言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

小澤征爾

2009-06-28 | 語録
人間のエネルギーというのはね
エネルギーを出してみないとわからないもんだと思う。

とことんまでやるときにね
人間の熱意というかやるんだというそのやる気。 それがなくなると
どんなに技術があっても
どんなに頭が良くても
どんなに環境が良くても
どんなに経済的に豊かで色んな物があっても
人間の本当の幸福というのは得られないかもしれない
あるいは
人間の本当に大事な事に触れないでその人は終わるかもしれない。

最近の(日本の)若い人たちに見ないね
そういう やみくもなエネルギーが・・・

  NHK プレミアム8

横浜狂言堂

2009-06-14 | 能・芸能
狂言組

(お話)  高野和憲

「二千石」 シテ(主)    石田幸雄 
      アド(太郎冠者) 野村万之介

「蝸牛」  シテ(山伏)   高野和憲
      アド(主)    野村万之介
      アド(太郎冠者) 野村萬斎

高野先生のお話は、「太郎冠者」のことから始まった。役柄とか性格とか観客への受けのこととか。三郎冠者(三本柱)まであることを初めて知った。メモなど用意して、言いよどむことなくのガイドでした。
「じせんせき」と読むのだそうだ。名乗りのところでの表現は良かった。話の展開上、怒り心頭の思いを胸にしての名乗りなのだけど、なるほどあのように表現するのかと思った。万之介先生の枯れた感じの太郎冠者が良かった。15分の休憩の後の「蝸牛」。万之介・萬斎両先生は、肩の力を抜いてリラックスした感じの演技に比べ、高野先生は一人頑張っていたように感じた。山伏という役柄かもしれないけれど、一生懸命に観客にサービスしているという感じで面白かった。太郎冠者との連れ舞は、山伏の遊び心と太郎冠者のとぼけぶりがうまく溶け合ってとても面白かった。

野村万作

2009-06-06 | 語録
いろいろ考えるということは大事ですよ。
こうもやりたい、ああもやりたい、
こう演出したい・・・という思いは
皆も、僕らも持っていました。
しかしそれは頭で考えることでなくて、
おのずからそういうものが
にじみ出るというところの世界。
それが段々に経験的にも解ってゆく。それが
役へのやさしさであり、役への愛情なんです。

古典の言葉だから、言葉の中味もそれほど
明確にわかるというわけではないんだけど
何度もしゃべっていると
その言葉が、求めているものが、何となく
身についてわかってくる。
だから師匠から「この言葉はこういう
意味なんだよ」なんてことは
これっぽっちも教えられてないんです。
僕らはしゃべりかただけ教わっている。
あとの中味というのは
自分で獲得するわけです。経験的に。

  NHK「この人にトキメキ」 6月5日

説明はしません。体に入ればだんだん分かる。日本語も正しい発音とアクセントを身につければ、自然と中身を感じる。習うのは形式だけれども、やがて心に到達し、心を表現するということ。それにはある年齢まで、稽古を積まないといけません。

僕らは通常の演劇と違い、一期一会の舞台。明日はない。その厳しさを忘れないでほしい。

      産経新聞 2012年4月3日