言葉のクロッキー

本とかテレビその他メディアから、
グッと感じた言葉・一文などを残してゆきたい。
その他勝手な思いを日記代わりに。

征爾のことば

2024-06-16 | 語録
本当にいい指揮者というのは
ピタッとおなかのなかに 音楽が入っていて
ちょっと台に立って ほんのちょっと動かしただけで
あっ こう来る こう来たいんだよな  と楽員さんが分かるのが
いい指揮者だと思うんです
・・・・・
楽譜の その裏のものは何だ ということを読め と
それが演奏家っていう役目だぞ と
時代のことも分からなければいけないし 
作曲家の癖もわからなきゃいけないし 
作曲家の精神も分からなきゃいけないし 
それからもちろん作曲家の技術を理解しなきゃいけない
・・・・・
作曲家が悲しいと書いてもね 
どのくらい悲しくまでやっていいか というのはあんまり書いていないんですよ 
音楽の場合は本当にニュアンスの差がちょっと違うから
幅というか 高さ か知らないけれど奥深いですよ 
それを指揮者なんかのばあいは意識してやっていかないと 味が出ないというかね
結局お客さんというのはね 音楽会に来てそいうのの 
幅があったり 高さ 深み があったりすることがいいと 
ああ と納得して その曲のいちばんいいところを聴いたなと思って帰ってくれるわけですよね
・・・・・
人生でこういうふうに僕は思うんだけど 
今やらなきゃダメなんだ と僕は思うわけ
今やらなきゃダメ
それはやっぱり音楽家だからかな 
音楽って 今 のものなんですよね
音楽って 今
今この音を鳴らさなきゃいけない そういうのがあるから そういう頭になっているのかもしれないね 僕は
         
                                                                    NHK  あの人に会いたい

バレエ・マスター 小林十市

2024-06-07 | 語録
今思うと
恐らく ベジャールさんに
一番振り付けをしてもらった日本人は
自分ではないか
ネコの役も3回やった

祖父 小さんの
狸の噺なら 狸の了見にならなきゃいけねえ
という言葉を紹介しながら

らしさ を出すというのは
バレエも落語も同じだ と思った
芝居のように その役になりきるのではなく
自分のフィルターを通して ネコらしさを追求した

一方
ベジャール作品には
芝居のように演出されたものが多い  という

せりふ はないが
内なる言葉だったり
動きが発せられる理由だったり
そういうものを内側に持つことで
外に発せられたときの
厚みが全然変わってくる
                ・・・産経新聞・・・


福島のサムライ

2024-05-16 | 語録
クリンさんのブログで 松村直登 を知った
2011年の福島原発事故のとき 避難区域から たった一人立ち退かず
放置された 牛60頭 犬80匹 猫100匹 など 350もの動物の世話をし
今なお 除染で荒らされた田畑の再生に もくもくと生きている
その13年にわたる記録を NHK+ から 松村の語る言葉を拾った

      ☆   ☆   ☆
おらが高校卒業した頃は 第2原発の建設ブームだった
ここでもらう給料は関東の単価が出るわけだ   だから猫もしゃくしも東電さ行って働くべってなっちゃったわけだ
爆発させた責任は東電かもしれないけれど 作った責任はおらにも少しあるわけだ

何十匹って繋がったままの犬いるわけだもん 何回か餌食わせたら それを置いてまでは俺も避難できなかったもんな
もう夜 寝られないべし そいつらの顔 夢枕に出てきて
たぶん10日以上は飲み食いしてなかった もうあばら分かるんだから 外からあばら出てるのが
食っていいのか 本当に  っていうような顔して俺を見るわけだ  遠慮すんな 食え  って

俺も最初は2~3日長くても1週間かそのくらい餌をやっておけば 
そのうち飼い主たちが帰ってきてみんな持っていけべとか 帰ってくるべとかそのくらいの話で最初はいたわけだ

もう果てしなかったもん 犬とか猫も死んでいたし 鶏なんか鶏舎ごと全部死んでたからな すごい光景 原発事故はやっぱりとんでもねえよ
簡単に国が殺すなんて言わなかったら 俺も 保護して牛の餌やりなんかしなかった
むやみに殺すことはねえべ それはおかしいべって
悲惨な思いしてやっと生きてるのに 
今度は追っかけてって殺すって言うんだぞ  今度殺したら穴掘ってただバタバタ埋めるわけだ それじゃバチ当たっぺって

