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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

山陰の旅 7 厳島神社

2013-09-19 00:04:00 | 写真

旅の後半は、山陰を抜け出して、一路、広島へと向かいます。

夕方、広島、安芸グランドホテルへ到着しました。

広島湾に突き出た岬にあり、秋の宮島を正面にした、なかなかのホテルでした。

一風呂浴びて、夕食を食べてから、ナイトクルージングに出発です。

ホテルの裏に、桟橋があり、このホテルの自慢のクルーズの様でした。

お断りしますが、この旅行の2日目に使った2枚目のメモリーカードを、PCに取り込もうとしたと

きに、PCか、mcnjの不手際かわかりませんが、トラブルが発生して、取り込み不良となり、取り

込めませんでした。

それだけなら良かったのですが、メモリーのデータまで失われてしまいました。

この後の画像は、パンフレットか、HPから借用したものです。

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この日はちょうど満潮と重なり、船は、鳥居の下を、何回も潜り抜けてくれました。

まじかで見る夜の鳥居は、すごく幻想的で、良かったです。

翌日は、朝一番に、宮島へ渡って、厳島神社参拝です。

どこにもある画像ですが、一応紹介させていただきます。

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↑本殿。

このほかに、平舞台(神殿造りの庭にあたる)、高舞台、回廊、反り橋(現在修復中)などがあり

ました。

この後は、三重県に帰るだけですが、昼食を、社内弁当にして、トイレ休憩を、原爆公園にすれ

ば1時間稼げるとのことで、大急ぎで向かいました。

ここでも、大分写真を撮ったのですが、すべてムダになってしまいました。

ここは、原爆資料館と合わせて見学した方がいいところですので、またの機会を期待して、後に

しました。

と言うわけで、尻切れトンボのまま、山陰の旅は終わらせていただきます。

長いおつきあい、ありがとうございました。


山陰の旅 6 岩見銀山 2 

2013-09-18 00:10:00 | 写真

世界遺産岩見銀山は、島根県太田市大森から銀山川に沿って点在する採掘跡、精錬所、

代官役所、寺社、街並み、街道などからなっています。

600余にも上る採掘現場(間歩)には、相当の人数の人手が必要であり、サポートしたり、運搬

したりする人々も含めると、かなりの人口の街であったと考えられます。

現在は、産業としては成り立っていませんが、街並みが保存されたり、遊歩道が整備されて、見

学者でにぎわっております。

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↑こんなものもありました。世界遺産とは、関係ありません。

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街並み。

大森から一番上の龍源寺間歩まで、およそ5kmあるとのことでしたが、年寄りがそんなに歩け

ませんので、途中の銀山公園まで、バスで移動しました。

それでも片道、2km半あるとのことで覚悟して歩き出しました。

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途中で、花達が、疲れを癒してくれました。

余談になりますが、岩見銀山と言えば、毒薬で有名ですね。

昔の講談には、悪代官が、ライバルを、石見銀山で殺そうとする話が良く出てきます。

四谷怪談でも、お岩が石見銀山を飲まされて、醜い顔になって死んでしまい、お化けになって出

てきます。

どんな毒薬だったのでしょう。

鉱山に人があつまると、町が出来、生活がはじまります。

昔は、人の集まるところには、ネズミが増えたのです。

鉱山では、ネズミ退治に、遠くからヒ素を買ってきて、猫いらずを作りました。

これが良く効くと評判になって、銀山の商人達が、全国に売り歩きました。

いつか、石見銀山が、ブランドネームになって、毒薬と言えば、石見銀山をさすようになったと

言うことです。

長くなりましたが、これで、石見銀山のレポは終わらせていただきます。


山陰の旅 5 岩見銀山(1)

