フリーの歌詞のデータベスで歌詞を
検索すると
Hey now, hey now, don't dream it's over
Hey now, hey now, when the world comes in
They'll come, they'll come, to build a wall between us
I know that they won't win
「They'll come」が私にはベッカムと聞こえていたことが分かった。
随分いい加減な耳である。

年次改革要望書

2006年05月28日 | 日記
昨日は、月に1度の(8月と12月は飲み会)の勉強会だった。勉強会のテキストは、今回から藤原正彦の「国家の品格」で、今月の発表は私の番だった。
でも、割り当ての「第1章 近代的合理精神の限界」「第2章 論理だけでは世界は破綻する」の論評というのも難しい。そこで、著者がこの本の書くに至った背景にある「いかにアメリカにしてやられているか」ということについて話をした。
「年次改革要望書」は、正式には「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」という。1993年7月の宮沢首相とクリントン大統領の会談で決まったとされている。
日米双方ともに互いに要望書を提出しているが。日本側の要望書は聞き置くという感じらしい。しかし、米国の要望に対しては、まさにそのとおり実行している。
アメリカ大使館のホームページの中の要望書(日本語)を読めば、その事実がよく分かるとともに腹が立つ。
そして、また、ご丁寧に過去の要望に対して、どれだけ日本が実行しているかを「報告書」に各要望項目ごとに詳しく記載している。
この事実を国民に対してメディアをあまり伝えないし、政府も認めたがらないが、米国の要望書と報告書を読めば一目瞭然である。
しかし、それに対して政府は、「グローバル化の流れにそって実行しているのであり、米国が言ってるからではない。」と抗弁するだろう。
著者は、このグローバル化に対して、日本は、敢然と闘いを挑むべきだと主張しているのである。



セレブ捜査

2006年05月27日 | 映画・テレビ
ちょっと前になるが、「世界バリバリバリュー」の新企画「あなたが見つけたセレブ捜査」という番組を見た。
このセレブの中にお金持ちの姉妹2人が出てくるコーナーがあった。単に金持ちのお嬢さんを取り上げた番組ならいくらでもある。しかし、驚いたのは姉妹が通っている「名古屋文化短期大学」のほうだ。
短大に入ってまず目に付くのが、建物全体がガラス張りで4階の高さまで吹き抜けになっているクリスタルホールと名付けられた空間。昼休みには、床暖房の大理石のフロアーでお弁当を広げたりと、寛いでいる多くの学生の姿が見かけられるそうだ。
さらに大理石張りのゴージャスなパウダールーム、ゴルフスタジオ、ハイビジョンホールと超リッチな施設が揃っている。図書館だって凄いが、「サンタ・クルス」というレストランがこれまた豪華。何とウエスティンナゴヤキャッスルホテルのフランス料理が食べられるらしい。また、ここで洋食のテーブルマナー講習としてクラス単位で年間10回も食事するので、2年間でマナーが十分身につくという。
この短大のホームページを覗くと「歩く100億円 吉川幸枝氏 講演会」という
案内があった。これを見ただけでも「お金持ち」の短大という感じになる。
彼女たち姉妹に「貧乏人の気持ちを考えたことがあるのか」なんていうつもりは全くない。姉妹の家庭は、3代続いている名古屋の歯医者さん一家。当然、大きな家に住んでいるが、姉妹の友達も皆、同じくらいだと言っていた。
戦後60年、確実に格差は広がっている。

雨の露草に似て

2006年05月25日 | 日記
そろそろ梅雨の季節だ。この時期になるとツユクサ(露草)を連想し、小椋佳のアルバム「道草」に入っている「雨の露草に似て」をよく聞く。 ”雨に濡れている露草の色が 紫陽花の花よりも 心に深くしみとおります……  …………手折って下さい 手折ってください 雨の日の露草に似て   淡く燃える私を手折って下さい” 朝に咲いた花が昼になるとしぼむことから朝露を連想させ、「露草」と名付けられたという説がある。英名のDayflowerも 同様だそうだ。以前は道端でよく見かけたが、最近余り見ない気がする。雑草という草はないというが、ツユクサは可憐だが、また、雑草として嫌われている植物でもある。