原発と 国に対しての抵抗もあるかもしれない
おめえらがやった不始末の残党だ これ生きた残りだって


こんな大きな石あるとトラクターもちあがっちまうからな こんなの除染でいれられたんだ
百年もかかってこういう土地にしたんだぞ 先祖代々こうやって石とってきれいな田んぼになって
今度は除染で表土取って石混じりの土入れて 除染終わりました  なんて・・・

戻すべ 戻す 戻す
こんなの大したことね  その気になれば 何でもできるんだって
戻すんだ 戻るかどうかじゃ戻んねえぞ
そんな弱い意志では戻んねえ


あっという間だった
13年の間に 福島の後  九州も大地震  能登半島も大地震  世の中災害はずっと歴史をたどると繰り返しているんだっぺから
だからみんな明日は我が身なんだ  立ち向かうしかねえべな 立ち向かえば 困難はあるけれど やっただけのことはある

周りはどんなことが起きたって桜は例年と変わらず 毎年こうやってちゃんと咲いている
何があっても どんな困難があっても 生きていかなくてはならないわけだ 

どうやって生きたかだ



登山家 花谷泰広

2024-04-14 | 語録
アルピニスト山野井泰史の著書 「アルピニズムと死」を読んでいるとき このイベントがあることを知り 聴きに行った

   

花谷さんは初めて知った人なので どんな話をしてくれるのか楽しみだった

生い立ちから始まって 山に惹かれていったことを 写真を交え 4時間余り話してくれた

会場は広くはなく 20名の定員に対し満員だった    ただSNS同時配信されてるので かなりの人が観てると思う

とにかく30歳になるまでには 地球規模的に 歩き 登り した人なのだ

死ぬような目に合ったことも再三で

       

ヒマラヤでは 落石がすごい音立てて降ってくるような山で

シェルパに 死ぬときは死ぬ それは 神様しかわからん ビビった奴に 石は当たる だからビビるな と言われ 

遺書をノートに書き付けたが 本人は完璧に死ぬとは思わなかったそうだ

      

ヒマラヤで 強いシェルパと行動を共にし 自分の限界を知り 今は後進の指導とか山小屋の運営 登山道の整備などやっている

コロナ禍の時は 経営的には苦しかったが これまでの経営を見直す良い機会だった 登山者は減ったが なによりも 山がとても静かだった とのことだ

       
   
また 山を守ってゆく現場側から思うに 例えば 

国立公園の維持管理を予算的に比較してみると アメリカは一人当たり年間1300円位なのに対し 日本は80円位しかない らしい 

これまで 山に関係している人達の 自助努力で なんとか環境を維持してきたが それも限度があって 

共助 つまり多くの人たちが 協力して 自然界を守ってゆく姿勢にしてゆかないと保てなくなる    と警鐘を鳴らす

自然体で 穏やかに話すけれど 内に秘めたエネルギーは まだまだ すごいものを 感じた

暮の言葉

2022-12-29 | 語録
令和4年も押し迫り
1年を振り返る番組が多くなったテレビ
亡くなって
惜しい人も少なくない
テレビを通し故人の言葉をチョッピリ収集してみた

『 漫画家 藤子不二雄(A) 』
 ・・・「表見せ 裏見せ落ちる 紅葉かな」っていうのがありますが
    人間はもっと表と裏があるわけで 両方非常に面白い面がある
    表ばかり描いてもつまらないし裏ばかりでも困る
    電車ってのはね 目の前にいろんな人たちが
    その時しか会えないような人がいる そういうのを観察して
    この人はどういう家庭をもってどういう生活をしてるかということを考えるのが楽しくて
    1時間でも2時間だろうが電車に乗って人の顔をみてると面白い
    その中に特に面白い人がいるとこの人はネタになると思うと作品に描いていく・・・

『 写真家 白川義員 』
 ・・・われわれが住んでいる地球がいかに鮮烈で荘厳で神秘にみちているか・・・
    南極点から見た太陽の運行
    極から宇宙を見るというのは大いに意味がある
    太陽を見るだけで宇宙はまさに悠久無限だと実感させられる
    宇宙から見ると地球はただの一点にすぎない
    この一点に全人類が乗って悠久無限の宇宙を浮遊しているにすぎない・・・

『 格闘家 アントニオ猪木 』  色紙『 生きる 』
 ・・・ 
     花が咲こうと咲くまいと
     生きてることが花なんだ
     今 いくつもの歳を重ね
     川の岸辺に目をやると
     きれいな大きな
     大きな花が咲いている
     今日も一日いくぞ
     一、二、三、 ダ~~~

