言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

日本のバレエ

2012-03-27 | 能・芸能
言うまでもなくバレエはヨーロッパで成立し、欧米人よって踊られてきた舞踊である。

日本のバレエダンサーたちはじつに見上げた努力をした。
バレエという身体芸術には努力をする人の内面を光で満たすものがあるのだ。
なべて修練は積み重ねるほどに精神が自由になる。そして本物の自分が外に顕れ出る。日本のバレエも西洋生まれの技術を吸収し、
自らを磨けば磨くほどに自身を表現することが楽になっていった。

日本人が踊るバレエはとても清楚で折り目正しく、強靭であっても柔和で繊細だ。また抑制された表現には心地良い静けさがあり、
何より清潔な空気感は他では見られないものだ。

                      佐々木涼子(舞踊評論家)

3.11すみだトリフォニーホール

2012-03-17 | 災害
3.11の震災は数限りない出来事を誘発し、本当に言葉で言い尽くすことはできない。
その数々の出来事の1つに、すみだトリフォニーホールで起こった事実をドキュメンタリーにした番組がNHKから放映された。この日ホールでは新進気鋭の指揮者ダニエル・ハーディングが、パートナーとして新日本フィルを初指揮して、マーラーの5番を演奏することになっていた。しかし14時46分を境に楽団も観客も事務局も稀有の体験に遭遇することになった。そこで拾った数々の言葉はとても重いものがあると思う。
事務局(開催決定者)-お客様が一人でも来れば演るのが基本だ。そのためには2つの条件がある。1つは安全であること。2つ目は演奏のクウォリティーが確保されていること。
これらを確認し、開催決定。リハーサルは1時間15分遅れて16時30分から開始。
93人の楽団員(音出しするまでは心理的な動揺が激しかったのだけれど)
-心の痛みを音に出せることが証明したのかな・・・
-演奏家としては得難い一夜だった。演奏するっていうことはこういうことなのかなと思えた。
-音楽って意味があるんだ。なにか今日はこの曲を演かなきゃと思えた。
-あの状況の中で楽員の精神状態を考えると奇跡的だった。
-私たち音楽家ができることというのは・・五感に訴える力があるのかなと・・良いとか悪いとかでなくて何かをともかく表現したい・・思いが出たコンサートだった
-異様な集中力と緊張感みたいな鳥肌が立つような響きが感じられた。
-(イギリス人の指揮者ハーディングにとって初めて体験する地震、しかも震度5に特に動揺する事なくいつもどおりの様子だったらしい)一人ではないこと、仲間がいることの心強さを感じる必要がある。私自身圧倒されるような体験でした。
観客(1800人収容で結局105人)
-音楽の神様がついてたんじゃないかとおもえるくらい・・
-あのような時に演奏会を聴きに行ったことに、罪悪感のようなものがあって、しばらく誰にも言えなかった。

この番組を観ながらいろいろな映画を思い出した。
・「ベニスに死す」ではこのマーラーの5番アダージェットが
・「戦場のピアニスト」では廃墟と化した街中で隠れていたユダヤ人ピアニストがドイツ人将校に発見され、彼の前で必死の思いを込めて演いたブラームス?
・「愛と哀しみのボレロ」でアウシュビッツ収容所の入り口で演奏されてたユダヤ人によるセレナード
・「タイタニック」では沈みゆく船に残り、最後まで演奏を止めなかった楽団員たち

どれも「死」の影がある。
3.11でのマーラーは泰然自若の指揮者のもと、必死の演奏でもあったのだろう。

大震災から1年

2012-03-11 | 災害

昨年の3月11日午後2時46分に、日本は宮城県沖を震源とするM9.0の地震に見舞われた。メディアの発達したこんにち、その実情は何の飾りもなく実にリアルに、被害を被った人にもまたそうでない人にも伝わって今に至っている。そして震源を源として本当に沢山の悲しい出来事が生じ、多くの人達が苦しみの試練に立たされ、今も多くの人達の痛みは消えないでいる。その一方で日本人の持つ称賛されるべき資質もまた知ることができた。日本は地震大国だ。恐るべきはこれが最後の出来事ではなく、近い将来他の地域でも起こりうることが学者によって指摘されていることだ。SF長編小説「日本沈没」の初版は1973年3月だ。あの頃から防災の意識が始まっていると思うけれど、あの本には原子力発電所毀損による被害についてははあまり触れていない。事実には何か必ず想定外の異常な事件が伴うのだろう。備えは結局のところ個人そして家族単位ということではないのだろうか。

新聞に記載された事実を留めておきたい。
・東日本大震災 ・平成23年3月11日午後2時46分 ・震源地:三陸沖 ・規模:マグニチュード9.0 ・最大震度:7 宮城県栗原市 稚内震度3 南九州震度1 ・津波:最大波高 約38メートル ・死者:1万5854人(宮城県は9512人) 行方不明者:3155人(宮城県は1688人) ・負傷者:2万6992人 ・最大避難者数:約47万人 ・全壊戸数:12万9107戸 ・半壊戸数:25万4139戸 ・一部損壊戸数:69万1728戸 ・避難生活者:こんにちでも34万人以上 ・震度4以上の地震発生件数(3月~2月の1年間)327回 震度1以上の有感地震は1万回以上 ・寄付を受けた外国政府:アフガニスタン等93ヵ国総額175億円以上 その他被災地支援活動や救援隊派遣


*平成天皇のお言葉
1年前のこんにち、思いも掛けない巨大地震と津波に襲われ、ほぼ2万に及ぶ死者、行方不明者が生じました。(国内関係各位への謝辞そして)世界各地の人々から大震災に当たって示された厚情に深く感謝しています。 被災地の今後の復興の道のりには多くの困難があることと予想されます。国民皆が被災者に心を寄せ、被災地の状況が改善されていくようたゆみなく努力を続けていくよう期待しています。そしてこの大震災の記憶を忘れることなく、子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、安全な国土を目指して進んでいくことが大切と思います。 今後、人々が安心して生活できる国土が築かれていくことを一同と共に願い、御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。