観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

蒲生田岬上空のコウノトリ

2013年10月30日 | 野鳥

10月28日、分蒲生田岬の灯台でタカの渡りを見ていたらの10時13分に大きく細長い鳥1羽が飛んでいるのを発見。
今年、鳴門でもタカの観察をしていたが、それほど出掛けた回数は多くないのに2度もコウノトリが飛んでいるのを見た。
今期、蒲生田へ来るのは3度目である。年中コウノトリが飛んでるはずはない。ツルが飛んでるのかと思ってカメラのモニターで確認すれば、コウノトリだった。




足輪もよく見える。
東の方向から西の方へ飛んで行ったが、出発地が兵庫県の豊岡だとするとどんなコースをとっているのだろう。
灯台の真上近くで回って飛んだときは、近すぎてカメラのフレームに収めきれなかった。せっかく近くを飛んでくれたのに残念。

南九州の旅(青島神社)

2013年10月26日 | 旅・風景・グルメ

青島
青島は、日南海岸国定公園の最北端に位置する周囲が1.5km、面積4.4ha、最大標高5.7mの低平な小島。波蝕台の上に堆積してできた貝殻泥砂に
よってできている。
かって青島は、新婚旅行で人気を博していた時代がある。大きなきっかけとしては、1962年5月に現在の今上天皇、当時の皇太子皇太子妃がご訪問されたことによる。


今では陸続きの半島のようになっているが、かつては沖に浮かぶ小島だった。
(看板の写真から)


古くは「淡島(あわしま)」「歯朶の浮島(しだのうきしま)」「鴨就島(かもつくしま)」とも呼ばれ、山幸彦・海幸彦の神話伝説の舞台として知られている。
だから、神門の扁額には「鴨就宮」と書かれている。
祭神は、山幸彦である彦火火出見命、その妃である豊玉姫命、妃の父親の塩筒大神。


青島神社に2本揃って並ぶ霊木ビロウ樹。別名「夫婦蒲葵(ビロウ)」


ここから北に「木の花ドーム」が見える。
ドームの名称は、立地場所である木花の地域名と日本神話の木花之開耶姫にちなんでつけられた。多目的施設として使用され、巨人のキャンプ時には雨天時練習場としても
使用されている。そして、巨人はキャンプ初日の恒例行事としてこの青島神社で必勝祈願をしている。

南九州の旅(鵜戸神宮)

2013年10月25日 | 日記

明治維新までは仁王護国寺を仁和寺が所管し、18の寺坊があった。明治の神仏分離で、寺坊はすべて棄却された。
だからこの鵜戸神宮の神門は、寺の山門のようなのだ。(しかし、イメージとしては竜宮城の入口のようでもある。)


いかにも南国という感じがする神社だ。
参拝するには崖に沿って作られた石段等を降りて行く必要があり、神社としては珍しい「下り宮」となっている。


本殿
鵜戸神宮の公式ホームページに「弟の山幸彦が、兄である海幸彦の釣り針を探しに海宮(龍宮)に赴かれ、海神の娘の豊玉姫命と深い契りを結ばれた。
山幸彦が海宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの鵜戸の地に参られた。霊窟に急いで
産殿を造られていたが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに御子(御祭神)はご誕生になった。故に、御名を日子波瀲武鸕鷀草葺不合尊
(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と申し上げる。」とある。
この主祭神と母親の豊玉姫命が乳母として遣わした妹の玉依姫命との間に生まれた4人の末子が神武天皇である。


ここには「運玉」と呼ばれる珍しい物がある。添乗員さんの説明によると「昔から参拝者が崖下にある亀石の背中に当たる部分にある枡形の穴
(注連縄に囲まれ真ん中の窪み)をめがけて賽銭を投げ入れる風習があった。しかし、1952年頃、亀石の上の賽銭取ろうと崖を降り、危険な目に遭う子が
続出し問題になった。そこで、賽銭に替わるものをと小学校関係者や神官試行錯誤の結果、1954年に粘土を丸め運の文字を押したものを素焼きした「運玉」
が登場いうことらしい。この運玉の初穂料は、5個100円である。当初は近くの鵜戸小学校(現在は小中学校)の生徒が作っていたようだ。この運玉を男性は
左手、女性は右手で願い事をしながら投げる。
写真ではアングルの関係で、岩の中央の注連縄と窪みが分かる程度だが、実際はこの岩石、亀の形に似ている。

南九州の旅(飫肥城下町)

2013年10月23日 | 旅・風景・グルメ
宮崎市日南市飫肥町は、1588年から明治までの280年間飫肥藩・伊東氏5万1千石の城下町として栄えたところ。
1977年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。


