言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

どうなる2009

2008-12-29 | 所感折節
わが国金融関係者の中で囁かれている2009年恐怖のシナリオは、「トリプル・ファイブ」なんだそうです。何のことかと言うと、下記の3つの数字が実現するのではないかとのこと。

「日経平均5000円」

「1ドル50円」

「ガソリン1リッター50円」


・・・ということで、2009年はいい話が向こうからやってくるような状態ではないらしい。自分から動いていかなければならないようです。百年に一度の危機は、見方を変えれば百年に一度のチャンスでもあるはず。積極的に行きたいものです。

     かんべえ「溜池通信」12/28

野村狂言座

2008-12-11 | 能・芸能
第44回野村狂言座

・『茶壷』
     すっぱ   佐藤友彦
     中国の者 佐藤 融
     目代    高野和憲

・『栗焼』
     太郎冠者 野村万作
        主   野村万之介

・『金津地蔵』
         子  野村裕基 後見:野村万作
         親  野村萬斎
     金津の者  石田幸雄
       立衆  深田博治 他五名

今夜の出し物はどれも面白かった。どれも緊張感・笑い・見世物等ふんだんに盛り込まれていたように感ずる。「茶壷」を演じた名古屋狂言共同社の方々。初めてその演技を観たのだけれど、動きに無駄がないというかキレがいいというか、キビキビとして重くれてなく、セリフも良く聞こえたし面白かった。「栗焼」は、さすが万作・万之介兄弟、ほのぼのと作為なく自然体で流れるような展開だった。万作先生の声はハスキーがかっていて聞き取りにくいように思うけど、これが全然気にならない。言ってることが明晰に伝わるから不思議だ。「金津地蔵」裕基君、見るたびに成長している。体つきも子役としてはほんとに可愛い役を演じることができる歳になったように思う。科白回しも、演技もしっかりしてきた。舞台で、万作・裕基・萬斎の3人が衣装替えをした。地蔵に変身するところだ。ほんとにこの3代がいまの野村を支えているのだと思うと感無量だった。思い出に残る出し物だった。

国立能楽堂12月公演

2008-12-10 | 能・芸能
開場25周年記念特別研鑽公演

・狂言(大蔵流) 『鶏聟』
    シテ(聟) 若松 隆
    アド(舅) 山本 東次郎

・素囃子 『中ノ舞』

・狂言(和泉流) 『釣狐』
    シテ(白蔵主・狐) 深田博治 (披き)
    アド(猟師)     野村萬斎

   期待していた「釣狐」。白蔵主が揚幕からフッと現れた時から目を離せない一種独特の雰囲気に包まれた。ほのぼのとした笑いをテーマにした曲ではなく、何匹もの狐が罠にかかって仲間を失ったことを嘆いた古狐が、狐を狩るのを止めさせようと猟師の目上の人間に化け説教し、その罠を捨てさせた。ところが捨てた罠にあった油揚げを食べたくてさんざ迷った揚句手を出し、罠にハマってしまい、猟師と格闘して、罠を外し逃げるという話だけれど、狂言師が狐に化け、化けた狐がこんどは人間に化けるというややこしい役でその演技は難しい。狐の縫ぐるみを着た上に装束を着込んでるので、暑いし、不自由だし、その上狂言の約束事を踏まえるのだから難曲なのだ。気力・体力・集中力・演技力、どれもギリギリまで要求される。和泉流ではこの曲を演じて初めて免許皆伝なのだ。先生は去年の暮に「演る」といったから、1年かけて公演の合間に稽古されたのだろう。狐の声は良かった。特に遠吠えが。 萬斎先生は風邪ひいたかな。鼻声だったように聞こえた。

カタチにする

2008-12-06 | 読書 本
音楽に限らず、芸術はまずイメージが大切で、それがピアノ音楽であろうとなんだろうと、まず漠然としたなにかのモチーフが体の中から湧き起こってくる。そのイメージを自分の楽器で表現すべく、行動に移る。しかし、その段階から、常人なら四苦八苦することとなる。少なくとも僕はそうだ。たとえそのイメージが、ピアノの音によるメロディーや和音であったとしても、実際ピアノでその音を探ってみると、イメージと全然違う音が出たりする。さらにピアノの音をイメージに近づけようと努めるのだが、そういう煩悶の繰り返しの後、大方ではあるが、自分のイメージと一番近い型ができあがってくる。譜面に書いたその音自体が、イメージそのものとなることはごく稀で、だから音楽は面白いと言えるのかもしれないが。
 「白鍵と黒鍵の間に」  南 博