言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
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花森安治

2017-04-11 | 所感折節
『 花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼 』

世田谷美術館 2017年2月11日~4月9日  特別協力:暮しの手帖社

●展示内容 (案内より抜粋)

第Ⅵ章:花森安治の「あいうえお・もの図鑑」・・・・(これが展示の最初だった)
第Ⅰ章 学生時代の花森安治  第1節:旧制松江高等学校時代  第2節:東京帝国大学時代
第Ⅱ章 戦時下の花森安治 
 第1節:報道技術研究会と大政翼賛会宣伝部
 第2節:戦時下の出版活動
 第3節:手帖と書簡
第Ⅲ章 暮しの手帖社の花森安治
 第1節:『暮しの手帖』前史ー敗戦直後に
 第2節:『暮しの手帖』第1期ー暮らしに工夫を
 第3節:『暮しの手帖』第2期ー商品テスト/日本人の暮し
 第4節:『暮しの手帖』第3期ー社会の矛盾へ
 第5節:暮しの手帖社の書籍ー花森安治の装幀 
第Ⅳ章 花森安治の装幀
 第1節:花森安治の著書   第2節:他者の著書   第3節:雑誌表紙『週刊朝日』   第4節:花森安治の広告デザイン
第Ⅴ章 《一銭五厘の旗》を掲げて
 第1節:「戦争中の暮しの記録」  第2節:「見よぼくらの一銭五厘の旗」  第3節:「最晩年の花森安治」

世田谷美術館は、約12万坪ある砧公園の一角にある。この企画の最終日に訪れたが、最初の展示物にたどり着くまでに、20分はかかる人の波だった。展示内容の順に、この企画に展示されたものは、雑誌のバックナンバー・表紙の原画・自筆原稿・広告など約750点にもなるそうだ。坂口安吾などの有名作家の自筆原稿もあった。花森のパステル画・カットの原画がたくさんあった。そして雑誌に使われた写真もたくさんあった。新聞に掲載された「トーストの山、43088枚」もあった。「商品テスト」は絶対にヒモつきであってはならないのである。人間はキカイではないから、ゼニをもらっていると、どうしてもそのへんに情がからみやすい」・・・という信念で、他の製品のテスト風景もあった。コンセントの抜き差し5000回。ミシンの縫いを専門家に10万メーターテストさせる。画家たちによるパステルの発色テスト。などなど。とにかく徹底して製品のテストをしたのだというのがよく分かった。戦時下の花森達の宣伝活動もすごかったのだ。・進め1億火の玉だ ・この一戦なにがなんでもやりぬくぞ ・家庭も小さな鉱山だ 鉄・銅製品を総動員! ・(軍事費を捻出するために)われわれの懐からだ!貯蓄だ!これがわれわれの義務だ!  ・焼夷弾は怖くない。手で消せる。だから逃げないで必ず消せ。・・・というポスターもあった。・・・  ほかにも、   ・ミカン箱・リンゴ箱の机の作り方   ・郵便を手テストする。東京から大阪まで9日から10日かかる。この怠惰・この無責任。 ・サトーを警戒せよ。君は1日に何グラムの砂糖をとっているのか。-コーヒー一杯12グラム。-コーラ13グラム  1日50グラム以上は危険だ。心筋梗塞の原因になる。   ・買わないですませる工夫 -いまあるもので間に合いませんか -大事に使へばまだまだもちませんか  -繕ったり作り直せばまだ使へませんか  -繰り廻しを考へてみましたか  -隣組でお互いに要らない物を融通交換できませんか    ・お米は正しく配給されているか。  ・萬1歳になる赤ちゃんが1年の間、なにをどのくらい食べ、どのくらい飲んだか。  などなど。 「一銭五厘」というのは、召集令状のはがきの切手代のことだ。つまりヒト1人の命の代金ということを揶揄したものだ。ほんとに戦争は狂気なのだ。国民全部を狂気に落とし込むのだ。花森の仕事は、だから市民にとって陽もあれば陰もあって、その影響力・振幅はものすごく大きかったということなのだろう。

館外に出れば、桜は満開。ここの桜の木はみな巨木。それが満開に咲いていた。いまの平和をつくずくと実感した。