この大手門は、明治の初めに取り壊されたが、1978年に樹齢100年の飫肥杉を使用し復元された。


ちょうど私が行った1週間後に第36回飫肥城下まつり(10月19日~20日)があった。
この子たちは、飫肥城復元を記念して開催される祭のリハーサルだろうか。
ところで、この日、ここで地元幼稚園の運動会が行われていたのを見た。お城の敷地内で運動会ができるなんて素晴らしいことだ。


メインストリート

半沢直樹の背広

2013年10月22日 | 日記
サラリーマンを辞めたら背広を着る機会がない。黒の礼服を着る機会はあっても普通のスーツを着る機会は滅多にない。
辞めて1年半以上になるがスーツを着たのは一度だけ。
招待状にドレスコードが平服と書かれていた時だけだ。最初、ブレザーでもいいのかなと思ったが、秋篠宮殿下肝いり
の学会に出席したときほとんどの人がスーツにネクタイをしていて恥ずかしい思いをしたことを思い出した。ちょうど、
サラリーマン時代に買ってなぜか袖を通していないスーツがあったのでそれを着て行った。
その時は、出版社会長をしている勉強会仲間の個人出版記念パーティーだった。ノーネクタイの人もいたが、彼らはアーティスト
だった。
今度、背広を着る機会はいつのことだろうなどと思いながら、夏服の背広の整理ついでに他の「ロンナー」の背広の写真も撮影。


夏服


合い服、冬服 (形が変になっているので、サイズが違うように見えるが、すべて同じサイズ。)
パーティーに着ていったのは右端の背広。写真では分かりにくいが、生地が冬服専用みたいだし、ごく細いストライプが入ってる。
だから、もう少し年とって着たほうがいいかなと思って全く着なかった一着。

ところで、大ヒットドラマ「半沢直樹」に主演していた堺雅人さんが着ていた背広、どこのメーカーなのか調べて見ると、上の背広と
同じロンナーだった。彼は普段もロンナーを着てるらしいが、私も30年以上ロンナーを愛用していた。
既製服の中ではロンナーが一番は体に馴染む。

南九州の旅(関之尾の滝)

2013年10月20日 | 旅・風景・グルメ

この関之尾の滝は、宮崎県都城市関之尾町にある滝で日本の滝百選の一つ。霧島神宮への参拝の後の観光地だ。
この大滝は、幅49m、落差18m
水量が少ないため、上の段からは水がほとんど流れてもおらず、観光案内のパンフレットの写真とは大違いであまり迫力もない。


しかし、ここの良い点は、滝は間近に見られるよう吊り橋が架かっていることだ。ちょうど滝に虹が架かっていたので、一応納得。しかし、霧島神宮付近の
滝なら坂本龍馬夫妻が新婚旅行で訪れ、絶賛したという犬飼の滝を方を見たかった。
バスツアーの行程的にも京セラホテルの出発だから、まず犬飼の滝を見てから次に霧島神宮へ行っ、てさらに次の目的地である飫肥城下の見学に行く
コースでも問題はないと思う。


駐車場の所から撮影。
私が小さい頃は、徳島でも10月の中旬頃に稲刈りをしていたような記憶がある。しかし、最近は8月初旬から9月中旬頃までに稲刈りをすます農家が多い。
だから、秋らしい風景になっての稲刈りを見ると懐かしい気分になった。稲の天日乾燥を見るのも久しぶりだ。

南九州の旅(霧島神宮と坂本龍馬)

2013年10月19日 | 旅・風景・グルメ


天照大神の孫であるニニギノミコトが三種の神器を譲り受け、お供の7人の神と猿田彦命の道案内で高千穂の峰に降りたというのが天孫降臨神話。
このニニギノミコトを祀ったのが霧島神宮。古代の建立場所は、火山の影響で炎上を繰り返し、場所を移動してもたびたび炎上した。当地の現在の
社殿は、島津藩主の島津吉貴1715年に建立したもの。

霧島神宮で有名な話は、坂本龍馬の新婚旅行先の一つであったこと。
京都伏見の寺田屋事件で九死に一生を得た坂本龍馬が妻のお龍(りょう)と1886年、西郷隆盛らのすすめで、日本最初といわれている88日間
の新婚旅行をした。
この旅行中、龍馬は姉の乙女にたびたび手紙を書いている。だから、私たちは龍馬夫妻の新婚旅行の様子を窺うこともできるのだ。
ところで、坂本龍馬が人気が非常に高くなったのは、1962年に産経新聞夕刊で連載が開始された司馬遼太郎の「龍馬が行く」という小説による
ところが大で、つまり、昭和の中頃からである。
その証拠の一つが昭和4年、歌人の吉井勇が雑誌「キング」4月号(講談社)に書いた「或日の龍馬」という坂本龍馬の新婚旅行の記事。
この昭和4年に書かれた記事が発見され話題になったのが、2009年つまり最近という事実だ。
吉井勇の祖父である吉井幸輔は、幕末の京都で活動した薩摩藩士で、龍馬とは親友であり、龍馬に西郷隆盛を引き合わせたのも彼でないかとされている。
そして、彼は龍馬の鹿児島への新婚旅行の案内もしている。当時、彼は自分の10歳の息子幸輔(勇の父)一緒に連れて行っている。龍馬の信奉者の
祖父でなく、当時10歳でいわば純真だった父親、幸蔵の晩年に聞いた話を元に記事にしているのだ。だから、記事の内容はかなり正確ではないかと思う。
記事の内容からは、やはり龍馬の時代の世間一般の男児と龍馬の意識や行動とは相当違っているが、そこがまた大変魅力のある人物であることが分かる。