                NHK番組より





             

真矢 ミキ

2022-01-16 | 語録
今だから言えますが、どん底を経験するのも悪くないなと。
どん底 と落ち込んでいるうちはまだマシで、
どん底にはさらに 地下 があると思いました。
そこまで落ちると、猛烈な焦りから 
一歩、踏み出さなけれ人生終わる
というえたいの知れぬ勇気が湧くんです。
もし私に、人よりいいところがあるとすれば、
格好悪さ の経験値が豊富で、それを包み隠さず話せるところだと思います。

私は「質の良い」という言葉が好きです。
年齢を重ねた今、多くなくていいので
質の良い物に囲まれ、
質の良い人たち深く、質の良い仕事をしたい。
それには、自分が質の良い人間に一歩でも近づく努力をし続け、
そこに見合った人間にならなくてはいけないと思っています。

最期まで、この体に何を刻み、何をしみ込ませるか。
人との出会いを大切に、恰好悪くても
「去年より今年、昨日より今日」と、
いくつになっても鮮度を失わず、歩み続けたいです。

   産経新聞 話の肖像画


立花 隆

2021-10-18 | 語録
全然頑張るつもりがないがんの患者であります

人間は皆、死ぬ力を持ってます

どんどんがんの本質的な性質というのが
今 分かってきているんですが
分かれば分かるほどがんというのは
本当に徹底的にコントロールすることが
極めて難しいということが
十分 分かってきている

ジタバタしてもしなくても
死ぬまでみんなちゃんと生きられます
その単純な事実を発見して
死ぬまでちゃんと生きることこそ
がんを克服するということではないでしょうか

    NHK 「あの人に会いたい  立花隆」

映画作家 大林宣彦

2018-03-18 | 語録
(学生のために、早稲田の映画祭実行委員会と早稲田大学演劇博物館が協力して大隈講堂にて開催)

・(肺癌で)余命3ヶ月と言われ、いま、1年と4ヶ月目を過ごしています・・
・映画とはフィロソフィー。日本人の美しさをこそ描きたい・・
   フィロソフィーとは哲学・哲理というのでしょうか 私はこういうことを考えているが故に映画を作っているんだと・・
     自分のフィロソフィー 
      自分が世界に対してどういう考え方を持つかということを映画から学ぶと、
柔軟により深く、広く自分の中にその自覚が生まれてくる
   売れるための映画など一度も作ったことがない。売れなくとも、今作るべきフィロソフィーの映画を作り続ける・・・

・「一番大事なことは何ですか?」と問われるなら
   最初に戦争体験がありました。その戦争体験を皆さんに伝える為に映画を作り続けています・・・・
   人が生きてる死んでるということは一種の映画の中にいるように虚構のようなもんでね・・
   昨日まで絶対正しいと思っていた日本の政治が、一夜明けたら間違いだったと言われ・・・これね~・・・大変衝撃的なことでしたよ。 日本が戦争終わっても誰も殺してくれない。そして生きちゃったら、大人たちは平和難民になっちゃって、「平和だ、平和だ」と言ってすき込んでる。俺たちはどうやって生きりゃいいんだ。つまり僕たち敗戦少年は戦後に迷子になっちゃった。
   どんなに残酷でひどい目に遭っても、それを涙で見て、反省した映画を見ると、良い映画を見たと・・・・     だけどそれを見ながら、そんなことってあるの?こんな映画を見出すとなにか戦争が間違った方に伝えられるぞと感じたのが僕たちの世代です。

・表現する人はね、「ゆるキャラ」だけには成るなよ と・・・
   国民が皆、ゆるキャラになってごらん。政治やり易いですね。国民は何も考えるな、権力者の言う通りやれば間違いはないぞと・・・

・皆さんは、「戦争はもう遠い過去のことではなく、もはやすぐ明日にでも来るかもしれない戦前を生きてる人たちです」

・表現者には守るべきことがある。表現者というのはプラカードを担いではいけないです。プラカードを担がないと覚悟した人が表現者になるのです。

・映画とは人類にとって大変役立つ素晴らしいものである・・・
  芸術は死後100年して理解されるもの。いま理解される映画じゃ駄目だ。シネマゲルニカだ。ウソだけどマコトが伝わる。  
 映画には力と美しさがある。映画には素晴らしさと美しさと知恵がある。それを信じてくれ。
                                                            NHK BS1 最後の講義

