独立20周年記念
・平成25年11月16日 矢来能楽堂
番組
・仕舞
『籠太鼓』 : 観世喜正
『梅 枝』キリ:観世喜之
・狂言
『箕 被』 シテ:山本東次郎 アド:山本則孝
・ 能 『 砧 』
シテ:鈴木啓吾 ワキ:副王和幸 ワキツレ:矢野昌平
ツレ:坂 真太郎
間 :山本東次郎
地謡:観世喜正 小島英明 長山耕三 桑田貴志 中森貫太 中所宣夫
大鼓:亀井広忠 小鼓:大倉源次郎 笛:松田弘之
今回は夫を想う妻の思いをテーマにしたそうだ。『籠太鼓』は、牢破りをして行方知らずとなった夫の代わりに牢に入れられた妻が、牢舎に掛けられた鼓を打ち夫を想うという曲。『梅枝』は、夫が仕事上の争いで殺害されてしまい、自分も空しくなったが成仏できずにいる妻の話。『箕被』は、夫の度を過ぎた道楽を陰になり支えてきた妻。売るものとて全て無くなってもまだ夫は無理な要求を妻に課す。妻は耐え切れず「そこまで言うなら離縁してほしい」と言う。夫は驚くが、目の覚めない夫は離縁してしまう。その証しとして妻に渡した物が最後まで残った箕だった。妻はその箕を頭に被り家を出る。みすぼらしく、気落ちして家を去ってゆく妻に「いまだ見ぬ二十日の宵の三日月は」と発句を思い立ち妻に詠み掛けると、妻は「今宵ぞ出ずる身こそつらけれ」と脇の句を付ける。そこでやっと目覚めた夫は物入りな道楽を止め、離縁を撤回し、改めて夫婦で盃を交わす。というおはなし。『砧』は、夫は訴訟のため都に行ってもう三年、音沙汰もない。子もない妻は砧を打ち、ひたすら夫を想う毎日だった。そこに夫の侍女が帰り、暮には帰るという嬉しい知らせが。しかしその嬉しさも空しく夫は帰れなくなり、ついに妻は病に沈み亡くなってしまう。やっと帰ってきた夫。亡霊となって現れた妻。妻は語りきれないほどの恨みつらみを夫に投げかけ自分は邪淫の妄執となり、地獄で苦しんでいると言う。妻の死に悔みきれない夫は妙法蓮華経を読誦し、その功徳により妻は成仏する。というおはなし。
どの出し物も良かったなー。東次郎さん。いつのまにか頭が丸くなってしまっていっそう渋みが増した感じでした。シテ語りがとっても多かったようにおもうのだけど、なにかスッと気持ちの中に入ってくるような演技で、知らずに心にじーんと来るような語り口だった。あれでアドがしっとりとした小舞でも舞ってくれたら言うことはありません。『砧』は100分位の曲。物語のあらすじ的に、元気溌剌楽しくて堪らないという世界とは無縁の曲だ。世阿弥の最晩年の作という。おそらく世阿弥渾身の一曲ということではないでしょうか。シテは憂愁を込め物悲しくも美しい演技で良かった。地謡は舞台を支える通奏低音のようだった。音の調子がどちらかといえば単調に成り易く眠ってしまいそうに心地よいのだけれど、目をさましてくれたのはお囃子だった。特に笛が良かったなー。どこか破れ障子を風が吹き抜けてゆくような音色で舞台の情景を彷彿と感じさせてもらいました。こういう曲はある程度の予備知識があるともっと面白く観賞できるのだろうなと思った。