言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

映画「親愛なる同志たちへ」

2022-04-17 | 映画 音楽
ソ連時代の革命にテーマを求め、志高くその理想の実現に闘志する映画かなと思ったが、違った。

60年くらい前にある小さな村であった暴動騒ぎを底辺にした、ヒューマンドラマ。
そこで起こった数々の出来事は、今のロシア・ウクライナ戦で起こっている出来事に通じることが、少なからずエピソードとして語られ興味深かった。

なかでも、国家上層部はその体制維持に不都合な出来事には徹底的に隠蔽をはかることだった。知らぬは一般庶民のみというやりきれない思いがした。

むしろ映画のタイトルに近いのは、「同志少女よ、敵を撃て」という本のほうが面白い。
物語の背景がしっかりしていて革命につきものの死・殺人について考えさせられる。

信州 桜爛漫

2022-04-14 | 旅行
信州の桜を見に2泊3日のバス旅に参加した。
3日とも殆ど快晴の天気に恵まれ南の風が吹き、気温も25度を超えていた。
地元を出発して先ず諏訪湖。
諏訪の桜は未だのようで、湖を30分近く周回したけれど花の色は殆ど無かった。
波もなく、穏やかな湖面を滑るように進む。厳冬期には全面結氷するというのが
嘘みたいな風景だ。船着き場あたりの公園は広々とした芝生になっており、
この日は人影も閑散としていた。人よりも鴨のほうが多かったかもしれない。

海とは全然違い、静かで眠くなるような景色だった。
蓼科に行く。
標高が高いだけあって空気感が違う。たくさんの木立。やっと雪から抜け出た感じで
若葉とはほど遠い。でも快適な肌感覚だ。都心のゴミゴミした生あったかさというのはまるでない。自然の爽やかさは素晴らしい。

高遠城址公園に行く。高遠に近づくにつれ山々や畑、民家の軒先に咲く桜の花が
増えてくる。着いた城址公園は満開の桜で埋まっていた。遠くに冠雪した千丈岳。

南アルプスの山々。満開の桜が青空に映えてどこを見ても絵になる。


松本城に行く。天守閣まで昇る。床はピカピカに拭かれて滑り易い。急な階段をビクビクして天守閣へ。松本の町が良く見渡せた。風が心地よかった。

白馬に泊まった翌日は上田へ。


途中里山の村々をいくつか過ぎるけれどこんもりとしたさほど高くもない山々に山桜がいっぱい咲いていて楽しめた。

小諸城址・懐古園に着く。ここも桜が満開。


ここは数種類の桜が植わっていて微妙に花色も、枝ぶりも異なっていて見事だった。神社に風に吹かれて花びらが舞い散り一部の桜はいくらも経たないうちに葉桜になるようだ。

この旅を終えた翌日から天候は崩れ、10度近く気温は下がった。
天候と桜には奇跡的ともいえる恵まれた旅だった。

春の鵠沼海岸散歩

2022-04-08 | 所感折節

鵠沼海岸を散歩した。
小田急に乗って鵠沼海岸駅で下車。
そこから10分くらいのんびり歩くと海岸に出る。
快晴。  微風。  気温20度はない。

波の音が心地よい。
水平線は少し霞がかっているようで、
白い雲がポツリポツリと浮かんでいる。
鵠沼海岸は 左手の江の島から
右手の茅ヶ崎 もっと遠くまで伸びている。
その沖に雪を目いっぱい被った富士山が浮かんでいる。
                                           
穏やかな日なので たくさんのサーファーが波に浮かんでいた。
ボードの上に立って漕いでる若者もおれば
すこし沖にはパドリングしている若者もいた。
カヌーみたいな細長い一人乗りだけれど 速い。
この海岸から江の島の突端まで距離感があるのに
さして時間を要しないで漕いでいた。
意外だったのは
白髪、あたまの禿げたオジサンたちがけっこう海にいるのだ。

沖にちょっと大きな船が停泊しているように浮かんでいた。
青い三本線が入ってるのが見えたから巡視船らしい。

波打ち際の海岸線に沿って歩く。
打ち寄せる波の引き際に沿って
桜の花びらが模様を残してずうっと続いていた。
水を含んで少し黒っぽい砂地に桜の花色が
ひときわ際立って見えて面白かった。
いったいこの花びらはどこから海まで飛んできたのだろうか。
この時期にしか見れない砂浜の景色だった。

シーズン前の海岸なので、弁当やホットドック片手に歩く人は殆どいない。
だからか、いつもはたくさん飛んでるトンビやカラスが少ない。
夏になると海の家が所狭しと立ち並びにぎわう浜も
この時期静かだ。

波の音は 人の声、浜で作業している車、
サンドテニスしてる元気な若者たちの声すらのどかにしてしまう。
波のエネルギーはすごいと思う。

駐車場でルーフ付きの赤いボルボを見た。
なんだかとても新鮮に見えた。

カラフルで波の音が残る散歩だった。

犬の絵

2022-04-07 | 習い事
都会の中で野犬はほぼいない。

野良犬の類は大抵飼い主がいたはずだ。

なんらかの理由で放棄されたに違いない。

野良犬たちは人間に害を与えるかもしれないという恐れからやむを得ず保健所が野犬狩りをして薬殺処分しているらしい。

いつだったか忘れたが、これらの狩り集められた犬たちが鉄格子のなかに集められた写真を見た。

大半の犬たちは、なんとも悲しげな目つきをしていた。

犬たちは近い将来に身に降りかかってくることを本能的に感じてるに違いない。

この絵はそんな写真の1枚を見て 墨汁と割り箸を使ってクロッキーしたものだ。

犬も恐怖で他の犬の首にしがみつくのだ。

ペットとはいえ悲しい現実なのだ。



犬の写真

2022-04-04 | 所感折節
部屋の壁に、4枚の写真がそれぞれ小さな額に収まって飾ってある。
我が家で14年余り過ごした犬の写真だ。
1枚目はペットショップで見つけ、家で飼い始めてから数か月すぎた頃のものだ。
座卓の下にもぐりこんで、狭い空間でスリッパをかじり、得意げにこちらを見ている写真。
2枚目は、それから数年経った頃、元気溌剌として、全身筋肉という感じで
公園を走り回っていた頃で、空を見上げ長い舌を出している写真。
3枚目は、それから更に数年後で、
首に赤いマフラーをし、頭にちょこんと小さな三角帽をかぶった写真。
しかし顔は痩せ、頬骨が浮き出、目に光なくやっと正面を向いてる状態だ。
この頃病んでいたのかもしれない。
4枚目は、突然というか目の前でバッタリと倒れ痙攣し、そのまま死んでしまって
数時間経った頃の写真。
首から下の毛は油気のないパサパサしていて歳を感じさせるけれど
顔だけはどういうものかふっくらとして明るく、とても穏やかだ。
毛並みすら違って見える。  ゆっくりと顔の様子が変わっていったのを覚えている。
苦しさから解放されたのかもしれない。
思えば老年になってから、外に散歩に連れ出しても次第しだいにユックリとしか歩けなく
なってしまった。冬の風の冷たく吹く日など犬舎の奥に横たわってなかなか出てこなかった。
排泄も犬舎の中でしていた。あの頃、本当は散歩などしたくなかったのかもしれない、
あるいは出来なかったのかもしれない。
飼い主の勝手に付き合わされて犬はとっても辛かったのかもしれない。

4枚目の写真を眺めるたびに、反省めいた気持ちにさせられる。