ソイカラ

2013年10月18日 | 日記
原田泰造、小池栄子と平泉成(子役の男の子の変身姿)出てるCMが面白い。
だから、つい買ってみた大塚製薬のスナック菓子「ソイカラ」食べてみればそれほど美味くない。
この商品、ヘルシー大豆スナックと謳っている。いっそのこと特定保健用食品(通称:トクホ)の許可を受けていれば、
外の菓子を食べるのを止めこれにしてもいいが。普通のスナック菓子なら最近よく出てるプレッツェル類の方がいい。
大塚製薬のソイカラのホームページにネーミングの由来が載っていた。
「Soy辛」と思って買ったのだが、全く違った。
“主原料のSoy(大豆)に、振るとカラカラ歌いだす楽しさを表現しました。Carat(カラット)は、宝石の質量を表す単位。
語源はギリシャ語の「豆」。古くは宝石の重さを「豆何粒分の重さか」で表していたそうです。”のようだ。

しかし、長所もある。ノンフライ製法だから手にスナック菓子特有の油が付かないこと。そして、パッケージがよくできていて、
ジッパーがついていないのに袋が再封できること。



「ソイカラ のり納豆味」「ソイカラ オリーブオイルガーリック味」は、今月の2日に新発売。

南九州の旅(桜島の噴火)

2013年10月17日 | 旅・風景・グルメ
京セラホテルの東側を流れている天降川(あもりがわ)に架かる橋の歩道で1箇所川側に出っ張っている所がある。
そこから桜島を眺める景色がいい。


10月12日午後5時42分撮影
回り廊下のような雲がいい。


京セラホテルを出発する朝もホテルの付近を散歩していると桜島に大きな噴煙が上がっていた。ネットで調べるとこの噴煙は
今年718回目で、この日午前6時46分に起きた噴火によるものだった。噴煙の高さは、火口上1300mらしい。

クリックで拡大
10月13日午前7時48分撮影
ミッキーマウスの形をしている。


10月13日8時58分(霧島神宮展望所から撮影)

桜島は、1日平均にすると4回近くも噴火しているなんて知らなかった。ここ数年噴火の回数が増えているようだ。今年の8月18日の
噴火は、なんと上空5000mにも達し、降った灰の量が15万トン。この噴火でも規模で比べると1990年に起きた雲仙岳の噴火の
1660分の1だそうだ。

南九州の旅(京セラホテル)

2013年10月16日 | 旅・風景・グルメ
昨日、3泊4日で最高56.6万円というJP九州の豪華寝台列車「ななつ星in九州」が運行された。このDXスイート席は、すでに来年
6月まで予約で埋まっているらしい。
こんな豪華な旅には縁遠いが、私もこの連休2泊3日で南九州にバス旅行した。徳島からだと鹿児島へ行くのに愛媛県の八幡浜港から
フェリーで佐賀県臼杵港に渡ることが多い。
ただ、前の宮崎県知事の東国原英夫衆議院議員がよく言ってたが、大分県から鹿児島までの高速道路がない。このため、わざわざ高速
道路を臼杵から佐賀県の鳥栖まで九州を横断してから今度は九州自動車道を鹿児島まで南進することになる。だから、朝5時にバス乗り場
を出発し、観光地に寄らず走ってもホテルに着くのは夕方の5時頃になる。
この日宿泊したのは、鹿児島県霧島市隼人町のJR隼人駅からタクシーで5分、歩いても15分の距離にある京セラホテルの本館。
位置図にあるように鹿児島空港に近いので、各航空会社のCAの定宿となってるようだ。




黒川紀章の設計で有名なこのホテル、順光で撮るとホテルが夕日で染まっていた。
この色、何色と表現すればいいのだろうか。
ネットで和色を検索してみると「香色」というのが近いようだ。
香色(こういろ)とは、丁字などの香料で染めた色、あるいはそれに似せた色で、濃い順に濃香、中香、薄香と呼ばれている。


東側から逆光で撮ったのがこの写真


翌日の朝の写真
右が1995年建設の本館(客室数:179) 左が2001年建設のアネックス(客室数:149)
本館とアネックスは、空中通路で繋がっている。


ホテルの内部
画面の両側が客室 真ん中に見えるのがチェペル。