2013-09-17 00:12:00 | 写真

島根県太田市大森町。

「岩見銀山遺跡とその文化的景観」として、2007年に世界遺産登録。

 ①鉱山遺跡。

 ②鉱山町。

 ③鉱山積み出し港。

 ④鉱山街道。

 ⑤山城。

これらを保全することの、文化的価値が評価されたものです。

当初は、他の候補地に比べて、シンボリックな建物もなく、申請はしたものの、登録は無理だろ

うと、誰もがあきらめていたそうです。

ところが、間際になって、山の一部に石の段が発見され、掘って見たら、大きな鉱山遺跡が現

れました。

調査に訪れていた人たちも、あんな緑豊かな山の下に、大きな遺跡があったことに驚き、日本

と言う国の自然の回復力のすごさに、感嘆したそうです。

これが決めてになり、世界遺産登録に至ったとのことです。

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岩見での銀の算出は、古く、1300年代にはじまります。

大内、尼子、毛利など戦国大名達の主導権争いの後、関ヶ原の戦いに勝った、徳川家康が、

天領として管理するようになります。

天領は幕府の直轄地を意味しますが、土地そのものを管理するのではなく、土地は、私有のま

ま、経済産業に励ませて、租税を納めさせるものです。

税の徴収権を幕府が握ると言うことです。

岩見銀山の山は、出雲国ですが、鉱脈を掘り当てると、それは私有権になります。

幕府は、代官所を置き、山に坑道を掘らせ、この坑道を10mおきくらいに、貸与して、採掘権を

与え銀を掘らせました。これを、間歩といいます。石見銀山には、600を超える間歩がありま

す。

間歩で掘った銀は、掘ったものの所有ですが、儲けの一部を、租税として納めさせました。

当時の貨幣価値から計算すると、銀の採掘は、かなり、分のいい商売であったらしく、多くの鉱

夫が集まって来て街を形成したそうです。

幕府が、罪人を送り込んで、金を掘らせた、佐渡金山のイメージとは、かなり違いました。

佐渡金山を見た時は、悲惨な状態に、暗い気分になったものですが、この、岩見では、みんな

が、金(かね)を目当てに、意欲的に働いたそうです。

それでも、狭い坑内で、明かり取りの煤や、粉じんの吸引で、死んで行くものが多く、40歳を超

えるものは、まれだったそうです。

人生50年の時代ですから、精一杯、稼いで、満足して死んでいったのでしょう。

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↑間歩。

この間歩は、坑道を使わずに、個人が、直接露天から掘り進んでいます。

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石見銀山で最大の、龍源寺間歩。

これは、代官が坑道を掘って、鉱夫を募集した代官間歩です。

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やはり、このような作業を見ると、いくら、金になるとは言っても、厳しい仕事だったようです。

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↑銀鉱石を焼成して、銀を取り出した場所。

銀鉱石に、鉛を混ぜて、銀ー鉛合金として精製したのち、銀と鉛の融点の差を利用して、銀、鉛を分けます。

ちっと一息入れて、また、明日ご覧ください


山陰の旅 4 出雲大社

2013-09-16 00:01:00 | 写真

出雲大社の大鳥居が見えてきました。

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出雲大社、正式には、いずもおおやしろ、通称いずもたいしゃ。

祭神、大国主大神。

社格、式内社出雲国一宮。

拝礼、二拝四拍手一拝。

国宝本殿のほか、21社殿、1鳥居が重要文化財指定。

工芸品手箱1個が国宝指定。

↓本殿は、撮影禁止のため、出雲大社HPより借用。

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現在は、60年に一度の遷宮中。

20年に一度の伊勢神宮の遷宮と重なる珍しい年だそうです。

一番前の社殿は、撮影OK.

その奥の社殿は、撮影禁止。

特に、三角屋根の本殿は、近くからでは、撮影できないアングルになっています。

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↑拝礼殿。

金を払えば、首にぶら下げる飾りのようなものを貸していただいて、この中で、神主のお祓いを

受けることができます。

我々は、ツアー料金に含まれていたようです。

中に入れてもらいました。

今頃の神社は、年寄りに配慮して、椅子式が多いのですが、さすが、大社は、畳敷きの大広間

に座らされて、お祓いです。

3,400人はいたでしょうか。

あいにくmcnjは、足が悪いものですから、正座ができないので、神様に失礼ですから、外で待

たせていただきますますと、言ったら、バスガイドが、補助いすがあるから、交渉してあげましょ

うと言ってくれて、巫女に話していました。

やがて、巫女が、片隅から、腰掛をもってきてくれました。

それを使わせていただいて、有難い、お祓いを受けることができました。

それを見た、ほかのお客さんが、我も我もと、補助いすを求めにやって来ました。

巫女は、これを見て、この椅子は、神様にお仕えするものが使わせていただくものですから、庶

民には、お貸しできませんと断っていました。

mcnjの場合は、バスガイドの一言があったために、例外扱いされたようです。

神様も、スポンサーである、旅行会社の権威には、勝てないようです。

おかげ様で、高い場所から、お祓いしてもらうことができました。

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↑このしめ縄は、1.5tonもあり、日本一だそうです。

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お祓いを受けたものは、特別に、本殿への参拝が許されるとのことで、入場しました。

立派な本殿(国宝)は見るだけで、中では撮影できません。

彫り物も立派でした。

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君が代にもあるさざれ石。

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旧暦の10月の11日から17日は、八百万の神々が全国の神社からここに集まって、会議を開

くそうです。

全国の神社には、伊勢神宮の天照大神以外はいなくなるので、お参りしても、無駄だそうです。

そう言えば、11月は、神無月でした。

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どの社殿にも、大きなしめ縄が下がっております。

参拝が終わって、お土産を買わされたあと、出発しました。

行く先は、石見銀山です。

バスの中で、出雲大社から頂いた、有難い土産があると言って渡されました。

袋に入った小さな紙のお守りと、おみくじでした。

神様の土産らしく、紙ばかりでした。


山陰の旅 3 玉造温泉

2013-09-15 00:11:00 | 写真

足立美術館を見学後、バスは再び、中海沿いに松江に向かって走ります。

今夜の宿泊地、玉造温泉です。

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玉造温泉は、奈良時代に開湯されたと言われる歴史のある湯場です。

中心を流れる玉湯川の両側に旅館が並び、温泉街を形成しております。

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↑白石家。

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部屋から見た景色。遠くに見える建物は、星野リゾート。

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↑写真がありませんので、ホテルのパンフレットから。

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夜8時半から、安来節の泥鰌すくいショウがあったのですが、旅の疲れと飲み過ぎのため泥酔

して見逃してしまいました。

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パンフレットで雰囲気をお楽しみください。

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バスは白石家の従業員たちに見送られ、宍道湖沿いに、出雲へと向かいます。

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