加藤一二三

2017-09-23 | 語録
昭和45年の初め頃にはっきりいって行き詰まりになったと悟ったんです。将棋の手を決めるときに、どういう気持ちで、自分が指す一手を決めたらいいかについて曖昧模糊として吹っ切れないものがあったんですね。満足できる将棋が指せてなかった。それが5年10年続いたのでかなりこれはまずいと思ったわけです。そんな時にふと立ち止まってつらつら人生というものを考えたときに、自分のそういった行き詰まりを打開する、飛躍させるには、私は宗教の力が大切だと思ったんです。

もともと「名人」という称号は江戸時代にさかのぼるわけで、将棋会の根幹になっている大タイトル戦だったわけです。もしこれで名人戦に負けてますと、どうもやっぱり、いまいち棋士人生でいうとかなり寂しいですよね。ということで「一番うれしかったことはなんですか?」と問われたら、これはやはり「名人獲得」です。  (昭和57年 名人)

・・・(たとえて言うと、横綱になってから負けが込み、幕下陥落してもまだ相撲取っているような状況について)・・・

はっきり言ってわたしの「生きがい」なんですよね、目いっぱい家族の支援のもとにエネルギッシュに戦ってきたわけね。ところがこれがもし仮に引退となると、私が心血を注いで活躍する場がないですよね。生きがいとしていることが、なくなるということですよね。現役であるか、引退であるかに関していいますと、確かに重症の患者だけれど、別に死んだわけではないんですよ。普通に考えたら笑われると思いますよ。笑われても私はそうだろうと思いますよ。だけども神様がお考えになってることの先回りをするという考えは全くありません。私は最後の一息まで自分のすべきことをすべきというふうに思ってます。

今日の作戦で戦ったのは私は今まで2000何局か戦ってますけど、中で5局位しか指していない将棋なんですね。ということは、私にも時折思いますけども将棋というのは新しい戦いに展開することがまだまだあるということなんですよね。はっきり言って無限ですよね。無限のものを直感とか使って戦ってるというわけなんですよね。

順位戦の引退ということになったのだけど、今の私の心境は、一生懸命やってきました。でも結果は出ました。だからこの結果は本当に「はい分かりました」といって落ち着いて受けまして、でも私は今まで通り神様の配慮、神様の愛は信じてますからこれからもやる気を失わないでやっていきますという心境なの。きわめて不本意な出来事になってもそこでね、そんなに落ち込んだままでなくてそこから立ち直っていくということが大切だと思うの。

理屈抜きで私は将棋の才能を頂いているわけだから、ひたすら将棋を指して良い将棋を指すことにつきる。「私はもうギブアップ」「もうお手上げです、もう完全に参りました」という立場にないの。だってまだ生きてる人だから、まだ息してるんですからね。堂々と正面切ってね、力いっぱいね準備もして憂いのない戦いをしたい思ってるんですけどね。

公式戦の対局はできないんですけれど・・・・・・いま77歳ですけど、いままでなかったね、いろんなことがこれから先、私の前に待ってるわけですよね。それを思うだけでも、ものすごく胸がワクワクしてくるんですよ。

昼間うなぎの注文をしてまた夜同じうなぎを食べたり・・・・とってもおいしいですよ。
お昼っていうのはウナギが2つ入っているうな重を頼みまして、夜はおなかが相当すいていますから、夜はうなぎが3つ入りのうな重を頼んでます。うな重をしっかり食べておきますと、12時ぐらいになっても元気よく戦っているということでうな重を35年40年食べてますね。

棋士のなかで最も負けた(1324勝1180敗)ということについて、羽生善治は言う。
「だから最多敗は活躍してないと絶対作れない記録なので、なんというか、人知を超えた世界というか、よく分からない世界です」

「加藤一二三 という男、ありけり」  NHK  ETV特集

ピコ太郎

2016-11-19 | 語録

・・・紅白出場への夢も語ったが、若者に対して夢を叶えるために大事にしていることを教えてほしいと問われ、



「まず“夢はありますか?”という質問から入ったほうがいい。

夢は強制的に持つものではないと思ってます。

夢が無かったら現実をきちっと熟していけばいいし、それも幸せだと思う。

ただ、“はっ”とやってみたいと思いつくものがあればやったほうがいい。

“思いついたものはすべて現実にできる”と本で読んだことが有ります。

夢と言うのはスポットライトを浴びて、凄い金を稼ぐイメージですが、

自分に合った憧れたものがすべて夢、スター。

努力ではなく近道を探るために必要な手段を択ぶということを続けて行けばいいと思います」

                                                           gooニュ-ス