3.11の震災は数限りない出来事を誘発し、本当に言葉で言い尽くすことはできない。
その数々の出来事の1つに、すみだトリフォニーホールで起こった事実をドキュメンタリーにした番組がNHKから放映された。この日ホールでは新進気鋭の指揮者ダニエル・ハーディングが、パートナーとして新日本フィルを初指揮して、マーラーの5番を演奏することになっていた。しかし14時46分を境に楽団も観客も事務局も稀有の体験に遭遇することになった。そこで拾った数々の言葉はとても重いものがあると思う。
事務局(開催決定者)-お客様が一人でも来れば演るのが基本だ。そのためには2つの条件がある。1つは安全であること。2つ目は演奏のクウォリティーが確保されていること。
これらを確認し、開催決定。リハーサルは1時間15分遅れて16時30分から開始。
93人の楽団員(音出しするまでは心理的な動揺が激しかったのだけれど)
-心の痛みを音に出せることが証明したのかな・・・
-演奏家としては得難い一夜だった。演奏するっていうことはこういうことなのかなと思えた。
-音楽って意味があるんだ。なにか今日はこの曲を演かなきゃと思えた。
-あの状況の中で楽員の精神状態を考えると奇跡的だった。
-私たち音楽家ができることというのは・・五感に訴える力があるのかなと・・良いとか悪いとかでなくて何かをともかく表現したい・・思いが出たコンサートだった
-異様な集中力と緊張感みたいな鳥肌が立つような響きが感じられた。
-(イギリス人の指揮者ハーディングにとって初めて体験する地震、しかも震度5に特に動揺する事なくいつもどおりの様子だったらしい)一人ではないこと、仲間がいることの心強さを感じる必要がある。私自身圧倒されるような体験でした。
観客(1800人収容で結局105人)
-音楽の神様がついてたんじゃないかとおもえるくらい・・
-あのような時に演奏会を聴きに行ったことに、罪悪感のようなものがあって、しばらく誰にも言えなかった。
この番組を観ながらいろいろな映画を思い出した。
・「ベニスに死す」ではこのマーラーの5番アダージェットが
・「戦場のピアニスト」では廃墟と化した街中で隠れていたユダヤ人ピアニストがドイツ人将校に発見され、彼の前で必死の思いを込めて演いたブラームス?
・「愛と哀しみのボレロ」でアウシュビッツ収容所の入り口で演奏されてたユダヤ人によるセレナード
・「タイタニック」では沈みゆく船に残り、最後まで演奏を止めなかった楽団員たち
どれも「死」の影がある。
3.11でのマーラーは泰然自若の指揮者のもと、必死の演奏でもあったのだろう。