CD道草の挿絵


気がかりなこと

2006年05月23日 | 日記
私が毎日楽しみにしていた「筆ペン名人」さんのブログが4月3日から中断されたままになっている。
最後の記事には「お花見がてらちょいと山の温泉に行ってきます」、「帰りが遅くなっても心配しないでください」と書いてあった。
しかし、あれから50日も経つけど、今はどうされているのだろうか。
早くブログが再開されるといいのにな。
名人さんのブログのコメント欄を見ていると、他にも私がお邪魔させてもらってる人が何人かいるのには驚いた。

コサメビタキ

2006年05月22日 | 野鳥
去年と今年のコサメビタキの巣。
同じようだが、位置も微妙に違う。
去年のを再利用したのでなく、全く新しく作り直している。
今年の巣作りの作業中の写真も撮ったのだが、どこへ仕舞ったのか分からなくなった。
しかし、検索しても出てこないので、誤って削除したのだろう。


2005年の巣


2006年の巣



ノートリミング

ムラサキサギ?

2006年05月21日 | 野鳥
今日は久しぶりに快晴。
珍しく朝早く起きたので6時半から3時までバードウォッチング。
3カ所目にムラサキサギがいるという所へでかけた。
堤防から眺めていると、アオサギとは違うような気がしたので、シャッターを3回切った。これがまだ一番ブレの少ない写真だが、ムラサキサギと思ってるのは本人だけだろうか。

牡丹と芍薬

2006年05月20日 | 日記
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」の牡丹と芍薬である。
どちらも中国では一般的な花で、特に牡丹は花の王様ともいわれ、中国の国花ともなっている。
我が家では並べて植えているが、この牡丹と芍薬が同時に咲くことはない。写真のように牡丹の花が散ったかと思えば、いつの間にか芍薬が咲いている。牡丹と芍薬の両者が庭の主に対して目移りしなくていいようにしている感じだ。
写真、右側の今咲いてる芍薬は、枝分かれなどなくすっと立ってる。左側の花が枯れた牡丹は、枝分かれしており、横に張った樹形となっている。
このため、「立てば芍薬、座れば牡丹」といわれているようだ。
真ん中あたりに飛び出している枝を見れば、牡丹は樹木(木本性)であり、右端の蕾の下を見れば、芍薬は茎なので、草(草本性)だということがよく分かる。

小泉改革の5年

2006年05月17日 | 日記
昨日、NHK再放送の「小泉改革の5年」を見た。
日本の国策が「均衡ある国土の発展」から「地域間競争」へと急激に変わっていったことにより、地方はどうなったかを映し出していた。
公共事業の削減は、確かにいいことではある。公共事業は、病気で苦しんでいる患者に栄養ドリンクを与えるようなもので、根本的な解決には全くならなかった。
よく話題になるのは、人家の裏山の崖が崩壊の恐れがあるということで、数年に渡り何億円もの崩落防止の工事を行う。その家の住人は、工事現場の日雇いとなって働き、工事が終わると仕事がなくなるので、その家を離れるという話。
しかし、特に山間部の町村では、今のままでは昔のように林業や農業では生活できないのが現実である。
食料自給率が130位の農業国フランスでも地方の過疎化は進んでいるし、日本よりはずっといいイタリアも同様のようだ。
余談だが、役人や議員さんはドイツが過疎化対策のお手本だということでよく視察に行っているらしい。
都会の主張は、竹中総務相の「人口と面積を基準にした新しい交付税の採用」発言に代表されている。そして、経済財政諮問会議の民間委員は、全員、「田舎で住めなくなれば、都会に出て来ればいいではないか」という考えを支持する人たちのようだ。
公共事業で潤っていたのは、一部の政治家と建設業者だけだったのに、今更、交付税の大幅減税とはどういうことなのか、結局、つけは地方の一般住民に回ってくる。 
知恵を出して、なんとか財政を立て直そうとしている小さな自治体も交付税の大幅な減税では打つ手がない。
「地方が無駄づかいをしてきたのだから」という都会の言い分も少しは分かる。しかし、「日本全国、大都会を除き人口30万位の都市にすればいい」という考えには、絶対反対である。