観・環・感

野鳥観察や旅行、映画などの趣味と日常生活や世の中の状況について、
感じる事を書いています。

このカモの正体は?

2017年03月16日 | 野鳥

上の2羽は、オカシガモの雄だが、下のカモはどこか違う。


上記写真の上の右側の個体の写真


下の方のカモは、頭の部分を除くと模様が異なる。オカヨシガモの特徴である翼鏡の白い部分がはっきり見えない。
オカヨシガモ雄の幼鳥?、オカヨシガモ雌の雄化個体?


上のハシビロガモ雌と下のオカヨシガモ雄が交雑したような模様だ、
正解はオカヨシガモ雄の幼鳥のようだ


覆面バード

2017年03月15日 | 野鳥

覆面バード? いいえ、ズグロカモメ(頭黒鴎)夏羽。




日本には冬鳥として飛来するが、数は少ない。



「写楽忌」記念歴史文学散歩 その3

2017年03月14日 | 写楽の会

東洲斎写楽の浮世絵「大童山土俵入り」に描かれている阿波藩お抱えの力士・勢見山のお墓


横面には勢見山というしこ名と本名が書かれている。


事務局長の桑井さんがシキビの用意をしているところ。このあと参加者一人一人がお参りした。


どういうわけかNHKの取材陣が途中ではぐれ、参加者の大半が帰った後に墓地にやって来た。残った参加者で絵になるようにもう一度
お参りをした。(この場面も含め記念歴散歩の模様は、当日のニュースでちゃんと流れた。)








「写楽忌」記念歴史文学散歩 その2

2017年03月13日 | 写楽の会

眉山に連なる勢見山の東麓にある金刀比羅神社は、かって、藍などの海上輸送の守り神として商人の信仰を集め、今でも「勢見のこんぴらさん」
と呼ばれ親しまれている。この長い急峻な石段を上がると本殿と、その奥に相撲の土俵がある。
徳島藩主蜂須賀公が花相撲を開催し、西日本では大盛況だったが、昭和30年にその幕を閉じている。その後、地元の二軒屋商工振興会が
子供たちの強く逞しい成長を祈願して、ちびっ子相撲大会として復活させている。


大鳥居の脇に建つ大きな石灯籠は、高さ10.24mで日本最大とされている。かつて、その明かりが海からも見え、津田港に入港する船の
目印となっていたそうだ。


灯籠の説明書き


オッパショ石
徳島藩お抱えの力士、勢見山の眠る墓地の近くにある。


この石の由来







「写楽忌」記念歴文学散歩 その1

2017年03月08日 | 写楽の会

昨日3月7日は、浮世絵師・写楽の正体とされる阿波藩お抱え能役者、斎藤十郎兵衛の命日であった。このため、この日を「写楽忌」と
して広く知ってもらうため、写楽忌記念歴史文学散歩を実施した。
最初に、斎藤十郎兵衛が能役者だったことから、観世流シテ方能楽師の高橋京子氏に「徳島と能楽」について話していただいた。
この場所は、阿波藩の能舞台があった場所。


講師が「高砂」を皆さんにも唄ってもらうということで、慌ててて写楽の会事務局長さんが読本配布の用意をしているところ。


「高砂」を唄っているところ。「写楽忌」周知に向けての幸先のいいスタートとなった。
(東京オリンピックの年、2020年は、斎藤十郎兵衛の没後200年。)



この歌碑は、赤い靴、七つの子、シャボン玉など有名な詩人の野口雨情が最後に来県してから80年を記念して昨年建てられたもの。
以下、徳島新聞の「鳴潮」から
雨情は、北原白秋や西条八十(やそ)とともに童謡界の三大詩人と呼ばれた。日本全国を旅して、小唄なども各地で多く残している。
徳島には3度来て、当時の11市町村で122節の唄を詠んだ。<むかし忍んで徳島城の 松に松風絶へやせぬ>


写楽忌翌日の徳島新聞記事





3月7日は、「写楽忌」

2017年03月05日 | 写楽の会
浮世絵師・東洲斎写楽=阿波藩能役者・斎藤十郎兵衛の命日である3月7日に「写楽の会」で「写楽忌記念歴史散歩」を
行うことにした、

この歴史散歩の内容が掲載された徳島新聞の記事

散歩のコースは、徳島城博物館から「大童山土俵入り」に登場している阿波藩お抱え力士・勢見山が祀られている徳島市二軒屋町にある
勢見山まで


大童山土俵入り


前列左が勢見山
(大童山が土俵入りを見せた「寛政6年11月場所幕内番付表」と比較すると、東方では大関の小野川は描かれておらず、西方では番付表に
載ってない宮城野が描かれている。)